伊雑宮の駐車場で待つ家族と合流して、ここからは家族で参拝。
伊勢神宮への参拝が決まって数日後、何かの拍子で目にした磯部神社の文字。
位置を確認すると伊雑宮のすぐ近く。
これも何かのご縁だろうと参拝することに。
【磯部神社】
鳥居の中央には息子。
幅の広い階段を前に何か企んでいる模様(笑)
【由緒書】
由緒書きには沢山の神様の御名前が記載されております。
その中で、一番最初に記載されているのが天照大御神の第一皇子神である正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(オシホミミ)。
どこかで耳にしたことがあるお名前かと思えば、以前滋賀県で参拝した太郎坊宮の御祭神です。
境内には『八紘一宇』の石碑が。
神社を参拝することが無ければ、きっと知らなかったであろう四文字。
以前、地元高槻での参拝でその四文字に込められた意味を知りました。
境内はさほど広くはないのですが拝殿の横に空間があり、調べてみると伊勢神宮と同じく20年に一度の式年遷宮があるとのこと。
この時点で何だかただならぬ匂いがします。
創建は不明だそうですが、古くから伊雑宮の摂末社のような扱いだったようで、やはりただならぬ匂い。
明治末期頃には、神社合祀の方針により磯部郷周辺の神社を合祀して磯部郷の総社となったとされており、御祭神が四十八柱あるとされているのが納得です。
【拝殿】
拝殿前にはお供えのお塩が入れ物に入れてあり、側に置いてあるスプーンでいただけるようになっており、家族でありがたく頂いて参りました。
拝殿の左手には朱塗りの鳥居と石。
磯部神社のHPによると勾玉池と記載があり、先程参拝した伊雑宮にも勾玉池があったことから何か共通するものがあるのかもしれません。
中央に据えられた石は勾玉の中心の穴にあたるそう。
池と朱塗りの鳥居から弁財天様が連想されます。
というより奥に見える石が気になり、ほぼ石の写真ですね(笑)
こちらは境内入り口側にあった鳥居。
遥拝所とありますが、肝心要の何の遥拝所なのか写真に撮れておらず(宮址?と書かれているような)、方角からすると先程参拝した伊雑宮の遥拝所なのではなかろうかと。
さて、このあと伊勢神宮の別宮である瀧原宮へと向かうのですが、ガソリンが残り少ないにもかかわらずガソリンスタンドが見つからず、挙句の果てに進む先は道幅の狭い山道。
さすがにどうにかなるだろうとは考えられる状況にはなく、今回は参拝を見送ることに。
伊勢神宮を参拝したのは3月上旬。
気付けば4月上旬。
もう1ヵ月も前のこと。
時間の流れが早過ぎて、今までのやり方に固執していては色々と上手く回らなくなってきてしまいました。
なにせ私は我が強く、頑固。
どうしても自分が思うやり方でやろうとしてしまう癖があり、ただそれもそろそろ手放さなければならないようです。
『住み慣れた我が家』ではないですが、慣れているだけに手放すのは怖くもあり邪魔臭くもあり、でなかなか重い腰が上がりそうにはありませんが、より良くなる為の経験として前向きにやっていくしかなさそうです。
そのままとどまる自分を選ぶも良し。
より良くなる為の自分を選ぶも良し。
どちらが良くて悪いではなく、今の自分がどうしたいのか。
今の私は、どうやら後者のようです。