シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都/西京区】大歳神社で葛木御歳神社と繋がる

娘が部活でいない週末。

主人がたまたまYahoo!で見た、洛西ニュータウンの並木道。

サイクリングにもってこいだということで、大山崎の淀川河川敷公園からふらりとサイクリング。

 

ずんずん進んでいく主人に反して、

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こちらの僕チンはどうやらお昼ご飯を食べ過ぎてお腹が痛い模様。

ノロノロ運転。
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さてそんな息子をよそに、そのまま非情にも先頭切って主人が自信満々で辿り着いた先は目的地とは異なる大歳神社。

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全然目的地とちゃうし(笑)
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お腹が痛い息子のちょうど休憩にもなりそうでこれも何かのご縁。

お参りさせて頂くことに。
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由緒書きより、下記転載。

祭神は大歳神で養老二年二月の創建と云ふ。 延喜式神名帳に記され、山城國鎮座社の内大社に列せられていた。この境内は栢の森と称し社を栢の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。

相殿に石作神豊玉姫命を祀 ってある。

石作神は代々石棺などを造ってい た豪族の祖神であり、火明命の後裔である

垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し石作大連公の姓を賜った。
石作連を祀った石作神社は延喜式神明帳に 記され、貞観元年従五位下に昇格している。
大日本史に石作神社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、当社に合祀さ られたものである。石作神は昭和四十九年六月愛知県岡崎市に建立の石工団地神社に分霊す、豊玉姫命は海人であり彦火火出見命の后である。例祭は十月二十一日、氏子祭は十月 第三日曜に行い、江戸中期より引続き金剛流家元による奉納舞あり。

 

御祭神の大歳神は、お正月に各家を訪れる来訪神。

相殿の石作神は火明命の後裔とあり、火明命は饒速日命

饒速日命がお祀りされているのは、交野市にある磐船神社

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

磐船神社御神体は天の磐船と言われる巨石。

 

さて、境内へ。

まず目に入ってきたのは、枯れ死しているであろう御神木。
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上部が枯れていたとしても根が元気であればと思うのですが、根が見るも無残に枯れてしまっています。
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私の好きなタイプの狛犬さん。


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本殿の裏手に井戸の形跡のようなものがありました。
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境内の周りの木の状況からすると、以前は豊かな鎮守の杜であったのではなかろうかと。
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ご覧の通り石垣で囲まれた境内。

その境内の四隅にあたる本殿後方右手に比較的大きなお社。
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その手前には摂社。
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その並びに気になった石。
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剥き出しの状態で注連縄もかけられていないことから磐座ではないとは思いますが、相殿に石作神がお祀りされていることもあり、ついつい色々と考えてしまいます。

 

さて、その石の後方には、『栢(かや)の杜』と記載のある看板。

記載内容からすると、境内には栢の木が繫茂していたようですが、近年周りの高木に栢の木が蔽われてしまい、昔日の面影を復活すべく周りの高木を剪定し、栢の苗樹を補植されたようです。

 

ここで栢の木が気になり、少し調べてみると

 

・実は食用可。美味しく栄養価が高い。

間伐材や枝は燻して蚊を追い払うために使われた。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するという説がある。

 

とのことで、実も木もとても重宝する木のようです。

 

そして、こちらの大歳神社の総本社が奈良県御所市にある葛木御歳神社(中鴨社)にあるそうで、その近くにあるのがその名も『かやの木淡島神社』。

大歳神社の栢の杜と繋がりそうな予感。

更には、上鴨社、下鴨社と呼ばれる神社も近くにあり、京都市から遠く離れた奈良県へと繋がりました。

 

自分の身の周りに起きることに無駄な事はないとはよく聞くフレーズですが、文字で見るのと体感は全くの別物で、気付きが増えていくにつれ身の回りに起きる出来事で無駄な事はないと改めて実感します。

 

さて、主人が大幅に道を間違えたのは無駄ではなかったことがこれで実証されました(笑)

次こそは目的地へ。

 

つづきます。

 

【奈良/生駒市】信貴山朝護孫子寺の毘沙門天

さて、開山堂で予想以上に時間が過ぎてしまい、これから信貴山の広い敷地内をお参りです。

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せっかくなのでゆっくりとお参りしたいのですが、あまり時間もなくひとまず本堂目指して境内を進みます。
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正しいお参り順路があるようですが、今回は時間がなく見るにとどめます。
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この一帯がとても人が多く、後でわかったことですが日本で唯一の金運招福の神・銭亀善神を祀る「銭亀堂」だそうです。

