金峯山寺から歩くこと数分。
やってきたのは吉水神社。
鳥居をくぐるとすぐに下り坂。
上り坂の神社は沢山ありますが、なかなか珍しいような気がします。
参道からは、先程参拝した金峯山寺が望めます。
鳥居から下ったと思いきや、目指す吉水神社は上った先にあるようです。
自然と頭が下げれるようになったのは良き事。
右手に歌碑がありました。
『ここにても 雲井の桜 咲きにけり ただかりそめの 宿と思ふに』
吉水神社は、元は役行者が吉水院として金峯山寺の僧房として建立されたものだそう。
その吉水院を、当初は仮宮と考えられていた後醍醐天皇。
その後、京へ戻ることなくこの地で崩御されたことを考えると、何ともいたたまれない歌のように感じます。
【金生大明神】
金運招来の一文に、一目散にお参り(笑)
そして、私達家族の後にも参拝客の方がお参りされていました。
後ろから聞こえてくる会話からすると、どうやら神社参拝が初めてと思われる男性と、その男性に参拝方法をレクチャーしている男性の二人組のような感じ。
『拝殿前では二礼 二拍手 一礼』と参拝方法をレクチャーしていた男性二人が、こちらの参拝方法を見てビックリされていました。
『ニ礼 一七拍手 一礼』
出雲大社の『二礼 四拍手 一礼』どころではありません。
ちょっとビックリしましたが、郷に入らば郷に従えという言葉が適切かどうかは分かりませんが、十七拍手でお参りさせて頂きました。
普段、拍手の数を意識する事なんてありませんので、家族で十七拍手は、息を合わせる、拍を合わせるのがなかなか面白く、私達家族以外お二方の男性のみの参拝客だけでしたので、静まり返った境内に響き渡る拍手の音は心地良く感じました。
木々が心地良い境内。
【社務所】
【拝殿】
吉水院宗信法印は吉水院の住職で、後醍醐天皇を擁護された南朝の僧侶になるのだそうです。
左側に配祀されているのは、最後の最後まで後醍醐天皇に忠誠を誓われた楠木正成公。
5年前に初めて御朱印を頂いたのが、楠公さんが御祭神の湊川神社。
そこから気付けば、縁の地へと参拝させて頂いておりました。
JR島本駅の大楠公と小楠公の石像、芦屋市の大楠公戦跡碑、そして今年の4月には御嫡男が御祭神の四条畷神社、そしてまさか吉野の地でもこうして参拝することが出来、考えてもみなかった流れなだけに、感無量です。
こちらは弁慶が親指二本だけで岩に釘を打ち込んだとされる【弁慶の力釘】
岩の上から見ると、2カ所打ち込まれたような跡があり、岩に素手で釘を打ち込むだなんて常人には全く想像も出来ませんが、想像を超えた力はき存在しており、きっとこれは弁慶の力自慢を誇張したものでも何でもなく、本当のことなんだろうと思います。
根拠はないですが(笑)
人間の使われていない潜在意識を考えると、不可能だと思われることは意外と不可能ではないのかもしれません。
20年ほど前に、東京に住む友人宅を訪れた際、唯一参拝したのが明治神宮。
何故、明治神宮へ参拝したのか、理由は覚えてはいませんが、明治神宮へ参拝し、とても感動したことだけは覚えています。
それ以来、私の中で気になる明治天皇。
『くにたみは ひとつこころに 守りけり とほつみおやの 神のをしへを』
明治天皇の歌には、心が洗われるような歌が沢山あり、日本語の素晴らしさを改めて感じます。
さてこちらは、ここ最近行く先々でお目にかかる恵比寿神社。
商売繁盛のえべっさん。
どうかどうか良きご縁をいただけますように。
そのえべっさんの右手に気になる石がありました。
自然石でしょうか。
なんとも変わった形をしています。
こちらの木も気になりました。
見渡す限りの山々を前に、すぐそばにはすっくと聳え立つ一本の木。
一目千本とは、ここから一目で千本もの桜が見渡せる場所ということで、桜の時期はさぞや多くの人が桜を求めて来られるのだろうと思われます。
今は緑豊かな時期ですね。
さて、そろそろお腹が空いたという子供達の声でひとまず駐車場へ。
つづきます。