家族のお目当てはオシャレな自転車屋さん。(約一名、『また自転車・・・。』と少し拒否反応を示し出した反抗期の娘がおりますが(笑))
扉を開けて真っ先に目に入るのは、アレックスモールトンの素敵な自転車!
そんな素敵な自転車が置かれているのは、入ってすぐのサンルームのようなスペース。
古いのに素敵。
古いから素敵❤
憧れのドロップハンドル❤
自転車をめいいっぱい堪能した後は、近くに神社がないかGoogleマップにお任せ。
やって来たのは2km程北にある、
【木嶋坐天照御魂神社】(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
京都でも最古の部類に入るお社だそうですが、社殿は明治時代に建て替えられているそうです。
【由緒書き】
【拝殿】
【御祭神】
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・・・造化三神の一神
・大国魂神(おおくにたまのかみ)
・穂々出見命(ほほでみのみこと)・・・息子
・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・・・孫
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・・・父
大国魂神は大国主命のことかと思ったのですが、気になり少し調べてみたところ、同一神とする説とそうでない節があるようです。
・大国魂神=大国主命という説
【大国魂神】
『日本書紀』のみに登場し、他に日本大国魂神とも表記する。
宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。
天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭った。
倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。 その後、大物主神を祭ることになる件が書かれている。
同年8月7日、倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰・伊勢麻績君の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、倭国造の市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。
これらの記事からも、豊鍬入姫命が祖神の天照大御神を祀り、意富多々根古が祖神の大物主神を祀ったように、倭大国魂神が倭国造の祖神であったことがわかる。
【出典元:倭大国魂神 - Wikipedia】
更に文中に出てくる大和神社が気になり調べてみると、Wikipediaに面白い一文を見つけました。
この伝承からアマテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇とする性格をはっきりさせたことが読み取れる。垂仁紀にはもっと詳細に出ている。
【出典元:大和神社 - Wikipedia】
『マテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇とする』
陰と陽、表と裏のように感じます。
ご神紋は二葉葵。
下鴨神社と同じです。
拝殿の左手から、後程お参りに行く三柱鳥居が見えます。
ズラリと並ぶ摂社
本殿右手に蚕養神社
蚕養神社から蚕ノ社と呼ばれているようです。
側の木がとても立派。
そして、そのすぐ横は見るも無残な倒木。
石碑と手前の石が少し気になりました。
拝殿左手。
こちらにも奥に大きな石があります。
ところで狛犬さんはどこにいるのでしょうか?
本来であれば、こちらの石灯篭辺りに鎮座されているはずなのですが。。。
左右に置かれた大きな石といい、少し通常とされる神社とは異なるようです。
拝殿を後にし、先程見えた三柱鳥居へと進みます。
三柱鳥居の側には近寄れないように柵がありました。
三柱鳥居をズームで撮影。
三柱鳥居の中央の石積み。
その中央に建てられた御幣。
何とも不思議な空間。
辺りを見回すと、きっとこの形状であれば池なのではなかろうかと思うのですが、見事に干上がっています。
下手もご覧の通り、水の痕跡は全く見られません。
本来であれば、池の水がそのまま境内を流れていたのではないかと思うのですが、水路が断絶してしまったのでしょうか。
その池と思われる側に石碑がありました。
水がどうしても気になり調べてみると、毎年7月の土用の丑日に御手洗祭り(水に脚をつけて汚れを祓う神事)が行われているようです。
御手洗祭りと言えば下鴨神社の御手洗祭り!