何でもお参りした翌日に購入した宝くじで高額当選が出た人もいるのだとか。

それも一人ではないそうです。

 

あんぐりと寅が大口を開けておりますが、こちらが案内板によるところの胎内くぐりで、これはアトラクションっぽくて面白そうと家族で潜り抜けてきました。
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さて、先程の銭亀堂の喧騒とは打って変わっての木々が美しい参道。

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金と銀の虎が可愛くて思わずパチリ。
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大黒天、弁財天、恵比寿大神がお祀りされているお堂ですが、何とも華やかで、先程の銭亀堂付近と言い、さながらテーマパークのよう。

 

こちらはその側にお祀りされている三宝荒神
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こちらの狛犬さんにつられてお参りしたのですが、

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境内には綺麗なにゃんこも側に居り、更にはそのにゃんこ(寺務所の女性曰くシャムと何かの間の子だとのこと)、寺務所の女性とお喋りが出来るようで話しかけると『にゃ~ん』と返事をしていました。

その様子があまりにも可愛く、ついつい寺務所の女性と話し込んでしまい、その間息子は気に入った護身用の笛を見つけて購入することに。

『命の守り笛』

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水金鈴のお守りは音が気に入ったと、数年前に訪れた和歌山の紀三井寺で購入したもの。

私が子供の頃はランドセルに好きなキーホルダーをジャラジャラと付けていましたが、時代は変わり子供達の通う学校では護身用の笛、もしくはお守り以外は付けてはいけないとのこと。

気に入ったモノが見つかったようで良かったです。

 

さて、本堂目指して進みます。
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親子の虎が厳重に檻で囲われています。
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獰猛な寅を檻に入れているというより、神獣としての虎に我々人間がむやみやたらと手を出さないように人から寅を守っているかのように見えました。

 

このまま本堂へとお参りするはずが、左手の虚空蔵菩薩が気になりお参りして行くことに。
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こちらでも開山堂同様、娘は学力向上、息子は交通安全のお願い。
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上から龍が『その心に偽りはないか』とひと睨み。
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私はお堂の右手のこちらの木が気になりました。
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木というより根ですね。

 

さて、本堂前に戻り目の前の階段を上がれば本堂。
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お祀りされているのは毘沙門天
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強面な姿形からは想像もできない福の神様。
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本堂からぐるりと周りを見渡すと、見える大きな仏像は日本一大地蔵尊
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そこから左手に視線をずらすと開山堂。f:id:roy-7303-pkbs:20211026192720j:image

三点を繋ぐと二等辺三角形のような位置関係。

開山堂の寺務所の女性から、開山堂と本堂は同じ高さにあり、その高さが示すことは、信貴山朝護孫子寺にとっていかに開山堂が重要であるか、とのこと。

 

こういったことは、やはり現地に行かなければ分からないことで、つくづく自身で経験体験することの大切さを感じます。

 

さて、本堂入口入ってすぐの場所に寺務所があり、こちらで先程お参りした開山堂の御朱印を頂きました。
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御朱印を待っている間、寺務所の方に『よろしければ靴を脱いでお参り下さい』とお声がけいただき、ありがたくお参りさせて頂きました。

これがまた、とてつもなく良い空間で一人感動。

 

毘沙門天御朱印を頂く予定はなかったのですが、開山堂の御朱印と合わせていただいてきました。

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そして、その間こちらの僕チンは戒壇巡りがどうにも気になる模様。

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主人と娘に一緒に行こうと声をかけるも断られ、さりとて真っ暗な道を一人で歩く勇気もなく、『一度戒壇巡りをしたことがあるから行かない。』と最初に断っていた私に白羽の矢が立ちました(笑)

 

この「戒壇巡り」は、心願成就を祈る修行の道場で、本堂真下の暗闇の回廊です。

長さ九間四面三十六間、暗い部分で約60メートル、約5分間でお詣りができます。

階段を下りたら、右手を右の壁に当てながら廻り、二番目の角を曲がってください。すると見えてくる灯明の場所には、皆様方の十二支生まれ年の守本尊、即ち千手観音や阿弥陀如来など八体の仏像がお祀りしてあります。ここで、ご自分の守本尊に身体健全、家内安全をお祈りください。

次にまた、右手を右の壁に当てながら進んでください。次の角を曲って少し行きますと、又木の格子が手に当たります。

その胸の高さに大きな鉄の錠前が掛っております。この錠前に触れますと如意宝珠に触れたと同じ功徳が与えられると言い伝えられ一願成就のご利益が授かります。

【出典元:本堂 : 信貴山 朝護孫子寺 公式サイト

 

