自宅から自転車でスイスイと。
向かった先は高槻市にある金龍(こんりゅう)寺跡。
金龍寺跡へと向かう太閤道ハイキングコース入り口はこのまま左折して、緑水会病院の裏手にありました。
山道と並行するように川が流れており、ほどなくしてその川沿いに大きな岩が見えてきました。
こんなところで巨石に会えるとは思ってもいなかった為、ワクワク。
岩の中腹に何かお祀りされているような
ズーム!
左側の不動明王だけは分かりましたが、あとは分かりませんでした。
そして、すぐそばには鳥居。
石碑には三好大明神と彫られています。
三好と聞いて思い浮かぶのは、高槻市の摂津峡近く、山頂に芥川山城があった三好山があります。
そして、その芥川山城の歴代城主の中に三好長慶の名前。
関係があるのでしょうか。
そして、その石碑の右手には小さいながらも滝が。
来た道を戻り、山道を上がっていくと周りの木とは異なる立派な根の木が一本、山道沿いに。
今日はこの木の下でお昼ご飯。
下を覗くと川が流れており、先程お参りした三好大明神の真上にあたる場所でした。
ここからは気持ちの良い山道が続きます。
そして、見事な根の木がたくさん。
木の根に守られるようにお花が。
岩を抱え込むような木
木に夢中な私に代わって、息子が大きな岩を見つけた模様。
ここまで一本道の為、道に迷うことはありませんが金龍寺への道標のプレーと見て目的地に向かっていることを確信。
山道沿いに『座禅石』なるものがありました。
ここに来て道標はないものの、道が二手に分かれています。
石段があるほうが金龍寺への参道だろうと判断して、左の道を進むことに。
2年前の大阪北部地震や台風の影響なのか、痛々しい木が至る所に見られます。
ここはきっと池だったのではないかと思う場所がありました。
石梯子を渡った先には石仏が二体お祀りされていました。
先程通ってきた川の側に不動明王がお祀りされていたことを考えると、この池のような跡にお祀りされている石仏は弁財天でしょうか。
先を進むと、左手には圧倒される根に枝ぶりの木。
石階段は荒れ果てており、この荒廃ぶりが信じられないくらいにこの場所はとても神聖な気がします。
石階段を上がると、一変して開けた場所に出てきました。
ぐるりと広場になったような場所を見渡すと、一体の石仏が。
石垣が残っていたり、
崩れた石塔があったりと
更に標識からすると、この開けた場所が金龍寺跡地になるようです。
登山道付近にあった案内板に昭和58年、心ないハイカーの火の不始末で焼失してしまったとありました。
残念です。
それにしても、この金龍寺跡の開けた場所の木もそうですが、ここに至るまでの山道までの木もたいそう立派で気持ちの良い木ばかりな事に驚かされます。
先に進むと、金龍寺の和尚さんだと思われる方のお墓が金龍寺を上部から見守るようにありました。
痛々しい荒廃ぶりです。
このまま来た道を戻るのも・・・。
ということで、以前サイクリングに来た安満宮山古墳側へ降りるルートへ。
帰ってから分かったことですが、若山神社(桜が綺麗な神社です)へ向かう道を辿ると岩神神社という磐座をご神体とした神社があったようで、こちらは次回のお楽しみです。
下山コースは先程までの山道とはうって変わって、『ハイキングコースです。』といった感じで雰囲気が全く違います。
行きはもののけ姫に出てくる山のような感じがしました。
下山ルートの途中に見晴らしの良い場所がありました。
正面に見える白い建物のある山が阿武山。
藤原鎌足公の墳墓と言われる阿生山古墳のある山です。
サイクリングの帰り道、いつもでは見られないくらいに川沿いや公園には散歩を楽しむ人が沢山でコロナ騒動が無ければとても素敵な光景なのに、でもコロナ騒動中だから地元で楽しむ人が沢山なんだと思うと、なんとも複雑な気分で、それでも外に出て過ごしている姿を見るのはやはり良いものだと思いました。
三密の状況でなければ良いのではないかと思う反面、こうしてお山に行けるのも今週で当分は終わりかもしれないと思うくらいに、コロナ騒動は好転するどころか数字を見ているだけでは悪化していることに世情に疎い私も感じます。
今まで、毎週のようにお参りに行けていたことも当たり前ではなかった、と今更ながらに思います。