次なる目的地へ向かう道すがら、キレイな水を見ると『カニやカニや』と大騒ぎする息子。
いました!
こちらが遊んでいるのか、遊んでもらっているのか(笑)
さて、カニさんとサヨナラした後は今日の一番の目的地へ。
こちらの凛々しい銅像は、私の撮影技術に難ありですが楠木正成公。
楠公さん!
【観心寺】
観心寺を知ったのは、数年前の神呪寺での境内。
御本尊の如意輪観音は日本三大如意輪観音に数えられており、全て関西圏。
兵庫県西宮市の神呪寺
出来れば年内には参拝させていただければと思います。
今回どういった経緯で観心寺と楠公さんの繋がりに気付いたのかは、もう自分のことながら記憶も定かではないのですが、知った時の驚きたるや筆舌に尽くしがたく。
もうこれは早々に参拝させていただかなくてはとGoogleマップで場所を確認したところ、瀧谷不動尊と同じ河内長野市。
有り難いタイミングに、嬉しさ倍増でのお参りです。
さて、境内に戻って観心寺はお花のお寺だそうで、こちらの木の札のお花は絵ではなく彫り物。
見事としか言いようのない彫り物。
朱色の楼門と相まって、入り口からとても華やかです。
【手水舎】
境内は木々が多く心地の良い空間。
観心寺は楠公さんが8歳~15歳まで仏門や学問を学ばれたお寺。
楠公さんの礎となる場所ではなかろうかと思われます。
そんな予備知識もあり、もっとピリッと張り詰めた雰囲気のお寺かと想像していましたが、
お堂の中も、境内もとても柔らかな雰囲気。
お香はご覧の通り立てるのではなく、寝かせて置く形状で初めて見ました。
火傷の心配が無くて良いですね。
阿字観が出来るそうで、ちょっと気になります。
いや、だいぶです(笑)
お堂の中の全体像を撮り忘れてしまっていましたが、畳敷きになっており、この空間がおばあちゃんの家に来たような、ゴロゴロここで寝てしまいたくなるような、それはそれはとても心地の良い空間で、その感覚はどうやら私だけではなかったよう。
残る家族3名も、畳に座って『なんか落ち着くなー。』と、なかなか動く気配がなく、出来ればそのまま4人で雑魚寝をしてお昼寝をしたかったくらいです(笑)
さすがにそんな失礼な事はしませんが、本当に心地の良い空間でした。
お堂内には、授与品が置かれており私と息子が間髪入れずに『これ!』と頂いて帰ったのはこちらの七福神のおみくじ。
私はここ最近とっても気になる弁財天さんで、息子は一目見て気に入ったと毘沙門天さんをいただいてきました。
あとで知りましたが、楠公さんは毘沙門天の申し子と言われているそうです。
金堂のそばに弁天堂がありました。
一言お断りを入れて、マイ弁財天様と一緒に撮らせていただきました。
菊水紋は楠家の家紋。
菊は言わずもがな天皇家の家紋。
弁天堂より御本尊がお祀りされている金堂を望む。
弁天堂の右手には阿弥陀堂。
その隣にある御影堂、行者堂、納骨堂の周りには、
このように番号の書かれた石畳が敷き詰められており、お砂踏みが出来るようになっていました。
更にその右手には、楠公さんが忠誠を誓った南朝の後醍醐天皇の嫡男、後村上天皇陵へと続く石階段。
後村上天皇陵へと続く石階段の途中に観心寺を創建された【道興大師御廟】
空海の十大弟子の一人。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。
【出典元:実恵 - Wikipedia】
静かな場所でお休みになられています。
こちらは、立札を見て息をのんでしまいましたが楠木正成公の首塚。
側にある文字の意味が気になり調べてみました。
非利法權天(ひりほうけんてん)
『非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ』
という意。
天道に従って行動すべきであるということ。
楠公さんが旗印とされていたそうです。
どこまでも格好の良い楠公さんです。
【本願堂(開山堂)】
【建掛堂】