息子に言われなければ戒壇巡りはスルーしていましたが、今回改めて戒壇巡りの意味を知りました。

 

以前戒壇巡りをした際は、自身の守り本尊であるとか、一願成就の御利益がある錠前に触れるだとか、そもそもこの戒壇巡りが修行の場である事すら知らずにただ暗闇を歩いて終わっていたような気がします(^^;

 

そして、肝心要の戒壇巡りですが、コロナで密を避ける為、以前はなかった灯が足元に等間隔に設置され、ぼんやりとですが人の気配が分かるようになっていました。

 

灯があることであの独特の真っ暗なひんやりとした道を歩く感じは少し薄れますが、それでもやっぱり暗闇に目が慣れるまでのあの独特な感じは少し怖くも感じました。

 

真っ暗な戒壇巡りから出ると、この景色。
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夕闇迫る中、最後に一か所と境内図にあった弁財天の滝を見て帰ろうと境内をウロチョロするも見あたらず、ここが怪しいと見つけた目の前の山へと通ずる道。
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どんどん山中に入ってしまい、
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左手に水音は聞こえてくるものの、全く見えてこない滝とどこにも見当たらない標識に引き返すことに。

 

ただこのまま来た道を帰っても面白くなく、ちょうど目の前にみつけた小道を辿っていくことに。
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着いた先は一番最初に訪れた開山堂の裏手。
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開山堂で始まって、開山堂で終わる。

何とも面白いお参りとなりました。

 

さて、駐車場へと向かう道すがら、先程辿り着けなかった弁財天の滝の標識を見つけてしまい、これは次回に続くことになるのでしょう。
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このまま駐車場へ向かうと思いきや、せっかくなのでお土産でも見て帰ろうと仁王門近くの信貴山観光センターへ立ち寄ることに。

 

その際気になった『皇威覆八紘』の文字

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八紘と言えば、以前お参りした高槻市の神社の側にあったマンション名が『マンション八紘』

shironpton.hatenablog.com

 

下記、ブログ内の出典元からの転載です。

日本書紀」巻第三の神武紀で、神武天皇が大和橿原(かしはら)に都を定めた時の神勅(しんちょく)に、

「六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからず。」

 

六合とは、「天下、世界」、

八紘とは、8つの方位から「全世界」、

宇とは「家」

をあらわす。

 

全世界を一軒の家のような状態にする。

と、解釈し日本的な世界統一の原理として「八紘一宇」を造語した。

 

八紘の文字から感じるのは、強い国が支配の元世界を一つにまとめるのではなく、皆が思い一つに地球人として過ごしていく地球の姿。

地球上に争いのない世界が訪れますように。

 

こちらは多聞天の扁額のかかった鳥居。

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この時は何故毘沙門天がご本尊の信貴山朝護孫子寺多聞天なのかが分からなかったのですが、四天王として仏教では多聞天と呼ばれ、七福神としては毘沙門天となるそうです。

 

さて、信貴山観光センターでお土産を見ると言いつつも、目の前に見えた橋を見るなり渡りたいと息子。
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こちらの赤い桟橋は開運橋という名の橋で、その橋の中間地点では開運バンジーという名のバンジージャンプができる場所があり、ビックリしたことに数人が並んでいました。

 

こちらの開運橋、「上路カンチレバー橋」という形式で、その形式としては現存する日本最古の橋になるらしく、平成19年7月に国の登録有形文化財に選定されたと信貴山朝護孫子寺のHPにありました。

 

今までずっと単なる『赤い橋』の認識しかなかっただけに、ちょっとビックリ(笑)

その開運橋から見えるまたしても赤い橋は大門ダムに架かる県道236号線。
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こんな高い場所から下に飛び降りるだなんて、小心者の私には想像も出来ません。

若い男性が躊躇なく飛ぶ様を家族でドキドキしながら見守りつつも、無事に帰還された姿に一堂ホッとし、そのままお土産を買うこともなく満ち足りた気分で駐車場へと。


ここで面白い木を見つけました。
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陰陽和合の木。f:id:roy-7303-pkbs:20211026192653j:image

最後の最後に面白い木に出会えました。

 

なんだかんだとまたしてもウロチョロしてしまい、今度こそ駐車場。

と思いつつも何だか気になり奥へと進んでいくと断食道場の看板を発見。

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以前どなたかのブログで信貴山の断食道場の記事を拝見したことがあり気にはなっていただけに、帰り間際に気付いたことにビックリ。

食べることが好きな私にとって断食は一番の苦痛になると思われますが、執着しているからこそ、そこから自分を解放することが出来れば大きな自信に繋がりそうな予感。

いつか断食道場の門をたたく日がくるのでしょうか。

 

