昨年は突然の雷雨で参列を見送った堀越神社の七夕祭。
今年はというと、家から出る少し前に雨が降り出し、さてどうなるのやらと思っていましたが、家を出る直前に雨も上がり、スッキリした空の下、電車に揺られてやって参りました。
【堀越神社】
19時の開始より20分程前に到着しましたが、それでも境内にはすでに椅子に座られた方が大半で残席わずか。
堀越神社さんから郵送されてきた七夕祭の案内で先に今年の神符をお願いしており、受付で初穂料一万円をお支払い。
その場で冷えたペットボトルのお茶を頂き、夜と言ってもまだまだ暑い8月下旬の野外で、冷たいお茶がとても美味しく感じました。
参列のみの方も受け付けられており、五千円の初穂料になるようです。
日中の境内とは違った提灯の灯が神秘的な境内。
神社の方に了承を頂いて、神事前の境内の雰囲気を撮影させて頂きました。
この日は雨上がりということもあって湿度満々。
連日の35度越えの気温で熱気冷めやらず、決して心地良いとは言えない気候ですがそれでも沢山の方がおみえでした。
こちらは当日の式次第。
大祓詞の用紙と一緒に参列されている方々に配布されたものです。
当初は一番後ろの席に座っていたのですが、神社の方がお声がけ下さり(着物を着て行っていたからでしょうか)、最前列の席に案内して下さいました。
ありがたし!
堀越神社は大阪府道30号線に隣接しており、片側3もしくは4車線はある幹線道路沿いとあって、まぁなかなかな騒音です。
そんな喧騒の中で執り行われる御神事は、通常の話し声では声が聞こえる状況でもなく、マイクを通して行われました。
御神事前には気になっていた騒音も、宮司さんの声に集中するお陰でしょうか特段周りの騒音が気になることもなく(いや、でもバリバリ音のなるマフラー音にはさすがに気になりましたが(笑))、雅楽の生演奏と境内のほの暗い雰囲気が何とも言えない風情で、今回御神事に参加させていただくことが出来て、心の底からありがたいと感じました。
御神事の中で、宮司さんに続いて唱和する文言の中に、毎日唱えているお経と同じ『福寿海無量』という文言がありました。
仏語。
しあわせをもたらす功徳の量が海のように広大であるということ。観音の福徳を賛美していった語。
【出典元:福聚海無量・福寿海無量(ふくじゅかいむりょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク】
よく意味も分からないまま唱えていましたが、5文字の中にこれほどありがたい意味があったとは。
意味が分かると面白いもので、日々唱えるお経も変わってきそうです。
こちらは一時間ほどの御神事の終盤で頂いた撤饌。
手ぬぐいに包んで持って帰ってきたのでシワシワ(笑)
こちらは当日いただいた鎮宅七夕祭神符に挟まれていた用紙。
宮地神仙道が気になり少し調べてみましたが、関連書物が高額揃い。
私の手が出る範疇ではなく、そんな世界があるということで(笑)
神事後の太上神仙鎮宅霊符神のお社の後方。
御神木の側に立ち寄ることは憚られた為、後方から写真を撮らさせていただきました。
天王寺駅に降り立った時、前を歩いていたカップルがなかなか奇抜な恰好をしており、ふと彼女が『めっちゃ月綺麗で』と横にいた男性に声をかけていたのがとても印象的でした。
堀越神社をあとに駅へ向かって歩きながらふと空を見やると、それはそれは綺麗な三日月がネオン街の光の中、一層美しく輝いていました。
人間は進化と共に、便利なものを沢山手に入れました。
太陽と月に負けない灯を、枯れることの無い綺麗な水の出る水道を、火を起さずともスイッチ一つで出るガス火を。
でも、どれをとっても自然の力の前には無力で、天災が起これば水が電気がガスが止まり、便利から一転不便な生活に突入です。
便利が日常であるが故に、不便はたいそうしんどく辛いもので、無くなって初めて当たり前にあるものがいかに大切かということに気付かされます。
都会のネオンの中に煌々と輝く月の光。
その月の光を綺麗だと言える奇抜な恰好をした彼女の心は私にはとても美しいように感じ、目に見える情報だけで判断しているのは誰よりも私であると痛烈に感じました。
何を見て、どう感じるのか。
表装的な事ではなく、本質的な事が大切だと改めて認識させられた参拝となりました。
さて、今月は珍しく2日続けての参拝。
翌日は片道4時間越えの道のりです。
数年越しの想いが形となりました。
ありがたし!