祖父のお墓参りの後、以前から気になっていた場所へ。
【天空のパワースポット 天下台山 水戸大神】
天下台山は四神相応の地とあります。
北に玄武、西に白虎、東に青竜、南に朱雀。
さてさてどんなお山なのでしょうか。
きっとこの左手のくぼみには水が流れていたのだと思うのですが、今年の猛暑で干からびているのか、はたまた以前より干からびてしまったのかは分かりませんが、全く水の気配を感じません。
駐車場から5分くらいで目的地に着くはずが、既に5分以上が過ぎており、『お腹が空いた!』『まだ着かへんの?』とぶーぶー文句を言う息子をよそに、『もう少し、もう少し』と主人がだましだまし言いながら先へと進みます。
この辺りからちょっと様子が変わってきます。
そしてどんどん急な登り道になり、この時点でこれはどう考えてもまだまだ先な予感しかせず(笑)
気付けばこんなに高い所まで登ってきてしまい、そもそも山に入る予定もなかった為にみんな軽装。
水分も申し訳程度しか持って来ておらず、さすがにこれはまずい感じが。。。
時間はちょうどお昼時。
アッつい日差しにひたすら続く上り坂、更には息子のお腹ももう限界。
見えてきたのは『行者洞』の立派な看板。
ですが目的地ではなく(笑)
修験道が窟籠りをする為に江戸時代より前に掘られた場所のようで、天下台山で最も神聖な場所とあります。
空海さんがいらっしゃるということは、このお山から神聖なお水が出た証。
こちらのお堂の奥には石像がお祀りされており、手前にある案内には『瞑ることで気力が得られる』旨の記載があり、せっかくですので手前まで入らせて頂きましたが、暗い・狭いでちょっと怖く、早々にお暇させて頂きました。
実際、こちらの行者洞には昭和30年代まで行者さんが常住されていたようで、70年ほどたった今もこうして廃れることなく受け継がれていることに、想いを、意思を繋ぐことが改めて重要だと思い知らされました。(鬼滅の刃で『繋ぐ』をよく感じます。)
先を進むと道の左手に水神様がお祀りされており、やはりこのお山の水脈は空海さんが開かれたのではないのかと。
そして、写真はありませんがこちらのお社の反対側には水が湧き出ており、この水がもう、本当に冷たくて気持ち良かった!
この時と同じような事が2年前の徳島県でもあり、大麻比古神社に参拝後、奥宮の看板に誘われるように歩きだした先にはお山。
そんなに歩くこともないだろうと、お山に足を踏み入れるも気付けばめちゃくちゃハードな山登りとなってしまい、そんな中で家族全員の飲み水が無くなってしまうという絶望的なタイミングで湧水を発見!
その時のお水は、まさに恵みの水。
それはそれは本当に美味しくて、感謝の気持ちであふれかえったことがありました。
今回も息子の500㎖の水筒は早々に空になり、私達夫婦はと言うとお昼ご飯のサンドイッチのお供に持って来ていたほんのわずかなコーヒーが入った水筒のみ・・・。
連日35度越えの酷暑が続く真昼間の山中で、これは非常にまずい状況。
そんなタイミングでの湧水ですから、本当にありがたいことこの上なかったです。
『お昼ご飯を景色の良い場所で』がまさかこんなことになろうとは。。。
それにしてもずいぶん登って来たにも関わらず、目的地の展望台どころかひたすら続く登り道。
展望台だというからには平坦な場所にあるとは思ってはいませんでしたが、よもやこんなに歩くことになろうとは思ってもおらず、やっと着いた展望台からは穏やかな瀬戸内海が見えました!
疲れが吹っ飛ぶ爽快感!