予期せぬ出会いにこそ必要な出会いがあり、自身が頭で考えてこねくり回したものはその目的を遂行することが目的となってしまい、その瞬間を楽しめなくなってしまうのが私の常。

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お参りに行くたびに感じるのが、予期せぬ出会い、予期せぬ思い、予期せぬ気付き。

その予期せぬ何かが、私にはとても必要なようで、お参りに行くたびに想像以上の何かをいただいていることに後になって気付かされます。

 

ついつい、早く結果を出したいと焦ってしまいますが、必要な時に必要な事は起こるようで、目の前ですぐに結果が出なくとも、待つことも大切なのだと。

そして、待つことが次に繋がることも、この2年のお参りを通じて確信に繋がりつつもあります。

 

さて、高野山へはいけるのでしょうか(笑)

【奈良/生駒市】信貴山朝護孫子寺の開山堂で高野山

どんどん寒くなってくる毎日に果たして年内に高野山へ行けるのだろうかと、今回訪れた先は信貴山朝護孫子寺です(笑)

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娘の部活で以前のように家族全員揃う週末がなかなか取れず、今まで当たり前のように家族でお詣り出来ていたことが当たり前ではなかったのだと感じます。

 

以前はお参りという名のもとの、サイクリングもしくはスイーツツアーで息子と娘を誘導(騙す?(笑))しておりましたが、子供達もいつまでも子供ではありません。

 

『またお参り?』と言われ出す始末(笑)

もうそろそろ限界かもしれません(^^;
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さて、駐車場を出てすぐ目に入った弘法大師の幟に、高野山へ行けていないことから『ここには行かなあかんやろ』と、家族一同開山堂の鳥居をくぐります。
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扁額には聖徳太子のお名前。
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信貴山を開かれた聖徳太子の像をお祀りされているお堂とのことで開山堂。

 

開山堂(かいさんどう、かいざんどう)は、仏教寺院において開山の像を祀った堂のこと。寺院の「開山」とは、当該寺院に最初に住した僧のことを指すのが通例で、寺院の創立を発願し、経済的基盤を提供した人物である「開基」とは区別される。開山や宗祖の像を安置する堂を、寺によっては祖師堂(そしどう)、御影堂(みえいどう、ごえいどう)、影堂(えいどう)などともいう。宗派や寺院によっては、祖師堂や御影堂が本尊を安置する本堂よりも規模が大きく重視されることがある。

【出典元:開山堂 - Wikipedia



更にこちらの開山堂。

後で寺務所の方に説明を受けることになるのですが、四国八十八ヶ所霊場の各お寺のお砂が埋められており、お砂踏みが出来るシステム。
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高野山奥の院のお砂がこちらの御影石の下にあり、まずはこちらの上でご挨拶。f:id:roy-7303-pkbs:20211026192350j:image

その後、一番札所~八十八番札所の御影石の上を、『南無大師遍照金剛』と心で唱えながら八十八番札所までを回り、最後にまた高野山奥の院御影石の上でご挨拶。

これで高野山にお参りしたことにはなるのですが、いや、やはり高野山へは行きたい(笑)

 

そして、お砂踏みをしつつも気になるのは開山堂の中にお祀りされている木彫りの御本尊。

一本の巨木から彫ったというよりも彫り出されたといった方がしっくりとくる御本尊の数々が四面所狭しと勢揃い。(四国八十八ヶ所御本尊+信貴山開祖 聖徳太子、宗祖 弘法大師、中興開山 命蓮上人、歓算上人)

 

それはもう、『圧巻!』の一言。

たいそう立派で写真におさめたかったのですが、あまりの神々しさに写真を撮るのも憚られ、それは私の後方にいらっしゃった男性も同様だったようで『写真撮っても良いですか?』と寺務所の女性の方に質問されていました。

『撮って良いとは言えないけれども、勝手に撮っている方を咎めることはしませんが、撮っているなとは思います(笑)』とのこと。

 

因みに、その開山堂の御本尊は信貴山HPに掲載されています。

ご興味のある方は是非!