蚕ノ社の池は以前は水が湧き出ていたようで、元糺の池と言われており神池。
ただし現在水は枯れてしまったとありますが、御手洗祭りの日にはポンプで水を汲みあげられていることから、水源は枯れてしまってはいないのではないかと。
その汲みあげられた水を元糺の池に張ってお祭りは続けられているようです。
御手洗繋がりで更に。
・その御手洗川の川畔に以前、廣田神社の摂社 齋殿神社があり、齋殿神社の斎宮 葉山姫命が瀬織津姫を廣田神社にお祀りされた。
瀬織津姫と繋がってきました。
更に、上賀茂神社、下鴨神社に縁のある賀茂氏と、ここ太秦の地に縁のある秦氏には繋がりがあるそうです。
秦氏は磐座信仰の伏見稲荷神社、松尾大社と関係があり、瀬織津姫、役行者、磐座が出てきました。
そして今回初めて知った、蚕ノ社(秦氏)の御手洗祭りと下鴨神社(賀茂氏)の御手洗祭り。
単なる偶然とは到底思えず、お祀りされる神様が同じようですね。
さて、元糺の池に水はないものの鎮守の森は元気なようです。
頭上から鳥の鳴く声がひっきりなしに聞こえてきます。
三柱鳥居をあとに境内にある椿丘大明神へ。
なんだかちょっと入るのが躊躇われる空間です。
狛狐さんの側に、先程の三本鳥居のある柵が見え、となるとやはり水がここまで流れてきたように思います。
現在はものの見事に枯葉と土ですが(^^;
さて、狛狐さんの間を通らさせて頂いて鳥居をくぐります。
右手にこじんまりとしたお社。
側には木。
良い木です。
先を進むと右手にまたしてもお社。
お社左後方の木と手前の木に守られているかのようです。
その左手に、こちらは『白塚』と彫られた石碑。
そしてその左手にあるこちらのお社(白清社。どうやら古墳のようです)なのですが、
ちょっと何とも言えない雰囲気。
中に入ったのですが、私は息は吸えませんでした。
吐くので精一杯。
そしてお参りをして早々に退出。
振り返った参道で、先程よりは狛狐さんに少し近寄って写真を撮らさせていただきました。
何といえば良いのか分かりませんが、
『お写真を撮らさせて頂いてよろしいでしょうか?』
とお断りを入れてきちんと挨拶をしなければいけないような、少し緊張、緊迫する感じの空間で、『遊びに来たー!』のような軽い感じでは入りにくいというのが私の感覚です。
私の前に参拝していた小さいお子さん連れのご家族は、男の子がどんぐりを拾いながら、そして狛狐さんの周りでどんぐりを落としては拾いだったので、決して『遊びに来たー』で行ってはダメな訳ではないのでしょうが、私は何となく気をつかうお社でした(^^;
あまりこういったことが無いので少しビックリしましたが、身体は如実に反応したようで、喉がイガイガ。
案の定というか帰ってからの体調不良。
こういうこともあるのだと勉強になりました。
さて、境内に戻ります。
歩いてきた参道を戻って左手に『かいこの社』と彫られた石碑。
その上には柄杓。
となると、ここに手水舎があったのではなかろうかと。
そして、お水が湧き出ていたはず。
蚕といえば、真っ先に思いつくのが渡来人の秦氏。
ですので、こちらの蚕ノ社は秦氏ととても繋がりが深いのではないかと思います。
養蚕、織物、染色を日本へ伝えた秦氏。
他にも日本人には無くてはならない発酵食品(酒=松尾大社、麹等)など、秦氏無くして今の日本はなく、秦氏が日本に与えた恩恵ははかり知れません。
聖徳太子が創建された広隆寺が蚕ノ社の南に位置し、聖徳太子に仕えたのは秦河勝。
先日お参りに行った京都市山科区にある大石神社の裏手は稲荷山。
秦氏ととても繋がりの深いお山。
行く先々で、秦氏、聖徳太子、空海さん、役行者、瀬織津姫を感じます。
鳥居側に井戸の形跡。
水はなくとも、水の気配を色濃く感じる境内。
木嶋坐天照御魂神社の『天照御霊』から連想されるのは、天照大御神。
ですが、こちらの木嶋坐天照御霊神社には天照大御神はお祀りされておりません。
天照御霊≠天照大御神
ただし、御祭神には倭国造の祖神とされている大国魂神がお祀りされており、
大国魂神=大己貴神(大国主神)の荒魂(=倭国造の祖神=地祇)
下記に書くことはあくまでの私の感じたことですが、
木の嶋(=元糺の森)にいます(=坐)天照御魂とは、天照の中に日本の祖神様の大国魂神様が隠れているような、ふとそんなような気がしました。
何の根拠もありませんが(^^;
小さい頃は、ミステリーハンターになりたかった(笑)
坐天照御魂神社繋がりで、こちらは自分への宿題。
【大阪】新家坐天照御魂神社(西河原) - シロンプトンでパンとお参りと
【大阪】新家坐天照御霊神社(西福井) - シロンプトンでパンとお参りと
【大阪】新家坐天照御霊神社(宿久庄)と、パンタダシ - シロンプトンでパンとお参り
天照御魂神社繋がりでで見つけた面白いサイト↓
材料は揃った。
謎を解いてみよ!(^^)