さて、メチャクチャ気になる木はあとのお楽しみにして境内を散策です。
【楠木龍王二柱】
鱗紋を見ると浮かぶのはとってもうるさい善逸の顔(笑)
(今月から『刀鍛冶の里』編が始まりましたねー!毎週の楽しみが増えました(^^))
楠木龍王二柱大神の由来
昭和53年6月5日夕方、大音響が境内に響き渡った。千枝の大楠の大枝が折れて落下し、その直下の石燈籠までが砕けていたのである。境内に駆け付けた人々はこの惨状を見て呆然としたが、事態を収拾して一夜が過ぎ、翌朝に成田氏が大枝の切断始めると大枝の下に2体の白蛇が打ちひしがれ、既に昇天されていた。
その夜、成田氏が床に付こうとすると不思議なことに龍神の姿が浮かび上がり眠れなかったため、翌朝 境内地に神殿を建立し、楠木龍王二柱大神として祀ったという。
【出典元:信太森葛葉稲荷神社(葛葉稲荷) [大阪府]-人文研究見聞録】
葛乃葉の白狐と言い、こちらの白蛇と言い、白の生き物とご縁のある神社なのでしょうか。
【姿見の井戸】
葛乃葉が白狐から人間へと化身した際、鏡代わりに使用したとされる井戸。
きっと美しい女性だったのでしょうね。
そして、こちらが私が勝手にラスボス呼ばわりした立派な木。
興奮しながらそばへ。
これはもう、なんともすごいとしか言いようがなく、ひたすら一人で木の周りをウロチョロ。
木の根元には祠が2つ。
楠木は二股に分かれており、右手の祠は楠本大明神(白狐の神様)、 左手の祠には楠大明神(白竜の神様)とありました。
白狐、白蛇、白龍。
やはり白だらけ。
そしてこちらの御神木、ありがたいことに触れても良いとのとこで、そっと手をあてさせていただきました。
今写真を見ても、惚れ惚れとしてしまいます。
こちらの御神木、和泉市の天然記念物に指定されているようで樹齢は2,000年にもなるのだとか。
興奮し過ぎて木の近くの写真ばかり(^^;
少し離れて。
どこから見ても素敵❤
正面から撮ると、二つのお社へと導かれるようでこれまた素敵❤
境内には江戸時代の信太森の風景画が掲示されており、それよりも遡ること800年前の安倍晴明公が活躍された平安時代にも信太森は存在しており、時代を越えても尚生き続ける人の想いを深く感じました。
こちらは信太森神社を象徴するかのような境内入ってすぐ右手にある木。
全景を撮ると更に素晴らしさが際立ちます!
こちらの建物はその木のちょうど反対側に位置する社務所。
正面にこんな立派な木があるだなんて、想像するだけで興奮して寝られないかも(笑)
家族へのお土産にこちらのパッケージの素敵なくずもちを。
そしてこちらのとっても気になった白狐の張り子。
白狐の置物は以前、安倍晴明神社でいただいたものがあり、頭の中ではもうすでにあるので要らないのではと思考がグルグル回るのですが、感情は何故だかその頭の意見にノーサイン。
さて、思考を優先するのか自分の内なる思いに従うのはのちほど。
五井昌久氏の祈り『世界人類が平和でありますように』の横に並ぶのは平安時代にもってもてだったと言われている和泉式部の恋の歌碑。
夫婦の平和が家庭の平和。
家庭の平和の集合体がその町の平和。
その町の集合体が国の平和となり、その国々の平和が世界平和へと繋がることを考えれば、世界人類の平和と男女の恋は同等なのかもしれません。
境内には他にも歌碑があり、こちらの歌は北信太駅に掲示されていたものと同じ。
歌に込められている葛乃葉の母の想い。
しかと受け止めました。
帰ってきてから早速、おもむろに取り出したのは白狐の張り子。
何事も思考優位で動いてきましたが(その方が働く上ではとても効率が良く、そのこと自体には全く後悔もありません。というより、思考優位以外の考えが私になかっただけなのですが。)、この数年で色々変わりました。
思考を手放しつつも、やはり慣れ親しんだ思考優位を手放せてはいないのですが、思考もありやけど思いもありやなと、少しづつですが柔軟に考えられるように。
そんな訳で、以前安倍晴明神社でいただいたおみくじの入っていた白狐の置物と、今回頂いた白狐の張り子と並べてみました。
左手の五芒星を抱いた白狐は葛乃葉のようであり、安倍晴明公のようでもあり、そして右手の白狐は間違いなく葛乃葉。
親子水入らず。
一緒にお祀りさせて頂くことが出来て感謝です。
御朱印は新しい御朱印と古いタイプの御朱印があると宮司さんに教えていただき古いタイプのものを頂いて参りました。
さて、想像以上の出会いに感動しつつ次なる目的地へ。
(長老ありがとう!)
つづきます!