境内案内 : 信貴山 朝護孫子寺 公式サイト

 

さて、肝心のお砂踏み。

お砂踏みと言えども、丁寧に八十八ヶ所をお参り出来れば良いのですが、短縮お参りバージョンがあると寺務所の女性が教えて下さり、ご一緒された方は皆さん短縮バージョンでお参りされていました。

 

こちらの開山堂、スピ方面ではとっても有名な桜井識子さんの本に掲載されていたようで、以来参拝客がどっと押し寄せるようになったと寺務所の女性。

あまりの忙しさに、1円玉、5円玉、10円玉の90枚入りのお賽銭が用意出来ないようで、この日も本来であれば一人づつ90枚のお賽銭を寺務所で両替していただき(自分で90枚のお賽銭を用意してくるのが良いかもしれません。)一番札所~八十八番札所の木箱にお賽銭をおさめるのですが、不足しているとのこと。

我が家は一袋90枚のお賽銭を4人で等分して使用することになりました。

 

一人22枚×4人で88枚のお賽銭は八十八ヶ所の木箱におさめ、残った2枚は最後の木箱に納めます。

 

寺務所の女性の話しについつい聞き入ってしまい、気付けば1時間超。

思わぬところで家族全員でお砂踏み。

予定していなかったもののこれも何かのご縁。

 

さて、開山堂を出て寺務所の女性から教えていただいた中興の祖 命蓮上人のお墓へ。
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右手にいるぼくちゃんは、いつもお賽銭箱を目の前にして『あっ、今日も財布を忘れてきてしもうた』というのです。f:id:roy-7303-pkbs:20211026192403j:image

一番小銭持ちの癖に、財布を持ってこない(笑)

 

少し離れた場所に、こちらは宝篋印塔?
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前回、和歌山県高野町でお参りした鬼王の墓で五輪塔と宝篋印塔を知り、ちょっと知ったかぶり(笑)

 

開山堂は四面構造で、正面には聖徳太子がお祀りされ扁額も聖徳太子

こちらの一面は、命蓮上人の扁額。
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弘法大師空海
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歓算上人
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四面にお祀りされているお像の前には厄除ローソクがおかれており、

 

白:息災(除災招福・当病平癒・交通安全等)

黄:増益(開運招福・学業成就・商売繁盛等)

白+黄:「開運厄除け」になるとのこと。

 

娘、黄(学業成就)

私、黄(商売繫盛)

息子、白(交通安全)←サイクリング

主人、黄(?)←老化の為、覚えておらず色のみ記憶(笑)

 

一つ100円のローソクは水が張られた鉢にローソクをひっくり返さないように浮かべ、浮かんだところに火をつける、なかなかハラハラドキドキのさながらゲームのよう。

 

一周回って正面には色々と飾られています。
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『十善戒』は二年前の広隆寺へのお参りで初めて知りました。
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kidoki-123-kimono.hatenablog.com

 

広隆寺太子堂聖徳太子立像が大変素晴らしく、一年に一度の11月22日の秘仏開帳を待ち望んでいましたが、昨年はコロナで中止。更に今年は仕事で拝顔叶わず。

こればかりはご縁ですので仕方ありません。

気持ちは既に2022年の11月22日の秘仏開帳です(笑)

 

さて、京都の広隆寺へと話しが飛んでしまいましたが、奈良の信貴山へと戻ります。

御朱印は後で訪れる本坊で頂きました。

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開山堂でも御朱印は頂けますが、本坊で書いたものを開山堂へ持ってこられており、書き置きになるとのこと。

どちらも御朱印の内容自体は同じものですが、せっかくですので本坊へのお参りと一緒に頂いてきました。

さてお次は本坊目指して境内をウロチョロと。

つづきます。

【和歌山/伊都郡高野町】日本三大仇討の一つ、鬼王の墓

丹生都比売神社へ向かう道すがら、何気なく目にした先に見えた『鬼王団三郎の墓』の文字。

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前回の元伊勢三社巡りで、大江山の鬼退治の話しを知り、今回の高野山へ向かう道中では父鬼という地名を通り、そしてその日は奇しくも鬼滅の刃の無限列車編の放送開始日。

 

何とも続く鬼繋がりに、鬼王の墓の文字。

 

息子がどうしても気になると言うので、丹生都比売神社のお参り後に立ち寄ることにしました。

 

これが、まぁ、もう道なき道を進む感じで(実際、雑草がボーボーで全く道はなく、雑草を踏み分けて自分の足で道を作るしかない状況。)、私と娘はレギンスを穿いているから良いものの、ハーフパンツの息子にくるぶし丈のパンツを穿いた主人は、まぁそれはもう蚊からしたら、超ラッキーなご馳走でした(笑)

 

距離にすればほんの少しなのですが、いかんせん道が悪くやっとの思いで着いたこちらの一帯が西行褄娘宝篋印塔と鬼王団三郎の墓のようです。
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そもそも、厳めしい名前の鬼王とは?

