右手に阿蘇海を眺めながら、のんびりサイクリング。
何も遮るものがない景色は最高!です。
天橋立を走りながら、
『いったいどこが橋なん?』
『橋ないやん。海やん』
と息子。
天橋立のネーミングが自分の想像とはあまりにも違う為、釈然としない模様(笑)
この日デビューのブロンプトン専用鞄。
ハンドルに装着するのではない為、ハンドル操作が楽な上に重くなく、更に鞄の容量が恐ろしくある為、みんなの荷物が何でもかんでも入ってしまい、私は荷物持ち(笑)
リュック特有の背中の暑さとは無縁の、とても優秀な鞄です。
この鞄があれば1泊ぐらいは出来ちゃいそうで、どんどん自転車にハマっていくのが他人事のようですが、面白い(笑)
さて、そんな便利な自転車を走らせていると『名水百選 磯清水』の石碑を発見。
こちらの磯清水、周りは見事に海なのにもかかわらず、真水が湧き出ているという不思議なお水。
それだけでも充分面白く、飲用できれば尚良かったのですが、現在は地下水であることを理由に飲用は不可とされていました。
残念です。
さて、その磯清水が湧き出ている側に天橋立神社はありました。
案内板より
天橋立神社の所在する場所は天橋立の濃松と呼ぶ地点にあたる。
近くに真水がわくことから磯清水とよばれる井戸があり、磯清水神社ともいわれてきた。
当社の祭神は、明治時代の京都府神社明細帳では伊弉諾命とされ、江戸時代の地誌類では、かつては本殿の左右に祠があり、本殿の祭神を豊受大神、向かって左は大川大明神、右は八大龍王(海神)とする。
当社は、知恩寺境内にあったものを天橋立内のこの地に移したという説がある。
確かに、江戸時代前期の天橋立図屏風には、当地に社殿風の建物が描かれるとともに知恩寺境内に鳥居が描かれていて社殿が存在する。
一方、南北朝期の「慕帰絵詞」に描かれていた天橋立の図や雪舟筆「天橋立図」には、すでに当地に社殿が描かれており、江戸時代中期の「与謝之大絵図」や「丹後国天橋立之図」には、当地に「橋立明神」の文字も記されているため、中世半ば以降には当地に鎮座すると考えられる。
いずれにしても、天橋立は江戸時代には知恩寺の境内地であり、天橋立神社も知恩寺に属する神社であった。
現在の社殿は明治45年の再建になる。当社の参道は社殿から南西方向に進み、阿蘇海に達する地点に石造りの鳥居が立つ。
鳥居の石材は花崗岩で形態は明神型、「吉津村誌」によると慶安4年(1651)の造立、願主は智恩寺住持南宗ほかの銘が記されているが、鳥居表面の風化が著しく、現在これを読むことはできない。
年代を感じる狛犬さんです。
新しいモノにはない、古いモノならではの良さ。
どちらが良い悪いではなく、どちらに自分は魅力を感じるのか。
中心に本殿
案内板によると、以前はこの本殿の向かって左に大川大明神、右に八大龍王(海神)の祠があったようです。
大川大明神が気になり調べてみたところ、宮津市の近く舞鶴市に大川神社を見つけました。
【大川神社】
相殿:句句廼馳神(木神)、軻遇突智神(火神)、埴山姫神(土神)、金山彦神(金神)、罔象水神(水神)
相殿の神様の属性をよく見ると、五元素。
五行思想に繋がります。
偶然にも天橋立神社の前に訪れていた大谷寺で五色不動の存在を知り、こちらも
白(金)・黒(水)・赤(火)・青(木)・黄(土)
の五行思想。
五行については全く詳しくはありませんが、何か繋がりがあるような気がしなくもなく。
もし私にとって必要であれば、これからもこういったサインがあるのかもしれません。
それ以前に、そのサインに私が気付けるかどうかというのもあるのですが・・・(^^;
ちなみに、『五』繋がりで一つ気になることと言えば、祖父が亡くなった後、背中に五芒星の刻印のようなものを入れられた夢を見ました。
その夢があまりにも生々しく、目が覚めてからも夢か現実なのかのフワフワした思考で思わず鏡で背中を見ていました。
五芒星がないことにホッとする半面、残念な気持ちも半分、な複雑な気分だった気がします。
随分と話しが反れてしまいましたが、やはりこうやって色々と気付くきっかけになるのがお参りの醍醐味とでもいいましょうか。
もちろん現地で感じることも大きく、ただ、こうやって文章を起こしていくことで見えてくること、気付くことが私にとってはとてつもなく大事な時間なような気がします。
写真のストックが徐々に溜まってきており、ブログに起こさねば!と、別に誰に頼まれたわけでも、ましてや仕事でもないのですが、PCに向かって、自分の内を覗き込む感覚。
きっと、私はこの作業が好きなのでしょう。
まだまだ記事に出来ていないモノが沢山あり少々腰は重いのですが、適当に流してしまうと見えるモノも見えなくなってしまう為、ここは落ち着いて。
と自分に言い聞かせて、天橋立シリーズは完と致します。
お次は、週末の滋賀。
御朱印を頂いてまだお参りの出来ていない蝉丸神社です。