念願の元伊勢三社参りもあと一社。
元伊勢内宮の社務所側にある案内板に従って、天岩戸神社へと向かいます。
久々のお参りに若干疲れ気味の娘(笑)
お山の醍醐味の一つ。
突如としてこんな立派な木に出会えること。
天岩戸神社へ向かう道すがら、左手に元伊勢内宮の御神体が遥拝できる日室ヶ嶽遥拝所(ひむろがたけようはいじょ)がありました。
これはどこからどうみてもピラミッド。
このお山を拝するようにベンチが備え付けられており、ここでゆっくするのも良いかもしれません。
実際、男性がお一人寛いでおられました。
私達は時間がなく先を急ぎます。
元伊勢内宮から天岩戸神社までは徒歩15分程だったでしょうか。
天岩戸神社へはこの先を下っていくようです。
まだまだ下ります。
鳥居の前で手を清め、
更に下りるということは、帰りはひたすら上り(笑)
着いた先は、川の側に大きな岩が鎮座するかのような場所。
その大きな岩の反対側の岸壁にへばりつくかのように目指す天岩戸神社はありました。
鎖を使って上るのは良いのですが、下るのはちょっと怖い子供達。
岩の斜面に沿って建てられたお社。
横から見てもこんな場所にお社がな構図。
ちょうど時間はお昼時。
天岩戸神社が見える場所でお昼ご飯にすることに。
天岩戸神社がある一帯は渓谷のようになっており、水辺と深い森と大きな岩に囲まれ何とも落ち着く空間。
天岩戸神社の後ろ手にあるこちらの大きな一枚岩。
そういえば、元伊勢内宮の摂社に栲機千千姫神社と並んで天手力雄神社があり、天手力雄神様といえば、岩戸開きで天照大御神を岩戸から出す大役を果たされた神様。
もしや目の前にあるこの一枚岩は、その時の天岩戸なのでは?
なんてことをぼんやりと考えながらのおにぎりタイム。
さて、お参りも済みお腹も張ったことだしそろそろ来た道を戻ります。
戻る道すがら、天岩戸神社近くまでの参拝が難しい方に遥拝所がありました。
その遥拝所の近くに、少し気になる場所がありました。
神様が湯あみをしたという産釜・産だらいという大きな甌穴(水の流れが小石を転がしてできた岩のくぼみ)があり、日照りの年でも水が湧き出てくると言い伝えられています。
大本教の開祖出口ナオ、王仁三郎は、当地を元伊勢として尊崇していたことが知られています。天岩戸神社にある産釜・産だらいの岩穴の霊水「生粋の水晶のお水」を汲み取り、これをご神水とされました。
【出典元:元伊勢三社】
この下に産釜・産だらいの岩穴の霊水があるのだろうと思われますが、うっそうと茂った木々と日が差し込まないことから良くは見えませんでした。
ここから駐車場へと向かう道すがら住宅街を抜けるのですが、その住宅街の中に一風変わった看板を見つけました。
内容からすると、元伊勢内宮の案内板ではなく、天皇神道の掲示板になりそうです。
下記、掲示板より抜粋です。
・地球終末の際、全人類救済の神として天下ったのは天之御中主大神、岩長姫命、八岐大龍神。
・神とは火水で地球のこと。
・火とはマグマのこと。岩の中に秘められたエネルギー(=岩長姫)であり、火が無ければ地球は氷河になってしまう。
・水=海のことを天照大神といい、地球熱の反射体。地球も人も八割は水(みづほ)。
・マグマと水を岩がしっかり抱え、岩の磁力で星のイオンを集めた大気圏のお陰で人は呼吸し、引力で立つことが出来る。
・月=岩。45億年前、地球から月が飛び出して以来、地球と月に遠芯力、吸芯力の作用が起きて月は銀河のイオンを地球に送り、その無形の柱が富士山に立っている。その火電子の柱を高天原といい、地球を回している。
・八岐大龍神とは、一秒間地球七廻り半の光のこと。水流、気流、電流となって宇宙根源の銀河(天之御中主大神)から地球を作られた神(降地=オロチ)。地球を常に清々回復させ、人体には白血球を降ろし(降地)、全ての生物に吹息をかける働きの神。般若心経、ノストラダムスの大予言この神から降りた。
・天皇陛下が『朕』と申されるのは月の代辨者の意味であり、御龍顔と申すのは八岐大龍神の龍からきた言葉。
・陛下が日嗣がれている光のことを『法』と申し、『法』が作った書一夜(?)、春夏秋冬を法則と申し、この元伊勢は崇神天皇の御偉徳によって富士に降った法因縁に結ばれる聖地なのである。
全てを鵜呑みにするわけではないのですが、チョット納得している自分もいたりして、果たしてこの状況は一体世間的に見てどうなんだろうかとは思いつつ、記述の中に出てくる白血球から安保徹氏の著書が思い起こされました。
安保徹先生を知ったのは、数年前に仕事を辞めてからのこと。
何故安保徹先生を知ったのかは今は定かではないのですが、神社へお参りするようになってから急速に目に見えない世界を探求することとなり、いわば白血球も肉眼では見えないもの。
人体は小宇宙。
そんなことを改めて気付かさせてくれる掲示でした。
さて帰り道、行きには歩く方向が逆だった為気付かなかった『幸神』。
幸神=塞神=道祖神。
外界からの悪霊邪気を塞ぐ神。
何をもって幸せと感じるかは人によって異なりますが、一般的に言えば悪霊退散は幸せに繋がりますね。
当たり前のことですが、見方(方向)を変えれば、見えるものは変わります。
ただ、その当たり前のことに気付けなくなってしまう時は要注意。
視野が狭くなり、目の前の目に見える範囲でしか考え行動できなくなってしまっているサイン。
頭では分かっているものの、なかなか実践、実行できないのが現実。
ただ、いつまでもそうは言ってはおられず、実践あるのみ。
元伊勢三社にはどうしても家族全員でお参りしたく、念願叶っての良きお参りとなりました。