以下転載です。

 

源義朝(みなもとのよしとも)が平治の乱に敗れ、その家臣である鬼王七郎左衛門(おにおうしちろうざえもん)も東国に落ち、今の匝瑳(そうさ)市(千葉県)山桑に逃れた。

 

七郎左衛門には鬼王丸・団三郎の二子があり、共に父の遺命(いめい)で伊豆の河津祐泰(かわずひろやす)に仕えた。祐泰には十郎・五郎の二子があり鬼王丸は五郎を、団三郎は十郎をお守りした。

 

 安元二年(1176)祐泰は、伊豆の狩り場で工藤祐経(くどうひろつね)に殺された。十郎・五郎兄弟の母親は、後に曽我祐信(そがひろのぶ)に嫁ぎ、曽我の姓を名乗ったあとも、鬼王丸・団三郎兄弟は引続き曽我兄弟に仕えていた。

 

 建久四年(1193)、富士の裾野(すその)の巻狩りで工藤祐経を殺し、父の仇(あだ)を討ったが、十郎は討たれ、五郎は捕われた後に殺された。

鬼王丸・団三郎兄弟は、十郎・五郎の遺骨を携えて山桑に帰り、ねんごろに葬ったという。現在でも鬼王家の墓地には曽我兄弟の墓がある。

 なお、曽我物語で、十郎の妾(めかけ)として登場する大磯の虎御前が、この山桑を訪れ鬼王家に七年間も滞在し、曽我兄弟の冥福(めいふく)を祈ったといわれている。虎御前が用いたうちかけは、今も残るという。

 

【出典元:曽我兄弟の墓(そがきょうだいのはか) | 匝瑳市公式ホームページ

 

『鬼王丸・団三郎兄弟は主人である十郎・五郎の遺骨を千葉県山桑でねんごろに葬った』

とありますが、宝篋印塔そばの解説板には高野山へ遺骨を納めたとあります。

 

下記、解説板の内容です。

 

二基の宝篋印塔は、西行の妻と娘を供養した碑で、和歌山県文化財に指定されています。
向かって右より二基は、応安5年(1372)建立され、左二基は文安6年(1449)に建立されました。
後方の数多くの五輪は、曽我兄弟の郎党、鬼王・団三郎を供養した碑です。
二人の郎党は、主人の遺骨を高野山に納めた後、天野のこの地で生涯を終えたと伝えられています。

 

遺骨を葬った場所が、千葉の山桑、はたまた高野山のどちらになるのかは分かりませんが、遠く離れた千葉での出来事が(曾我兄弟の仇討ちと言われており、日本三大仇討の一つに数えられるそうです。)時間を、場所を越えて浮かんでくるようで、こんなところが歴史の面白さでもあります。

 

さて、左奥にあるのは五輪塔に見えますが、他のものは少し形状が異なっており、こちらが宝篋印塔とよばれるものになるようです。

 

ここで五輪塔と宝篋印塔の違いが気になり調べてみました。

 

五輪塔平安時代から鎌倉時代に多く作られた「供養塔」(くようとう)です。供養とは亡くなった人の「たましい」をなぐさめることです。五輪塔平安時代の中頃から作られましたが、関東地方では鎌倉時代に多く作られました。供養されているのは庶民ではなく、ほとんどが武士です。

五つの石は下から「地」「水」「火」「風」「空」の宇宙をあらわしています。供養のためですから、遺体を埋めたり火葬されたお骨が無い場合が多いのですが、ときどき骨や骨壺が(こつつぼ)埋められているものもあります。

 

宝篋印塔も五輪塔と同じように、先祖や亡くなった人の魂をなぐさめるために作られたものですが、卒塔婆(そとうば)をかたどっていると言われています。卒塔婆とはお釈迦様(おしゃかさま)の骨(仏舎利=ぶっしゃりと言います)をおさめた塔のことで、お寺によく見る三重や五重塔も同じです。ですから、石の中に穴をくりぬいてお経を入れたものもあります。よく見ると真ん中の石にもようが彫ってありますが、それは梵字(ぼんじ)と言って古代のインドの文字(サンスクリット)です。この絵の梵字は「アク」と読み「釈迦如来」(しゃかにょらい=おしゃかさま)をあらわしています。

【出典元:Welcome to Adobe GoLive 6】(五輪塔と宝篋印塔)

 

いずれにしても、魂を供養するということに違いはないようで、この場所に来れたことに感謝の気持ちを心に、家族全員で手を合わせてきました。

 

実はこの場所に来るまでに嬉しいハプニングがあり、目に見えてのご褒美。

鞍馬山、元伊勢三社、そして今回の鬼王の墓でのお参りで、同じ現象が三回。

偶然なのかもしれませんが、私の中で3回続くとそれはもう偶然ではなく必然。

 

ありがたいご縁に感謝です。

 

さて、鬼王の墓を後に正面に朱塗りの輪橋が見える丹生都比売神社の駐車場へと向かい今回はここまで。

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年内に高野山リベンジなるか?

