何度か車で前は通ったことはあるもののいつも素通りだった
『疣水磯良(いぼみずいそら)神社』
曇天を利用してシロンプトンでお参りしてきました。
『阿』の狛犬さんに
口が閉じるどころか、こぼれんばかりの歯が並んでいる狛犬さん『吽』
境内がとても気持ち良いので、拝殿前ですでにワクワクします。
御祭神は『磯良大神(いそらのおおかみ)』
こちらが拝殿です。
良く見ると、拝殿前にあるお賽銭箱の中央部分がくりぬかれて貝が入っています。
なんででしょ?
頭上の灯にも貝の紋が入っています。
気になって調べてみたところ、磯良神社の御祭神『磯良大神』は九州安曇氏の祖神であり、神功皇后が三韓(百済、新羅、高句麗)へ御征途の際、住吉三神(海の神様ですね)とともに水先案内をつとめられたそうです。磯良大神は海の神様であり、その象徴としての『貝』になるようです。となると、『磯良大神』の『磯』の字が使われている事にも納得です。
そして、拝殿右側には一緒に航海した神功皇后と住吉大神のお社がありました。
神社の背景が分かれば、何故ここにお祭りされているのか納得ですね。やっぱり歴史は面白い!(^^)!
拝殿から後ろを振り返ると、入ってきた鳥居とは別の鳥居を南側に発見。
私が入ってきた鳥居はバス通り沿いに面した西側のこちらの大鳥居。
別の鳥居に向かう道すがら、右手の手水舎後ろに気になる文字を発見!
御神水がいただけるようです!
こちらの説明書きを読むと、
初めての祈願の方は、受付で御祈祷をお申し込み下さい。
とあります。
受付で神社の方に聞いてみると、祈願が無い場合(病気平癒等)は、そのままお水を汲んで拝殿横にお供えすればすればよいとのこと。
こちらの紙コップでも御神水を頂けるそうですが、水筒を持っていたのでお茶をガブガブと飲み干して、ありがだくお水をいただくことに。(但し書きにもありますが、御神水で容器は洗えません。)
そして拝殿横のこちらの御神水台で蓋を開けたままお供えします。
疣水神社の御神水 霊泉『玉の井』は『疣水』と呼ばれて、疣にはもちろんのこと
諸病平癒に霊験あらたかな御神水として知られているようで、次のような伝承が残っています。
神功皇后が三韓への御征途に際し、こちらの『玉の井』で顔を洗われたところ美しい顔がみるみる疣や吹き出物で覆われて見にくい男のような姿になってしまったとか。おかげで敵に侮られることなく戦果をおさめ、帰途に際して再びこちらの『玉の井』で顔を洗うと元の美しい顔に戻られたと伝えられているそうです。
ありがたいお水を頂くことが出来ました!(^^)!
では、南側の鳥居を目指します。
一つ目の鳥居。
二つ目の鳥居。
の後ろに見えるのは霊泉『玉の井』です。きっちりと施錠されており中は見れませんでした。
霊泉『玉の井』の神様だと思われます。
左から玉水明神、玉之井神、玉光明神がお祭りされています。
こちらのお社の台座になっている石の上に、何だか文字が彫られていました。
落書き?
真っすぐ進むと、右手に社務所が見えます。
こちらで御朱印を頂きました。
こちらは拝殿右横にある朱塗りの鳥居といえば、お稲荷さん。
『桜姫稲荷神社』
同じ敷地内に『長藤大明神』とお地蔵さんがお祭りされていました。
そして、こちらのお稲荷さんの近くに『磯良いぼざくら』の石碑が。
境内左側の住吉社近くにも『いぼ櫻』の石碑がありました。
神功皇后が植えられたと伝えられている山桜の変種『井保桜』。
八重咲で花弁は二十三枚を超える大変珍しい桜だったとか。国の天然記念物に指定されていたようですが、昭和十九年には枯れてしまったそうです・・・。先日お参りした本照寺の富寿栄の松も枯れてしまっていましたが、どちらも残った樹で保存に向けて動かれているとか!私が見ることはないでしょうが、いつの日か在りし日の美しさが蘇ればいいなと思います。
御朱印帳のページがなかった為、半紙に書いて頂きました。
お次は、目と鼻の先にある『新屋坐天照御魂神社』へ向かいます。