近江神宮へ戻る道すがら見つけたす福皇子神社。
娘との合流までにお参り出来そうです。
立ち寄ることに。
由緒書き
【由緒書きより】
平安朝初期の最も優れた文学者で三十六歌仙の一人、「古今集」の代表歌人で、選者。
大和の守紀望行の二男に生まれる。
延長八年(930)正月、土佐の守となり赴任、承平四年(934)十二月任を終えて帰京の途、「土佐日記」を紀行、翌年十二月に入洛、その徳を慕いて一小祠を建て神霊を鎮め祀る。
その後この地に勧請せらる。承応六年(1657)に再興。
藤原時代の歌人にして、「古今集」の選者、「新撰和歌集」を著した。
晩年、比叡山中腹裳立山に幽栖す。勧請以来千有余に当たり、昭和二十七年近府県の歌人関係者に呼びかけ、全町民挙げて千年記念奉祀大祭を斉行した。
社頭掲示
福王子神社の御祭神である紀貫之公は、平安時代初期の代表的歌人。
古今和歌集の選者の一人で、初めて和文で著した同歌集の仮名序は、土佐日記と共に日本語文化に大きな影響を与えている。
貫之と謡曲との関係は深い。
「蟻通」「菓子洗小町」では脇役として登場し、引用されている和歌は「西行楼」「桜川」「志賀」「融」「龍田」など十指にも及ぶ。
当神社に貫之が御祭神として、いつ、なぜ勧請されたかは定かではない。が、当地を訪れたことは、近隣の逢坂山や志賀山で和歌を詠んでいることから明白であり、それが謡曲で謡われている。
仮名序で論評された六歌仙の一人、大伴黒主を祀った神社が、奇しくも谷川一つ隔てて建っている。
昭和二十七年(1952)、両祭神の「千年祭」が当地で盛大に開催されており、「古歌の里」が末永く繁栄するよう祈りたい。
謡曲史跡保存会
参道を入ると、チェーンソーの音が聞こえてきました。
境内のお手入れをされているようです。
鳥居の大きさから想像していたよりも小さいお社。
ただ、個人的にこの狛犬さんはラブ❤でした。
ふとお社の左手に目をやると、歌が刻まれた石碑が。
以前の私であれば、全く興味も湧かなかった事だろうと思います。
間違いなく娘の影響(笑)
それにしても、どこかで聞いたことのあるような歌。
調べてみました。
人はいさ 心も知らず
ふるさとは 花ぞ昔の
香に匂ひける
【現代語訳】
人の心は さあどうだか知りませんが 古都は梅の花が昔と変わらない香りを漂わせていますよ
大好きな小倉山荘さんから引用させて頂きました。
美味しいお煎餅の小倉山荘。
子供と買いに行くと、子供にお菓子をサービスして下さいます♪
実家への帰省土産、引っ越し時のご近所さんへのご挨拶、ちょっとした手土産に・・・。
と随分とお世話になっていますが、それこそ今まで百人一首と関連付けて考えたことはなかっただけに新鮮です。
さて、こちらの皇子山神社ですが、お社は小さいものの境内は広く、ビックリしたことにあちらこちらに古墳がそのままむき出しで点在しています。
この一帯は福王子遺跡と呼ばれている個所のようです。
百穴古墳群といい、今日は思わぬところで古墳DAY。
これだけの古墳があるということは、人が沢山住んでいたということで、山、水、そしてその恩恵を受けた肥沃な土地に恵まれた文明的に栄えた土地だったのではなかろうかと思われます。
さて、境内を散策していたところ足元に標識を見つけました。
大伴黒主神社
つづきます。