シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/河内長野市】烏帽子形八幡神社

知らない道をシロンプトンでウロチョロするのが楽しく、橋の上から高野街道近くの古めかしい街並みを撮影。

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細い道をくねくねと進み、ふと右横に伸びる道に目をやると道の奥先に鳥居を発見!
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目的地の烏帽子形八幡神社の鳥居でした。
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参道沿いに恵比須神社があり、まずはご挨拶。
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感覚の狭い石段が並んでおり、久々の参拝というのもあってなんだか感慨ひとしお。
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石段を上がってすぐの場所は割拝殿となっており、突如として現れる鈴緒。
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後ろを振り返るとご覧の通り、スッキリとした参道が気持ちの良い境内です。
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手水舎の水はセンサー式。
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御本殿には素盞鳴命、足仲彦命、神功皇后応神天皇がお祀りされており、足中彦命は仲哀天皇であり神功皇后の夫、そして神功皇后との御子息が応神天皇となります。

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本殿から振り返った先には割拝殿。
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こちらは手水舎と同様、近付くと水は出ませんが灯りがつく仕組み。

楠公武威松』
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読んで字のごとく、楠公さんに関わりのある木だということが分かりました。

境内には楠公さんが湊川の戦いに出陣した際に、武運を祈願して植えたとされる樹齢約600年の松があったのだそう。

ただ残念なことに昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れてしまったそうで、その松の幹が飾られていました。

灯りで照らされているのもあるのかもしれませんが、幹だけになってしまった姿であっても生きているような、なんとも生命力のある感じがしました。

 

さてこちらは朱塗りの鳥居と言えばのお稲荷さん。

【烏帽子形八幡神社
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境内は烏帽子山裾に沿うように横長にお社が配置されています。

まさにお山を拝む形の烏帽子形八幡神社
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烏帽子形山の山頂には城跡があり、楠公さんが後醍醐天皇の呼び掛けに応じ、鎌倉幕府への抵抗の拠点とするために築城した楠木七城(くすのきしちじょう)の一つになります。

現在の大阪府南河内郡千早赤阪村・富田林市・河内長野市にかけて城跡があり、今までご縁のなかった土地ばかりですが、また機会を見つけて。
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この日は月曜日。

生憎と社務所は開いていませんでした。
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方角からすると向かいのお山は千早赤阪村方面になるかと思われます。
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楠公さんが築城された千早城や、幼少期に学ばれた観心寺など在りし日の楠公さんの思い出が詰まった千早赤阪村河内長野市の土地。

全く縁も所縁もない大阪南部の土地に一人出かける日が来ようとは、本当に人生何があるかなんて本人すらも分かりません。


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『徳は孤ならず、必ず隣有り』(論語里仁篇より)

徳のある人は決して孤立することはない。

いつの日か、またはどこかで、必ず理解し共鳴する人が現れてくるものである、

ということであって、信念をもって正しいと思ったことを断じて行わんとする孔子の力強い章句である。

 

まさに楠公さんに向けられたかのような孔子先生のお言葉。

 

私はと言えば、これといった信念もなく輪番制で回ってきた自治会会長職。

私が願うのはただ一つ。

全体が少しでもより良い方に向かうよう、間をとって和を成すこと。

 

これがなかなか難しく、あちらの顔を立てればこちらの顔が立たず、あっちへふらりこっちへふらりの対応で、とうとう毅然と振舞うようにと言われてしまう有り様(^^;

 

ただ、全に我は必要なく、我がある故に全が正しく機能しないとは私の考えで

全体がより良い方向に向かう為には、我は不要。

頼りない会長ですが、今より少しでも良くならないか、少しでも楽しめないかと試行錯誤しております。

 

楠公さんは最後の最後まで後醍醐天皇に忠誠を尽くされました。

輪番会長職の私にはそんな崇高な理念も信念もありませんが、全体の和の為に我は不要

ということだけは、肚で分かった次第です。

 

さて、気付けばお昼を過ぎてしまい、お腹も空いてきました。

ひとまず河内長野駅に向かって、つづきます!