年明け、義父のお墓参り。
その際、ふと気になり三嶋鴨神社へ家族で参拝。
【三島鴨神社】
三島鴨神社の注連縄はちょっと他では見ない形状。
注連縄の両端が鳥居に巻き付けられており、注連縄が表すものは竜神。
その注連縄を木に巻き付けて拝むようになったことが事の発端で、その本義を伝承する三島鴨神社の注連縄は大変貴重なものになると案内には記載がありました。
以下、転載です。
日本で初めて広域的な統一王国を作った出雲族はインドから来たクナト族である。
ワニを川の神、コブラを森の神として祀り恐れた。
この二つの神が合わされて竜神信仰が生まれた。
農耕民族である彼らは、ワラで竜神を作り、木に巻き付けて拝むようになった。
当神社の注連縄は氏子さん方(注連縄保存会)の手作りです。
大鳥居の注連縄は両端が巻き付けてあり、本義を伝承する大変貴重な注連縄です。
注連縄で巻きつけた木は、御神木とされ、伐るのんは禁じられた。
水田に水を流すのは山森であり、当神社を川中島に創建したのは川と山森に対する竜神信仰と考えられる。
また、自然との共生の意味で、奪い取った米や樹木に対する命の再生を願う行いが新たな命を吹き込んだ注連縄や御神札都の暮らしである。
日本ではワニをサメ、コブラをセグロウミヘビに代えられた。
当神社を含め、出雲系神社に六角形の神紋が多い理由はセグロウミヘビの鱗の形(竜鱗紋)に由来するためである。
ワニで思い浮かぶのは、『因幡の白兎』のお話し。
ウサギはワニを利用して対岸へと渡ろうとするも、悪だくみがばれてワニに毛をむしり取られてしまうくだり。
小さい頃読み聞かせてもらった際、日本の海にワニがいることがとても違和感で、あとになって自分で本が読めるようになった時に初めて、ワニ=サメということを知り納得したことを覚えています。
ヘビと言えば、素戔嗚尊が退治した八岐大蛇が浮かびます。
三島鴨神社の境内には、どちらの神様もお祀りされてはおりませんが、出雲王朝にご縁の深い神社のようです。
さて、そんな珍しい注連縄の大鳥居をくぐると目の前には茅の輪。
何度もくぐっているだけあって家族みんな要領を得たものです。
『八の字、八の字』と言いながら、グルグル回って拝殿へと進みます。
お焚き上げをされていたのか、火がまだ残っていました。
拝殿前のにこやか笑顔の狛犬さん。


拝殿の後ろには本殿。
本殿の左手には国廣神社。
他にも摂社はまだあるのですが、国廣神社の朱塗りのお社が境内に入る前からとても気になっていました。
年明け早々、お稲荷さんの夢を見たことと関係しているのからなのか。
そして、昨年から参拝しなければと思っているお稲荷さんが二社。
輪行だと少し遠方になる為、空亡月が明けたら参拝させていただこうと思います。
それにしても、とても鮮やかな朱塗りのお社。
確か、昨年の参拝時にはこのような鮮やかな色ではなかったと思われます。
今回で三度目の参拝となりますが、三度目の正直とでもいうのでしょうか、単にお正月だったからかもしれませんが、社務所が開いており宮司さんと少しお喋り。
そして念願叶っての御朱印と、とても気になったお守りを頂いて参りました。
息子と娘様に。
こちらのカード型のタイプのお守りは10種類はあったかと思うのですが、全てデザインが異なり、祈願内容に合わせたデザインが色々とありました。
表に出ているお守りをお渡しすると、『沢山の方が触られているので。』と、別の場所から新しいお守りを出して来て下さいました。
表に置かれているのは見本用に置かれているようで、今まで色々と参拝させて頂いておりますが、こういったことは初めてかもしれません。
宮司さんのお人柄と言い、また是非参拝させて頂きたく思いました。
念の為に、いつもいらっしゃるのかと伺ったところ、御祈祷があったりで毎日社務所にいるわけではないとのこと。
確かに、前回と前々回共に社務所は開いておりませんでしたので、今回は良いタイミングで参拝させていただけ、これもふと頭に浮かんだことを行動に移したまでのこと。
こうして後になってから色々と気付くのですが、今まで私が気付いていなかっただけなのか2023年は新年から怒涛のように、思考=現実化に近いことが日々起こっております。
傍から見れば何の変哲もない日々の繰り返しなのですが、実際主人公として自分自身の舞台に登場している私としては、例えて言えば、『セリフ噛んでない!』『早着替え完璧!』『お客さんの反応メチャクチャ良い!』『今日の舞台成功!』みたいな感じで、とてもスムーズに日々の事が運びます。
色々と要因は考えられるのですが、ただ一つ言えることは一朝一夕にこのような流れとなったわけではなく、『日々地道な作業を積み重ねて今に至る。そして、楽しい。』に尽きます。
『3カ月であなたも○○~♪』
『楽して、簡単!』
だとか、そんな聞こえの良いフレーズとは真反対の現実。
実際やっていることと言えば、華やかとは真反対の地道な事ばかり。
ただ、そんな日陰の行いあってこその現実化。
まさに、陰と陽。
二つで一つ。
どちらか一方では成り立たない三次元地球。
もっと頭が柔らかくて素直であれば、出てくる効果ももっと早かったのかもしれませんが、なんせ頭でっかちの知識バカ。石頭の上に柔軟性がなく頑固な私。
色々と腑に落ちるまで、相当時間がかかっております(笑)
でも、相当時間をかけたからこそ実感して分かるこの現実。
だからこそ、私の二の舞は子供達には踏ませなくないですね。
自分の経験をもとに、不要なモノはどんどん捨てて必要なものを子供達へと残したい。
このあたりはほぼ独り言のようで、何を言っているのやらだとは思いますが(笑)
40歳を過ぎて真反対を生き、色々と気付くことが多く、やはりどちらも生きることが私には必要だったようです。
何がきっかけでこうなってしまったのか。
でも間違いなくこうして参拝の日々がなければ、今の私はあり得ません。
もう一方の世界では、私はまだバリバリ働いているかもしれませんが、私はこちらの舞台で日々精進して参りたいと思います。
(あー、このままこたつでお昼寝してしまいたいですが、宣言した手前頑張らねば(笑))