8月は私が生まれた月。
主人が私の誕生日のお祝いにと、なんと有休をとって玉置神社へ連れて行ってくれました。
ありがたし!
夏休みということもあって、受験生の娘はさておき息子と三人、片道4時間超のドライブ。
遠いとは分かってはいたものの、やはり遠かった(笑)
そして、着いた途端のどしゃ降り。
平日にもかかわらず、駐車場には結構な車の数で、更にはみなさん頻繁にお参りされているのか、合羽に傘にそして長靴にとバッチリ雨対策をされてお出ででした。
そんな中、明らかにおかしいノーマル格好の主人。
山間を水が大量に流れ落ちてきます。
既に持ってきたタオルは用をなさないほどにぐっしょり濡れて重くなっており、そんな私を横目に家を出る直前に合羽を持っていくと言ってリュックに忍ばせていた息子。
私と主人とは違って難を逃れました(笑)
家を出る時にはあんなに晴天で、雨雲一つない空だったのに・・・。
目にした事を盲信し過ぎた私と違って息子の直感は正しかったようです。
さて、雨にも負けずずんずんと歩いた先に見えてきたのは巨木!
先に進むと大杉の看板があり、先程の巨木とは位置関係から見て違うようですがせっかくなので立ち寄ることに。
人との対比でいかに大きな杉の木であるのかがお分かりいただけるかと思います。
二股のこちらが大杉なのかと思いきやそうではなく、
もう少し下に降りた場所にある囲いをされたこちらが大杉。
霧が出ておりとっても神秘的な写真ではあるのですが、いかんせん雨脚がどんどん強くなってきてしまい、タオルはもう絞れるくらいのずっしり感(笑)
真夏日とは思えないくらいに『寒い寒い』と言いながら、手水舎までやって参りました。
こうして見返してみると、なんとも清々しい気持ちでいっぱいになるのですが、当日は寒過ぎて感慨にふけっている間もなく、足早に拝殿の軒下へ避難。
鳥居前の由緒書き。
その横に気になるものが。
『深山の火採火地』とあります。
この地は第 39 回国民体育大会(わかくさ国体)深山の火採火地です。この火と太陽熱の火,水力発電所の電気による火などが合わさってわかくさ国体の炬火台に灯されたとのこと。
【出典元:http://www4.kcn.ne.jp/~yoshi-ta/na30282.pdf】
『火採火地』という言葉を初めて聞きましたが、調べてみると国体によって火採火地は異なるようで、ちょっとしたこういう豆知識も参拝の醍醐味であります。
そして、出典元の記事を見ていてびっくりしたことは、標高1,076mの玉置山山頂に近いここ玉置神社は、太古の昔は海の底だったというではありませんか。
海の底で噴出したマグマが固まってできた溶岩があるとのこと。
ちょうどこちらの案内図の中央にある『枕状溶岩』がそれにあたるようです。
道中、雲の中を車で走っている感覚になるくらいに眼下に見える建物がどんどん小さくなっていきましたが、標高1,000メートルのこの地が海底であったとは半ば信じられず、気が遠くなるような遥か昔から今日まで大きな変化を遂げてきた地球に、人類がこうして脈々と子孫を繋いできたことにただただ感謝しかありません。
さて、そんなことはこうして調べてみたから分かったことで、当日はさらに雨脚が強くなる境内を足早に移動しております(笑)
右手の狛犬さんの後ろに通行止めの看板があり、重要文化財である社務所他の改修が行われているようで、令和2年から始まった工事は10年頃まで続くようです。
本社の左手から見た境内。
案内板によると、先程拝観してきたのが根回り19.5mの大杉になるようです。
それでは本社後方の神代杉へとご挨拶。
さて、右手のこの方。
頭を下げて手を合わせてそっと木に手を振れておりますが、この方いつからこんなに木が好きになったのでしょうか(笑)
私はどうにも木は恐れ多くて触ることが躊躇われ、いつも拝観だけ。
色々な考え方の方がいらっしゃいますので触るのが良い悪いではありませんが、触ってはいけないと書かれているものには触らない、触って良いとあるものには触らさせていただく、何の標記もないものについては個々の判断で良いのではないかと思います。
ただし、木の周りに囲いがあったり、明らかに木の幹が弱っているものについては標記がなくとも触らないなど、常識の範囲での行動は当然ですが。
まだまだ参拝したかったのですが、雨脚が弱まる気配もなく今回はここまで。
帰り際、参道を歩きだすと後ろから太鼓の音がドーンドーンと。
きっと御祈祷が始まったのだろうと家族で話しながらも、私には帰りの合図のように聞こえました。
最後に、参道途中にある山の神様にご挨拶。
この日を境に朝夕の気温が下がり過ごしやすい日々の到来。
後になって分かったことですが、令和5年8月23日は二十四節気で処暑。
厳しい暑さが峠を越して落ち着く頃になるようです。
彼岸花は誰に教えてもらうでもなくお彼岸の時期に咲き、季節は地球のリズムをとるかのように春夏秋冬を繰り返します。
当たり前のように季節が廻り、そのことに疑問を持つことすら忘れがちですが、この不変の法則に何かの意思を感じずにはおれず、今回の参拝でさらに強く感じました。
さてこちらは玉置神社の社務所で御朱印と一緒に頂いた『神拝詞』
自宅に同様のものがあるのですが、玉置神社の神拝詞は通常のものとは異なることを以前実際に持っている方に見せて頂き、今回頂いて参りました。
大祓詞:中臣の祓詞と呼ばれ、罪や穢れを祓い清める詞
祓詞:お祓いの際に唱える詞
略祓詞:お祓いの際に唱える略式の詞
神社拝詞:神社を参拝する際に唱える詞
神棚拝詞:神棚を拝礼する際に唱える詞
祖霊拝詞:御霊舎(みたまや・仏教の仏壇に相当)に祀られた御先祖様を拝礼する際に唱える詞
略拝詞:神社や神棚を拝礼する際にに唱える略式の詞
ところが、玉置神社の神拝詞の裏面はご覧の通り祓詞以外は全く異なります。
ここにきて明治天皇の御製。
そして、崇神生活の要領、更には食前食後の感謝と続き、日常生活が神様(自然)と共にあることを感謝をもって世の為人の為に尽くすようにと書かれています。
十首ある明治天皇の御製から一首。
めにみえぬ 神の心にかよふこそ 人のこころの まことなりけれ
かれこれ20年ほど前、結婚して東京へと引っ越しした友達に会いに行った際、友達と会うまで時間があったのかどういった経緯かは覚えていませんが、一人明治神宮へ参拝へ。
境内に入った瞬間感じたのは、都会とは思えないほどの清々しい空気。
橿原神宮と同じ感じがしました。
あれから、ここ数年こうして参拝する機会が増え、気付くと明治天皇縁の地に繋がることが多く、なんだかとても不思議な気持ちになります。
理由が知りたい、答えが知りたいわけではなく、ただただその存在を感じる場所にいれることがありがたく、これは大好きな楠公さんにも感じること。
色々と繋がります。
そして理由はよく分かりませんが、私にとって必要な事だということは分かり、まさにそんな分かっていた自分を取り戻している感覚。
本当は頭でこねくり回して考えなくとも、誰しも色々と分かっているのでしょうね。
今回は、そんな私のいらないもの・思考・癖を祓って頂けたような清々しい参拝となりました。
さて、来年の誕生日にはどこに参拝に連れて行ってもらおうか(笑)