シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【和歌山/伊都郡高野町】日本三大仇討の一つ、鬼王の墓

丹生都比売神社へ向かう道すがら、何気なく目にした先に見えた『鬼王団三郎の墓』の文字。

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前回の元伊勢三社巡りで、大江山の鬼退治の話しを知り、今回の高野山へ向かう道中では父鬼という地名を通り、そしてその日は奇しくも鬼滅の刃の無限列車編の放送開始日。

 

何とも続く鬼繋がりに、鬼王の墓の文字。

 

息子がどうしても気になると言うので、丹生都比売神社のお参り後に立ち寄ることにしました。

 

これが、まぁ、もう道なき道を進む感じで(実際、雑草がボーボーで全く道はなく、雑草を踏み分けて自分の足で道を作るしかない状況。)、私と娘はレギンスを穿いているから良いものの、ハーフパンツの息子にくるぶし丈のパンツを穿いた主人は、まぁそれはもう蚊からしたら、超ラッキーなご馳走でした(笑)

 

距離にすればほんの少しなのですが、いかんせん道が悪くやっとの思いで着いたこちらの一帯が西行褄娘宝篋印塔と鬼王団三郎の墓のようです。
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そもそも、厳めしい名前の鬼王とは?

以下転載です。

 

源義朝(みなもとのよしとも)が平治の乱に敗れ、その家臣である鬼王七郎左衛門(おにおうしちろうざえもん)も東国に落ち、今の匝瑳(そうさ)市(千葉県)山桑に逃れた。

 

七郎左衛門には鬼王丸・団三郎の二子があり、共に父の遺命(いめい)で伊豆の河津祐泰(かわずひろやす)に仕えた。祐泰には十郎・五郎の二子があり鬼王丸は五郎を、団三郎は十郎をお守りした。

 

 安元二年(1176)祐泰は、伊豆の狩り場で工藤祐経(くどうひろつね)に殺された。十郎・五郎兄弟の母親は、後に曽我祐信(そがひろのぶ)に嫁ぎ、曽我の姓を名乗ったあとも、鬼王丸・団三郎兄弟は引続き曽我兄弟に仕えていた。

 

 建久四年(1193)、富士の裾野(すその)の巻狩りで工藤祐経を殺し、父の仇(あだ)を討ったが、十郎は討たれ、五郎は捕われた後に殺された。

鬼王丸・団三郎兄弟は、十郎・五郎の遺骨を携えて山桑に帰り、ねんごろに葬ったという。現在でも鬼王家の墓地には曽我兄弟の墓がある。

 なお、曽我物語で、十郎の妾(めかけ)として登場する大磯の虎御前が、この山桑を訪れ鬼王家に七年間も滞在し、曽我兄弟の冥福(めいふく)を祈ったといわれている。虎御前が用いたうちかけは、今も残るという。

 

【出典元:曽我兄弟の墓(そがきょうだいのはか) | 匝瑳市公式ホームページ

 

『鬼王丸・団三郎兄弟は主人である十郎・五郎の遺骨を千葉県山桑でねんごろに葬った』

とありますが、宝篋印塔そばの解説板には高野山へ遺骨を納めたとあります。

 

下記、解説板の内容です。

 

二基の宝篋印塔は、西行の妻と娘を供養した碑で、和歌山県文化財に指定されています。
向かって右より二基は、応安5年(1372)建立され、左二基は文安6年(1449)に建立されました。
後方の数多くの五輪は、曽我兄弟の郎党、鬼王・団三郎を供養した碑です。
二人の郎党は、主人の遺骨を高野山に納めた後、天野のこの地で生涯を終えたと伝えられています。

 

遺骨を葬った場所が、千葉の山桑、はたまた高野山のどちらになるのかは分かりませんが、遠く離れた千葉での出来事が(曾我兄弟の仇討ちと言われており、日本三大仇討の一つに数えられるそうです。)時間を、場所を越えて浮かんでくるようで、こんなところが歴史の面白さでもあります。

 

さて、左奥にあるのは五輪塔に見えますが、他のものは少し形状が異なっており、こちらが宝篋印塔とよばれるものになるようです。

 

ここで五輪塔と宝篋印塔の違いが気になり調べてみました。

 

五輪塔平安時代から鎌倉時代に多く作られた「供養塔」(くようとう)です。供養とは亡くなった人の「たましい」をなぐさめることです。五輪塔平安時代の中頃から作られましたが、関東地方では鎌倉時代に多く作られました。供養されているのは庶民ではなく、ほとんどが武士です。

五つの石は下から「地」「水」「火」「風」「空」の宇宙をあらわしています。供養のためですから、遺体を埋めたり火葬されたお骨が無い場合が多いのですが、ときどき骨や骨壺が(こつつぼ)埋められているものもあります。

 

宝篋印塔も五輪塔と同じように、先祖や亡くなった人の魂をなぐさめるために作られたものですが、卒塔婆(そとうば)をかたどっていると言われています。卒塔婆とはお釈迦様(おしゃかさま)の骨(仏舎利=ぶっしゃりと言います)をおさめた塔のことで、お寺によく見る三重や五重塔も同じです。ですから、石の中に穴をくりぬいてお経を入れたものもあります。よく見ると真ん中の石にもようが彫ってありますが、それは梵字(ぼんじ)と言って古代のインドの文字(サンスクリット)です。この絵の梵字は「アク」と読み「釈迦如来」(しゃかにょらい=おしゃかさま)をあらわしています。

【出典元:Welcome to Adobe GoLive 6】(五輪塔と宝篋印塔)

 

いずれにしても、魂を供養するということに違いはないようで、この場所に来れたことに感謝の気持ちを心に、家族全員で手を合わせてきました。

 

実はこの場所に来るまでに嬉しいハプニングがあり、目に見えてのご褒美。

鞍馬山、元伊勢三社、そして今回の鬼王の墓でのお参りで、同じ現象が三回。

偶然なのかもしれませんが、私の中で3回続くとそれはもう偶然ではなく必然。

 

ありがたいご縁に感謝です。

 

さて、鬼王の墓を後に正面に朱塗りの輪橋が見える丹生都比売神社の駐車場へと向かい今回はここまで。

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年内に高野山リベンジなるか?