 

【和歌山/伊都郡かつらぎ町】丹生都比売神社と日本の神話おみくじ

さて、薬師の滝を後にし目指すは車の待つ駐車場。

そこから先は、あれだけしんどかった坂道はいったいどこに?な車でスイスイ上り坂。

 

そんな坂道を横目に車内では、

 

『こんな坂道自転車やったら無理やったわ。』

『早めに諦めといて良かった。』

 

等々、もう次回は絶対に自転車では来ません!な雰囲気(笑)

 

さてさて、そんな坂道サイクリングの呪縛から解き放たれた先に目的地はありました。

 

【丹生都比売神社】
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ヒメというだけあって、朱塗りの境内がなんとも女性的な柔らかな雰囲気の境内です。

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本当であればここに家族全員の自転車が並ぶはずだったのですが、それはもう叶わぬ夢です(笑)
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アーチと朱塗りが美しい輪橋。
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その輪橋の上部から見た鏡池
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(自転車が積まれた愛車も遠くに見えます。)

 

手前に見える橋が禊橋。

その奥には中鳥居。
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それにしても、今こうして写真を見ていても感じるのが『華やか』の一言。
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楼門も素晴らしい!

 

ただちょっと意外だったことは、この女性的な華やかな感じとは雰囲気が異なる狛犬さん。


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なかなか猛々しいお姿。

 

ただこういったところは、『THE!華やか』

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水面に浮かぶ薔薇。
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もうちょっと綺麗に撮れなかったのかと自分に言いたいこの写真。
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楼門の木組みの素晴らしさが少しでも伝わると嬉しい(涙)

 

楼門の後ろ手には第一殿~第四殿の本殿がお祀りされています。
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境内社 佐波神社】
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新しくされているのか、工事中のようでした。

 

さて、来た道を戻りこちらの立派な木は鏡池手前の木。
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帰りは輪橋を渡らず、輪橋の側道から輪橋を望みます。
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これはこれでまた美しい。

 

ただ、池のお水が濁っていたことが少々気になります。
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境内の木々は元気そうでしたが。
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先日、元伊勢内宮で御朱印帳が終わってしまい、次はどこの御朱印帳になるのかと思っていたところ、一目見た瞬間ビビッときた丹生都比売神社のピンクの御朱印帳。


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いつもは絶対に選ばない桜色の御朱印帳。

それもお花!

私の歴代御朱印帳は、それはまぁ女性性とは程遠い、無地、黒、紺、更には不動明王!などなど、おっとこ前な御朱印帳ばかり。

それが珍しく、桜色にお花。

他にも数種類の御朱印帳がありましたが、(私の大好きな紺地もあったのです)目についたのはこの御朱印帳。

これは間違いなく丹生都比売神社の華やかさに影響されてのことではなかろうかと。
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御朱印帳には半紙ではなく、フェルト生地が挟まれていました。

 

こんな細やかな気遣いも女性的❤

 

こんな素敵な丹生都比売神社の神様。

調べて分かったことですが、空海さんに高野山を授けられたという説話があるそうです。

 

そして丹生都比売神社は高野山の入り口にあたることから、まずは高野山参拝の前には丹生都比売神社へお参りすることが習わしだったようで、今回、高野山は断念となったもののこれはこれで良かったのかもしれません。

 

そんなことは相変わらず帰ってからの気付きで、神社を参拝する度に沢山の気付きを頂けることを改めて感じます。

 

さて、丹生都比売神社で珍しく家族全員でおみくじを引きました。

その名も日本の神話おみくじ。

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息子が引いた天手力男神は、元伊勢内宮 本殿右手の摂社の神様。

 

娘の天之御中主命は、元伊勢内宮近くにあった天皇神道掲示板。

 

私の少彦名神は、丹生都比売神社の前に立ち寄った薬師の滝の薬師如来少彦名神

 

偶然かもしれませんが、先日お参りした元伊勢内宮と今回訪れた箇所の神様ばかり。

 

ただ一人例外が。

主人の建御雷之男神はどこにも見当たらず(笑)

 

せっかくおみくじに出てきたのだから、その御祭神の神社にお参りに行くのはどうだろうかとは主人。

建御雷之男神といえば有名なのは鹿島神宮

茨城県ですけど?(笑)

 

大阪であれば、以前お参りした枚岡神社にもお祀りされていますので、紅葉を見がてら久し振りに枚岡神社へのお参りも良いかもしれません。

 