反対側には巨石がゴロゴロした山が見え、次回はあちらの山に登ってみたいと心新たにやっと念願のお昼ご飯。
1時間弱歩いて汗だくでしたが、ありがたいことに風のお蔭で気分爽快。
お腹も満たされ、さて行きに気になった獅子岩を目指して分岐地点まで戻ります。
東屋と標記のあるのが先程までお昼ご飯を食べていた展望台。
足を踏み入れるのが躊躇われる獅子岩への道。
頭上は蜘蛛の巣だらけで足元はご覧の通り道が見えないほどに草が生い茂り、更には棘のあるつるもウジャウジャで、息子が早々にギブアップ。
だって、短パンですからね(^^;
それでも主人お得意の『あと少し!』戦法で主人が先頭を突き進んでおりましたが、道中の案内板で三人の心がくじけました。
案内ありますけど、道見えませんやんか(笑)
私も足首が出ている普段着にTシャツ一枚。
もちろん、ノー日焼け対策で山には全く適さない格好。
獅子岩がどんなものなのか見てみたかったですが、今回の格好ではこれが限界。
次回はもう少しましな恰好で、獅子岩と山頂を目指すことにして下山することにしました。
それにしてもこんなに足が出ているにもかかわらず、あの草木が生い茂る中をよう歩いたもんだ(笑)
さてこのまま下山かと思いきや、水戸大神の奥宮への分岐点があり行ってみることに。
これがまたしても意外と道のりがあり、更に坂がきつく、久々のお山に私の下半身はもう全く機能せず、ノロノロ歩行。
それでもこんな場所に出てきたら、疲れも吹っ飛ぶというものです。
岩が割れてますね。
その側には『弁才天』のお社があり、となると水の気配があっても良さそうなものなのですが。。。
水は見当たらないものの左手にある湾曲した木が気になり、更には右側にも気になる木がありました。
石に囲まれるように二股の木。
朱塗りのお社の少し上がったところにはこのような看板がありました。
龍脈の源流、そして水戸大神とくれば水の気配がないわけがなく、このお山自体が水脈、水源。
こちらの建物は中に入ることが出来るようでしたが、何となく立ち入ることが憚られ、引き戸を開けてお賽銭を入れてお参りだけさせて頂きました。
引き戸を開けると真正面に屋根に覆いかぶさっているかのような巨石の下部が見え、こちらの巨石が御神体になるのではないかと思われます。
ふと思い出したのは磐船神社。
大麻比古神社と同じ年に参拝していたようです。
ブログを見返してみると、2年前は1年の半分は参拝していたようで、今あの時と同じように参拝が出来るかというとそれは、家族の環境的にも、私の体力的にもなかなか厳しく、やはり必要な時に、必要な流れは起こり、あとはその流れに対して乗るか乗らないかの自分の意思決定だけなのだと思います。
下山途中にある休憩場所で、どうしても登ってみたいという息子にお付き合い。
2年前の磐船神社の参拝時には胎内巡りでびーびー泣いていた人が、本当によく成長しました。
こちらが当初目的にしていたGoogleマップが駐車場から徒歩5分で案内していた場所。
山の恵み、清らかな水に感謝。
祖父の家は、この滝が流れる先にあることが今回の参拝で初めて分かりました。
私が小さい頃、祖父の家に帰るといとこ達とよく遊んだ神社があり、その神社の名前が荒神さんで荒神社。
あれから何十年も経って、源に戻ってきたような感じがします。
今回、お墓参りにと相生市へ向かいましたが、当初は直前までお墓参りの予定はありませんでした。
それが、自分のルーツを大切にするようにとの言葉で、お彼岸のお墓参りを急遽変更し祖父のお墓参りへ。
ありがたいことに、行きも帰りも全くと言っていいほど渋滞にはまることもなく快適な道中。
無理をせずに流れに乗るということは、きっとこういうことなのだろうと思います。
理屈抜きで、感じた流れに乗ること。
答えはその後。
分かった答えを目指して行動するのではなく、答えはあと。
分かった答えを目指して行動する方が楽なんですけどね(笑)
どうもそうではなさそうです。
予想外のお墓参りに、予想外の山登りとなってしまいましたが、その結果は予想外の自分のルーツを辿るお参りとなりました。
空海さん
巨石
木
荒神さん
(少し走った先に聖徳太子ゆかりの太子町があり、私の生まれ育った土地の近くにあることが分かりました。)
こうして見てみると、私の気になる存在が天下台山にはありました。
そして何十年も経って気付きを得て、元の場所に降り立った感じがします。
このことに気付かないまま今世を終えるのも一つの生き方ですが、今回こうして気付けたことは私にとって大きな実りとなったような気がします。
おじいちゃん、いつもありがとう。
見えない方々への最大限の敬意をもって。