シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り6 寿老人 薬仙寺

真光寺をあとに、やってきたのは薬仙寺。

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朝から六社目の参拝ですが、今のところ参拝客には一人もお目にかかっておりません。
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薬仙寺は先程参拝した真光寺と同じ時宗

200円から300円へと値上げされていた七福神ですが、こちらの薬仙寺だけは50円アップの250円。

なんだかちょっと得した気分(笑)

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左手の先には大事そうにしているのは鹿さん。

犬をあやすお爺さんのようにも見えますが(笑)

さて、いよいよ6つ目の人形を手に入れ、はやる気持ちで境内を後にしようとしたところ、一カ所とても気になる場所がありました。
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ズーム!

後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡涌水』

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案内には、後醍醐天皇隠岐島より環幸の途中、兵庫で体調を崩され、その際薬仙寺の住職が薬水として献上し服用したところ、たちまちのうちに快癒されたとあります。

 

隠岐島からの脱出が気になり調べてみると、ちょっと面白い記述がありました。

元弘の乱隠岐国に幽閉された後醍醐天皇は、富士名雅清の手引で船を盗み出し、腹心千種忠顕と共に隠岐を脱出した。脱走に気付いた隠岐国守護佐々木清高は千艘の大船団を率い、後醍醐天皇を追跡。船頭がこれに恐怖して逃げようとすると、後醍醐天皇は「汝恐るる事なかれ。急漕向て釣をたるべし(急いで清高の船に向かって漕ぎ、その側で釣り糸を垂れよ)」と、逆にあえて追手に接近せよという詔勅を船頭に発した。

さらに、自らを古代中国の聖君周文王に、船頭を釣り人から軍師に抜擢された文王の賢臣太公望になぞらえて、船頭を元気付けた。近づいてきた船頭に対し、清高が「怪しい船が通りかからなかったか」と聞くと、船頭は「今朝方、出雲に向かった船を見ました。順風なので、もう渡海したころでしょう」と嘘をついた。清高軍は船頭を疑って船を点検したが、後醍醐天皇の姿が全く見えないので、納得してそのまま出雲に向かった。なんと、後醍醐天皇は山盛りのイカで自分の身を覆い、隠れていたのである天皇である後醍醐が、自身の「玉体」(天子の肉体を聖化して言う言葉)をイカに隠すような真似をする訳がない、という固定観念を逆手にとって、絶海の孤島からの脱出劇を成功させたのだった(以上、『梅松論』上)。

【出典元:後醍醐天皇 - Wikipedia

 

追ってから逃れる為に、山盛りのイカの中に身を隠したとあります。

まさか、天皇がそのような事をされるはずはないという思い込みを逆手に取った奇策。

なかなか肝の据わったお方だったのではなかろうかと、楠公さんが終生忠誠を尽くされた後醍醐天皇を、ここでもまた発見することが出来ました。

 

最初に参拝した福海寺では楠公さんに関連する歴史を知り、

そして、先程参拝した真光寺とここ薬仙寺では後醍醐天皇の存在を知ることとなりました。

 

さてお次はいよいよ七福神参りの最後。

弁財天様と宝船を求めて、つづきます!