9月下旬と言ってもまだまだ夏日のような暑さの日。
母と二人、路面電車に揺られやって来たのは大阪市阿倍野区の閑静な住宅街の中にある阿倍野神社。
右にある立札の歌によると、顕家公は文武両道な美少年で花将軍と謳われたとあります。
さて、毎度のことながら行き先は決まっていても下調べ無し。
今回は一体どんな参拝になるのでしょうか。
阿倍野神社を知ったのは、昨年吉野へと参拝した際、大好きな楠公さんが終生忠誠を誓われた後醍醐天皇が御祭神としてお祀りされている吉野神宮でのこと。
「建武中興十五社」とは全国にある建武の中興に尽力された天皇、皇子、そして多くの忠臣義士をお祀りしている神社を指し、近畿圏内では四社の記載があり、今回はその四社目にあたる参拝になります。
・「建武中興十五社」の掲示板があった後醍醐天皇が御祭神の吉野神宮
・今回の阿倍野神社
示し合わせたかのように、参拝した日は後醍醐天皇の御命日とされている9月27日ということが以前の自分のブログ(吉野神宮参拝)で判明し、なんでしょうかこのピッタリ感。
偶然という名の必然。
そんなありがたい日だったとは知りもせず、当日は母と二人一年振りの参拝であっちへふらりこっちへふらり。(単純に道に迷っていただけとも言いますが(笑))
さて、境内。
張り切って写真を撮る母を撮る私。
御本殿への参拝の前にまずは祓所へ。
とっても清々しい境内で、母と二人どこを歩いていても『え~神社やわ~❤』のオンパレード。
神は人の敬によって威を増し
人は神の徳によって運を添う
後ろを振り返ると、見えるのは一直線に延びる参道。
この抜けるような感じ、気が通る感じというのでしょうか、清々しいという言葉がピッタリ。
住宅街の中、更には特段大きな鎮守の杜があるわけでもないのですが、とても気持ちの良い境内です。
こちらは授与所のそばにあった御神木のような木。
このお社の右手に園舎があり、子供のはしゃぐ声がひっきりなしに聞こえてきて、これは幸せの音ですね。
国の宝です。
御本殿の左手に面白い案内板を見つけました。
【奥宮参道 御魂振之道】
御本殿の周りをぐるりと回れるようになっていました。
曲がった先にはお社。
『一願一遂』の宮とされているようで、お社の正面には祝詞が掲示されており毎月9日には月次祭が執り行われているようです。
私には小さい頃からずっと思い続けている漠然とした思い、願いがあるのですが、ただその為にどの方向に進めばよいのか未だに思いが定まらず、そんなもやっとした状態ですがせっかくですので祝詞だけを唱和させて頂きました。
参拝前の母との会話で私の弟の話しになり、『これでもかと言うほど石橋を叩いて、下手したら渡らないあなた(私のことです)と、全く考えずに行動する弟。』と言われ、思考するだけでは形にはならないですし、かといって何も考えずに思いつくまま行動するのは危険ですし、ちょうど半々だったら良かったのにとは思いますが、これが人生においての勉強なんでしょうね。
自分にないものは真似をするしかなく、『無いから出来ない』ではなく、『無いのであればどうやれば少しでも出来るようになるのか』への思考の変換ですね。
・・・苦行です(^^;
【勲之宮】
二羽の鶴が向かい合った『向い鶴紋』が気になり参拝。
御祭神は根城南部氏(八戸氏)の当主であった南部師行公とその一族郎党百八名の御霊とありました。
初めて聞くお名前に、帰ってから調べてみると後醍醐天皇に繋がりました。
阿倍野神社の御祭神である北畠顕家公は陸奥守であり、南部師行公の主君にあたります。
北畠顕家公は後醍醐天皇の側近中の側近であった北畠親房のご長子。
北畠親子は二代にわたり、南朝の後醍醐天皇とその皇子であられる義良親王(のちの後村上天皇)に忠誠を尽くされ、南部師直は主君である北畠頼家公に従ったことから、南朝側として大阪堺市の石津で頼家公と共に足利軍の大群と戦い、その地で死を遂げられ、ここ阿倍野神社の勲之宮にお祀りされているとのことでした。
後醍醐天皇の御命日にまた新たな南朝の歴史を知ることとなり、予期せぬ出会いはこうして自然にやってくるのだと実感します。
こちらの旗上稲荷社は、まさに『一旗揚げる』の語源のままの稲荷社で、授与品の狐には旗がついており、これがなんとも可愛く、ついつい連れて帰ってしまいたくなってしまいましたが我が家には既に安倍晴明神社と信太森葛葉稲荷神社でいただいた親子の狐が二体あり、ここはググっと我慢。
やっぱりかわいいこの二体❤
旗上稲荷社の周りには、伏見稲荷の千本鳥居とまではいきませんが、朱色の鳥居でぐるりと囲まれており、そりゃあくぐりますよね。
で、母はそんな私に付き合わされて散々歩く羽目になり、慣れない靴で歩き過ぎて靴擦れになってしまいました。
トボトボ歩く母。
ゴメンナサイ。
こちらの門は初めにくぐった門とは真反対にある西門。
鳥居の左右に狛犬さんではなく、神馬二体。
とても神々しくて、境内のこの何とも言えない清々しさを象徴するかのような神馬でした。
こちらはその神馬の鳥居の近くにあった手水舎。
正面の南門から参拝するのが正式なのかもしれませんが、こちらの西門から参拝されると、とても力強いものを頂けそうな感じがしました。
9月27日は大切な人の命日でもあり、そして後醍醐天皇の御命日。
奇しくも、両名を弔うような形の参拝となり、ありがたいことこの上なく、久し振りの参拝となりましたが、自身のルーツ、想いを再認識する参拝となりました。
ただ、石橋は叩き過ぎたら壊れてしまいますしね(笑)
勇気を出して、気持ちを定めて行動し、初志貫徹しなければなりません。
(そういえば、この日三社お参りしたどこかの境内で、母が偶然目にした文字が『初志貫徹』で、いきなり『初志貫徹』と言われてビックリしたことを今思い出しました。)
あっという間に明日で9月が終わりもう10月。
相変わらず自治会活動はやることてんこ盛りですが、こんな生活が当たり前になり、集会所が第二の我が家のような感覚になってきました(笑)
何事もやってみなければ分かりません。
頭で考えて、人の話を聞いただけで判断し、大変そうだと思っていた自治会活動。
確かに大変ですが、大変の中にある大事なものを見つけてしまいました。
自分の出来ること、得意な事で、人の役に立つこと。
気付かせていただける環境へと繋いで下さったことに感謝です。
目に見えぬ かみの心に 通ふこそ
ひとの心の まことなりけれ
明治天皇御製