雄琴で足湯に浸かってポッカポカ。
車で一眠りする主人を残して息子と2人、以前タイムオーバーでお参りが出来なかった神社へテクテク歩いてお参りです。
【那波加神社】
紅葉が少し残っていますね。
写真を確認したところ、12月12日にお参りに行っていたようです。
写真を見ながら、色々と思い出してきました。
鳥居右手の紅葉の木が素晴らしく。
【拝殿】
【手水舎】
手水舎側から見た境内のおおよその全景。
【由緒書き】
社伝によれば、祭神の天太玉命はこの地に降臨し太古から鎮座したという。
老翁となった天太玉命の農事を助けるために、鹿が現れて稲の苗を背負って運んだので「苗鹿(なはか/のうか)」という社名・地名になったと伝える。当社との関わりがうかがわれるものとして、周辺には苗鹿古墳群や法光寺古墳群なども残っている。天智天皇7年(668年)に社殿造営、大同2年(807年)に荒魂社が造営されたと伝える。
仁寿元年(851年)、小槻宿禰今雄が雄琴荘を拝領して以降、当社と雄琴神社とが小槻氏の氏神とされ崇敬された。また、氏寺として建立した法光寺が当社別当寺となった。なお、法光寺境内には鎮守社として天神社があり木造男女神像(市指定文化財)が安置されているが、これらは当社の神体として作られたとする説がある。
【出典元:那波加神社 - Wikipedia】
【本殿】
配神:於知別命 (おちわけのみこと)
天太玉命といえば祭祀の神様。
天照大神の岩戸隠れの際に、活躍された神様です。
フトダマは、日本神話に登場する神。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命(あめのふとだまのみこと)と表記する。忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。
出自は『記紀』には書かれていないが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されている。
岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。
天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。
配神:於知別命 (おちわけのみこと)
文献上では「落別王」「祖別命」とも。
第11代垂仁天皇皇子で、当地を治めた小槻氏の始祖。一説には、於知別命ではなく雄琴神社祭神の今雄宿禰命が祭神であるともいわれる。
配神の於知別命 (おちわけのみこと)から、雄琴神社との繋がりが出てきました。
狛犬さんは、私の好きなちょっとムッチリな感じ。
格子の隙間から境内社をパチリと。
龍の付く龍神社は息子にとっての特別です。
その手前にお祀りされていた何の説明書きもない石。
とても丁寧にお祀りされているだけに、とても気になりました。
その右手に、こらちは扉が閉じられていましたが注連縄がかかっており、お祀りされている神様がいるのでしょうか。
私には判読不能な石碑。
恒例の拝殿の周りをぐるりと回ってみましたが、拝殿周りで特に気になる箇所は見当たりませんでした。
ただ、やはりというか木が立派ですね。
歩いていても遠目からでも分かるほどに、立派な木のある一帯が那波加神社。
お次は道路を挟んで那波加荒魂神社へ。
前回、雄琴を通過する際、Googleマップで同名の神社が道路を挟んで並んでいることに興味をもち、よく見て見ると片方は『荒魂』。
となると、もう片方は明記されていなくとも和魂。
表と裏。
陰と陽。
想像するだけで面白く。
続きます。