2023年3月30日までの期間限定ミッフィー電車に揺られて、本日は主人と二人輪行。
早速、私おいて行かれていますけど。。。
向かう先は私が自転車で神社巡りをするきっかけとなった神社。
【湊川神社】
御祭神は、私が愛してやまない楠木正成公。
いつから好きになったのかもう定かではないのですが、間違いなく5年前の初めての参拝時ではなかったことは確か。
楠木正成公の名前は聞いたことがある程度だったにもかかわらず、何故にこうも好きになってしまったのか。
未だに謎です。
戦国時代に興味は全くありませんが、楠木正成公の生い立ちを目にするたびに泣けてきて、今回も参道にある楠木正成公の生い立ちのパネルを食い入るように読んでは、また泣いている自分にビックリ(笑)
何度も読んで知っている内容なのに、必ず目頭が熱くなり、今こうしてブログにしていても、どうにも鼻の奥がツンとして仕方ありません。
そんな話しを先日ジン友としていたところ、『きっと楠公さんをお慕いしていた武士の一人やったんとちゃう?』と言われて、何だか妙に納得。
私はきっと、楠公さんの一ファンの武士Aだったのかもしれません。
さて、そんな大好きな楠公さんがお祀りされている神社に5年振りの参拝とあっては、そりゃ数日前からソワソワして、もはやデートの様相。
実世界では隣にいるのは主人ですが、明らかに境内で一人はしゃいでいたのは私だけです(笑)
気持ちの良い広々とした参道を真っすぐ歩いた右手に、これまたとても立派な
【手水舎】
手水舎で手を清めた後、右手に見えてきたのは備前焼の獅子狛犬さん。
反射する光が後光のようで、神々しいばかりのお姿です。
全国的にもここまで大きい備前焼の狛犬が残っているのは珍しいそうで、地震や戦争で破損して数が少なくなってきているのだそう。
狛犬さんを過ぎれば目の前には清々しいばかりの拝殿。
ちょうど、七五三の御祈祷が始まるところで、ありがたいことに祝詞の奏上と一緒に参拝。
御祈祷が終わり、祈祷殿の中を覗いてみるとそこにはビックリするような艶やかな天井絵。
中央の龍は迫力満点です。
5年前には全く気付きもしませんでした。
『非利法權天(ひりほうけんてん)』の文字。
『非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ』
という意味で、天道に従って行動すべきであるということ。
楠公さんが旗印とされていたそうで、以前参拝した河内長野市の観心寺の楠公さんの首塚の横に『非利法權天』の石碑がありました。
どこまで格好良すぎやねん、楠公さん。
と言いながら、またしても鼻の奥が(笑)
反対側にも同じ『非利法權天』の文字がありました。
祈禱殿前の狛犬さん。
好きなタイプかと聞かれればNOなのですが、どこからどうみても格好良しな狛犬さん。
(キムタクはタイプじゃないけど、男前。みたいな感じです。)
祈禱殿、右手のエリアは何か工事をされているのか、職人さんたちが作業されていました。
明らかに罰当たりだと思われる、親子さざれ石の子とされる石の上に作業服をかけて乾かすの図(笑)
大きい石は楠公さん。
小さい石は小楠公さん。
楠公さんは懐が深いので問題ないでしょうが、私は服を乾かすだなんてようしません(笑)
【菊水天神社】
天神社だけになで牛さん。
菊水紋は楠木家の家紋。
菊は言わずと知れた天皇家の紋。
後醍醐天皇より恩賞として下賜された菊紋を、恐れ多いと流水紋と合わせて作ったとされる菊水紋。
後醍醐天皇と楠公さんの篤い信頼関係を菊水紋から強く感じます。
【遥拝所】
伊勢神宮だとは思うのですが、それよりも何よりも中央の石が気になって気になって・・・(笑)
石は、意思。
思い(祈り)を届ける装置。
となると、距離は関係なくなりますね(^^)
こちらは菊水天神社の右手にあった木。