金堂付近のお堂を全て拝観し、ベンチで気持ち良くうたた寝していた主人と娘と合流。
不思議大好きな息子は、気付けば参拝の途中から私の後を付いてきており、私にちょっと面白いものがあるから付いてきてと向った先にあったのがこちら。
本来であれば、一の貪狼星から始まるのですが、またしてもここでお寺の方から息子が声をかけられ、ここ観心寺の星塚と空海さんとの関係、そこから繋がる高野山と法隆寺の話しへと色々と詳しく説明して下さいました。
観心寺は高野山の真北に位置するいわば高野山の守護のような存在。
聞いているだけでワクワクが止まらず、息子にかこつけてメチャクチャお話しを聞かせて頂きました。
そんなこともあり、写真は見事に撮り忘れ(^^;
二の巨門星から。
三 禄存星
三までは平坦な場所でしたが、ここから金堂裏手のお山へと入っていきます。
四 文曲星
五 廉貞星
六 武曲星
七 破軍星
七つの星塚を巡った後の総仕上げ。
鎮守堂である訶梨帝母天堂へ参拝して、星塚巡りは一巡となると伺いました。
年の初めに星塚巡りをすることによって一年の厄を祓えるとのことで、私達家族は8月での星塚巡りでしたので今年残りの4か月の厄祓いとなっていればありがたく。
年明けにまた参拝下さいと、お寺の方にお声がけいただきましたのでまた参拝に越させていただこうと思います。
それにしても、星田妙見宮、堀越神社、そしてここ観心寺と、今年に入って北辰に関係する事柄に見事に繋がります。
この流れを大切に、素直に従っていこうと思います。
ふと見ると、またしても奇怪な動きのこの方(笑)
いつ見ても楽しそうというか、面白い(笑)
霊宝館付近で先程お声掛け頂いたお寺の方にお会いし、霊宝館にも寄らせて頂きました。
館内は撮影禁止でしたが、こんなに素晴らしいものをこんなに間近に拝観させて頂いて良いのだろうかと、それこそ写真を撮るよりも目の前の仏像や楠公さん縁の品々に目が釘付け。
霊宝観の先、一番奥まった場所にある【恩賜講堂】
中に入ることは出来ず、どういった類のお堂なのかは参拝時には分からなかったのですが、昭和天皇より下賜された部材で建てられたお堂のようです。
昭和3年(1928年)、京都御苑で行われた昭和天皇即位の大礼。
その際に建てられた大饗宴(きょうえん)場の木材や装飾品が下賜され、この講堂が建てられた。橿原神宮と関西大学にも下賜され、会館などが建てられたが、既に解体されており、当時の饗宴場の姿をうかがわせるのは観心寺の恩賜講堂だけになっている。
橿原神宮にも下賜されていたとあり、橿原神宮と言えば、橿原神宮の創建に関わられた明治天皇。
明治天皇は吉野神宮の創立を仰せられ、吉野神宮の御祭神は後醍醐天皇。
その楠公さん縁のお寺に、明治天皇の孫であられる昭和天皇より下賜された
部材は、橿原神宮にも下賜されており、時を経ても残るものは『思い』ということに、気付かされます。
霊宝館付近には、このような石像が点在していました。
全くの無知ですので、どういった石像なのかは分からないのですが、息子と二人『アジアっぽい。』という一言で落ち着きました(笑)
こちらの場所では月に数回占いが開かれているようで、この日はその数回ある占いの日だったようです。
気になりましたが、今日は家族での参拝。
待たせるわけにはいきませんので、またいつの日にかご縁があれば。
参拝も終わり、これからアイスを買いに行くと聞いてご機嫌な息子の後ろ姿。
この方から楽しみを奪ってしまっては何も残りません(笑)
楠公さんのお寺で、ご機嫌な一日となって良かった。
また飛んでる(笑)
そのおおよそ100年後に空海さんが国家の安泰と国民の厄除の為に如意輪観音菩薩を刻んで本尊とされ、更にそのおおよそ500年後に幼少期の楠公さんが学びを深められた場所。
長い年月をかけて伝えられてきたものは、きっと『思い』
その思いを、感じられたような良きお参りとなりました。
楠公さん、ありがとうございました☆