私のお参り事情が少し変わってきたようで、ありがたいことに友達からお参りのお誘い。
【出雲大神宮】
前回は2年前のひふみ(1月23日)の日に家族と一緒にお参りに行っていたようです。
今回は2年前には時間が足りずお参りに行けなかった奥宮へ、念願叶ってのお参り。
拝殿へ進むとちょうど祝詞をあげられており、友達と二人贅沢な時間。
祝詞が終わり、御祈祷の初めの方の住所が実家のある近くでこれまたビックリでした。
ありがとうございます。
出雲大神宮は二度目ですが、前回も感じたことは良いお山だということ。
参道の所々に注連縄をかけられた岩があり、自然と共にあらんと思います。
岩のそばに木。
私の中ではエネルギー循環のような位置づけなのですが、どうなのでしょうか。
このまま進んで2分もしないうちに仰々しい飾りもなく磐座。
圧倒される佇まい。
自然と一体化。
磐座の奥に見えるのは境内図からすると古墳になるそうです。
前日が雨だったこともありますが、境内はとても清々しく平日の午前中ということもあって人もまばら。
『神は細部に宿る』ではないですが、『神は自身と共にある』と感じる空間。
神は、サムシンググレートでも、イエス様でも、自身の信じる何でも良いのだと思うのですが、そして私も神という言葉を軽々しく使うのは気が引けるのですが、良い言葉が思いつきません。
目に見えなくとも良く、そして特別なものではなく、ただ正しく生きていくことがその見えない何かと自身が共にあるのだと思います。
その、『正しく生きていく』ことが難しくもあるのですが―(笑)
木の根
岩
そして水
当たり前の自然の風景なのですが、お参りするようになってから気付けば気になる存在。
さて、ここからは奥宮へ。
事前に社務所で奥宮参拝への手続きを済ませ(帳面に日時、住所、電話番号を記入し、紙製のたすきをいただき、参拝料100円を納めます。)、ここからは5分程で到着です。
令和4年2月に新しく作られた鳥居。
湾曲した木
御祭神の国常立尊の立札が見えてきました。
ここからはもう声にもならないくらいの驚きと感動。
実際はちょっと喋っていましたが(笑)
目の前の磐座が気になりつつも、結界外のこの石に目が釘付け。
この子はと言ってしまってはいけないのかもしれませんが、もののけ姫に出てくるコダマのような感じがしました。
(何度も言いますが、私は見えませんし聞こえません(笑))
このコダマが気になりつつも、このコダマの親分だと思われる磐座へ。
岩、木、木の根
磐座から出ているであろうと思われる木の幹が放射状にのびており、明らかの周りの木々とは異なります。
周りの木。
鞍馬山の由岐神社でも発見した鹿子の木がそばにありました。
二股です。
何度見ても、磐座手前のこの木の根の張りが気になります。
磐座周りの木々立ちは、遠い昔の日本を伝えているかのような佇まい。
磐座周りに所々ある湾曲した木。
そして、何度見てもこの磐座の周りは異形。
l籠神社の奥宮 眞名井神社を思い出しました。
誰もいないことをいいことに、いつもより少し手を長く合わせていたところビックリしたことに身体が時計回りに揺れ出し、回転がおさまったかと思うと次は前後。
特に後ろに強く引っ張られていました。
5年ほど前になるのですが、たまたまお参りしたお寺で急に涙が溢れ(最初は涙と分からず鼻水か汗と思ったほど(笑))、悲しいわけでもないことから理由も分からず一体全体どうしたんだろうと、そのまま幼稚園終わりの息子を迎えに行くと、幼稚園皆で可愛がっていた猫が同じ時間帯にトラックに轢かれて亡くなったと聞きました。
根拠も何も無いので、猫の死=私の涙とは安易には言えませんが、今回の身体が揺れたことと言い、目に見えない何かを感じることが年々増えているのも事実です。
弁財天社がお祀りされている神池側の銀杏の木。
友達がこの空間が好きだと連れて行ってくれて、前回のお参りでは気付いていない場所だっただけにありがたく感じました。
この後は、その場の出会いで初めてのお店にランチに行き、
オープンしたばかりだという山のテラスへ連れて行っていただき、
運転が苦手な私としてはこんなにも至れり尽くせりのお参りはとても贅沢で、そして尽きることのないお喋りにとてもありがたく感じました。
一人で山へ入ったり、激坂を自転車で上ってみたり、蜘蛛の巣まみれになったり、ヒルに噛まれたり・・・。
と、傍から見たら変人なのは重々承知なのですが、そんな私にこうして声をかけてお参りに誘ってくれる友達が出来、知識はあまりありませんが、実体験でお役に立てることがあれば、と気付けば本格的なお参りから5年も経つ自身のことを振り返っていました。
私のお参りの始まりは、主人から退職祝いにと自転車をプレゼントされてから。
平成29年4月23日の湊川神社が始まり。
そして、5年後の令和4年4月23日に湊川神社と関係のある神社へとお参りに行っていました。
これを偶然と片付けるのかどうなのか。
たった今気づいた自分でも驚きですが、必要な時に必要な流れがやってくるのはもう疑いようもなく、そんなことも知識ではなく実体験として腑に落ちており、こうしてお参りさせて頂ける環境に感謝しかありません。
楠木正成公と縁のある神社へお参りです。