とてつもなくエネルギッシュな木で気になりました。
祈禱殿の左手奥には楠公さんはじめ、御一族の方が殉節を遂げられた場所がありました。
この場所で弟の正季氏と刺し交えて最後を遂げられた楠公さん。
どこまでも潔く、格好良すぎるお方です。
境内は神戸市内の駅前とは思えないくらいの緑深き場所。
大鳥居前の狛犬さん。
台座には菊水紋
【楠本稲荷神社】
拝殿の右奥まった箇所に小さなお社がありました。
【三十九稲荷神社】
建築業関係の方々の特別崇敬の社とあり、私達の前に参拝に来られていた方が熱心に参拝さており、いつもご挨拶に来られている風で、とても大切にされているような感じがしました。
それにしても、気持ちの良いスッキリとした境内。
今回も、前回の参拝時と同様駐輪場のある西門から入りましたが、前回参拝出来ていなかった箇所が沢山ありました。
表神門の右手にあるこちらには前回参拝しておらず、楠公さんの御墓所。
ありがたく参拝させて頂きました。
墓碑に刻まれた文字は、『嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)』とあり、徳川光圀公が自ら筆をとって書かれたものになるそうです。
徳川光圀公は、隠居された後、大日本史の編纂を行う中で、忠誠と正義を貫かれた楠公さんを慕われていたそうです。
そして、その気持ちが形となったのがこちらの墓碑。
墓碑の側には徳川光圀公の像がありました。
前回は通ることのなかった表神門。
ちょうど、ぶわぁ~っと風が吹いて気持ちの良いことこの上ない瞬間。
正面には拝殿。
最後に表神門とミドンプトン、シロンプトンで記念撮影。
今回、お札と狛犬魔除けの御守、そして楠公さんの置物をいただいて帰りました。
狛犬さんのお守りは、本殿内の金色の獅子・狛犬像を模したもの。
カッコイー!!
かなりずっしりとした重さで、付ける場所は選びますが、持っているだけでとても力強く感じる魔除けの御守です。
赤と青の紐の二体セットで、迷わず主人と一緒に持つことに。
楠公さんの置物は二種類あり、ピンときた方にしました。
この日は、出発からタイミングの良いことが連続で続いており、後で考えて見ればこれは全て楠公さんのお力添えだったのではなかろうかと、明らかに楠公さん贔屓(笑)
自転車を担いでの移動が多い輪行は、毎回重さとの格闘で至る所に内出血の痕がある有り様(^^;
そんな一苦労が当たり前の輪行で、乗った車両のすぐ近くにエレベーターがあったり、乗り継ぎの良い列車に乗れたり、降りた出口がドンピシャの場所だったりと、まぁ、これでもかというくらいにスムーズに事が運びました。
境内に入るなり御祈祷も始まり、いやはや、もう楠公さんの男前っぷりは天井知らず。
どこまでも、男気溢れる楠公さん。
どんな時でも、清々しいくらいに男前な楠公さん。
今世で、小楠公さんと久子夫人と仲良く暮らして下さっていれば、それが私の一番の望みです。
(武士Aのささやかな願い(笑))
5年前、自ら退職したにもかかわらず、失った仕事の穴の大きさに打ちのめされていたどん底の私。
そんな私に退職祝いにと、シロンプトンをプレゼントしてくれ輪行なるものを教えてくれた主人。
あれから5年。
こうして参拝を続けさせていただけていることが自分でも信じられず、5年前の私に『失ったものはあるけれど、得たものもあり、心配せずとも良い』と。
全ての経験は無駄ではなく、辛いことも悲しいことも嬉しいことも、生きて肉体があり体験ができるからこそ。
そんな当たり前のことに気付けるようになったのも、参拝を通してのことであり、やはり私には生涯を通じて参拝することは切っても切り離せない気がします。
きっかけを作ってくれた主人。
そして、楠公さんのお導きに感謝。
改めて見えない方々にも、感謝☆