ご縁があればお参りとなるでしょうし、そもそもそんなことを口にした主人の変化にも少し驚きつつもあります。

 

目に見えなくとも、目に見えない何かはあり、それは目に目なくとも、本で目にした一文であったり、たまたま目にしたネットであったり、はたまた夢で見た内容であったり、様々な形で『何か』を気付かせてくれようとしています。

 

『何か』、は分からなくとも、自分の信じる、感じる『何か』、に耳を傾け、意識を向けることによって、点と点であった『何か』、が線になり、そして動き出すような気がします。

 

丹生都比売神社のあと、息子が気になると言ってきかなかった箇所に立ち寄りました。

 

つづきます。

【和歌山/伊都郡かつらぎ町】丹生都比売神社の予定が、薬師の滝

さて丹生都比売神社へと向かう予定がどうも下り過ぎてしまっていたようで、もう坂道を上る気力もなくこのまま駐車場へと向かい、丹生都比売神社→高野山へと再度予定変更。

 

行きの上りの道すがら、息は上がっていても車道と反対側に見えたこちらの石碑は私以外の家族全員気になっていたようです。

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看板の文字が見えにくいですが『千顔不動明王』とあります。

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赤い手すりに沿って下りていくと、不動尊というからにはな滝が見えてきました。
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後で写真を見返したときに分かるように、千顔不動明王の石碑とお堂を一緒に写そうとしたが為に、お社が切れてしまっていたようです(^^;
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側には滝。
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ここでおしまいではなくまだ先が。
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それにしても、ここから数メートル上にある国道480号線の車の往来が嘘のような静けさ。
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空気もとても澄んでいます。

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ちょっと急な個所を上った先に大師堂があり、

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御神体は裏手にある大きな岩になるのでしょうか。

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左手奥に細いながらも道があり進んでみることに。

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石に手書きで八大龍王、龍石、不動明王と思しき絵が書かれています。
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こちらは稲荷大明神
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岩にはしごがかけられており、こちらにも稲荷神がお祀りされているようです。
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右手の木がさながら龍の顔のよう。
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さてさて上った後は下りです。
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またしても稲荷神。
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伏見稲荷大社から御分霊されたと読めます。
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なかなか足場の悪い道を下って、千不動明王のお堂まで戻って来ました。
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滝、不動明王、朱塗りの橋、磐座、稲荷神から思い起こされるのは、

瀬織津姫、弁財天、秦氏

 

ふらりと立ち寄った薬師の滝でしたが、良きところでした。

 

丹生都比売神社はまだこれから。

つづきます。

【和歌山/伊都郡かつらぎ町】高野山山頂を目指して、八王子神社

10月の秋晴れの空と体感温度は全く別な夏日の週末。

 

息子がたまたまTVで見た高野山

以前から高野山へ行きたいと(息子はそれを、空海さんに会いたいと言います。)息子からは言われてはいたものの、なかなかそのタイミングが来ず、いつになるやら~がとうとうやって来ました。

そんなタイミングは、毎度のことながら主人が携えてやってくるのです。

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目の前に見えるのが高野山

あまりの立派な姿に既に怖気づいてしまい、そんな思いはあと数十分後の現実となってしまうのです。
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今回の目的は、高野山山頂の金剛峯寺目指して片道20kmのサイクリング。

開始早々7km程でいつ終わるとも分からない坂道に娘がキレてあえなく断念(笑)

 

出発した時間もお昼前と、かなりの暑さの中でのサイクリング。

無理をしてはいけません。

ここからは予定を変更して、いつかはお参りに行ってみたいと思っていた丹生都比売神社の案内板があったことから、自転車で丹生都比売神社を目指し、その後車で高野山を目指すことに。

 

道中、行きに気になっていた神社が見え、せっかくなのでお参りして行くことにしました。
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八王子神社
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あら可愛い❤

私のタイプな狛犬さん。


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当神社は天照大神素盞鳴尊との天眞名井での誓約によって生まれた5男3女神をお祀りし八王子神とも申し上げる。
この所は丹生都比売神社の神領地で古来より、星川に2社の八王子神社が鎮座していたが、洪水にて下八王子神社が流失、上八王子神社を4邑の氏神として再建される。
後年丹生都比売神社より丹生の大神、高野御子大神を勧請奉祀される。

 

【出典元:和歌山県神社庁-八王子神社 はちおうじじんじゃ-

 

今知りましたが、丹生都比売神社の御祭神がお祀りされていたようです。

ここから丹生都比売神社へと向かいます。

 

つづきます。