前回はタイムオーバーで山頂まで行くことが叶わず、ずっと気になっていた稲荷山の磐座。
今回は目的地を稲荷山の山頂に絞ってお参りです。
高貴なお姿の狛狐さん。
狛犬さんは、可愛らしいタイプや厳めしいタイプ、筋肉隆々など色々な姿を目にするのですが、狛狐さんはシュッとした高貴な雰囲気のタイプしか目にしたことがないような気がします。
私が単に知らないだけなのかもしれませんが(^^;
これより先、本殿周りの撮影は禁止です。
狛狐さん、やっぱりシュッとしてはる(笑)
【神馬舎】
よく見ると、お賽銭の上部に2本人参がお供えされています。
白馬はもちろん本物のお馬さんではありませんが、食べれるから奉納するというわけではもちろんなく、祈りと気持ちが大切だということに気付かされます。
こちらは奥社にあるおもかる石。
持ち上げられれば願いが叶うとのこで、何やら良くないことを考えていると思われる息子(笑)
このあとは、ひたすら朱塗りの鳥居の中を進みながら稲荷山をずんずんと歩き、いつも休憩をする四ツ辻でおにぎり休憩。
ここから先は初めての空間。
反時計回りに稲荷山を一周することに。
四ツ辻までとは一変して、ここからは人もまばら。
そして、それに呼応するかのように空気が一変します。
とっても珍しい狛狐さんを発見!
相変わらずの写真技術の無さに悲しくなりますが、こちらの格好良い狛狐さんの全景はいつも拝読させて頂いているyukixさんのブログをご覧下さい。
奇遇にも、yukixさんのブログを拝見した日は伏見稲荷大社へお参りの日。
嬉しいシンクロに今回こそは念願の磐座へと気持ちは高まります♪
この格好良い狛狐さんのいらっしゃる辺りは御膳谷奉拝所。
この石階段を上がったところに祈祷殿があり、ちょうど宮司さんが祝詞のようなものを唱えられていました。
見た感じですと毎日の日課のように見えました。
この御前谷一帯ですがもう何とも言えない空間で、『厳か』の言葉がピタリと当てはまる空間。
中でも、こちらの二股に分かれたご神木には圧倒されました。
裏のお山からお水が流れ出ているようで、路面が濡れており水音も聞こえてきます。
その水の気と木の気が充満している御膳谷。
ここは御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられています。
三つの峰の渓谷がここに集まって一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を拝する要の所。
【出典元:御膳谷奉拝所 | 伏見稲荷大社スマホサイト】
御竈殿(みかまどの)竈から連想されるものは火や煮炊き、食べ物。
御膳谷にある水と木。
竈に足りないものは、火。
調べてみたところ、伏見稲荷大社では一年に一度11月に火焚祭というお祭りが行われているそうです。
【火焚祭】
秋の収穫の後に、五穀の豊饒をはじめ万物を育てたもう稲荷大神のご神恩に感謝する祭典で、古来当社の伝統ある行事として広く知られています。
本殿の祭典にひきつづき、神苑斎場において、全国崇敬者から奉納された数十万本の火焚串を焚きあげ、宮司以下神職をはじめ参列者一同、大祓詞を奉唱して、罪障消滅、万福招来を祈ります。
【出典元:祭礼と行事|伏見稲荷大社】
執り行われる場所は御膳谷ではなく本殿裏手になる為、御膳谷で火の要素が揃うわけではありませんが、また新しい発見にワクワクします。
御膳谷を後に先に進んでいくと、痛々しい木の姿が見えてきました。
【傘杉社】
そのまま先に進んでいくと、竜にちなんだところは息子の出番。
右手に幹の太さとに反して力強い根の木。
【天龍大神】
来た道を戻った山中にふと目をやると【右 山科の里 大石良雄旧跡】の石碑。
そもそも、伏見稲荷大社というより稲荷山へと興味が湧いたのは以前京都市山科区にある岩屋神社から始まる磐座を巡るお参りからの流れ。
その岩屋神社で岩屋三社なる存在を知り、もう一社の山科神社へ。
その山科神社へ参篭していた大石内蔵助をお祀りしている神社は、その山科神社のすぐ近く。
稲荷山の裾野に山科神社と大石神社。
その反対には稲荷山をご神体とする伏見稲荷大社。
稲荷山の東西に位置する三社。
あくまでも私の推察ですが、稲荷山をご神体とする(だろうと思われる)三社。
その稲荷山には磐座が存在するということを、岩屋神社~大石神社~山科神社の流れで初めて知り、その磐座とのご対面もあと少し。
御剱社(長者社神蹟)の手水舎
御剱社とだけあって、手水舎に剱。
さて、お清めをした後は念願の磐座。
【長者社】
長者社の長者の由来は、秦氏の祖先、秦伊侶具(はたのいろぐ)が長者だったことから名づけられたとのこと。
何故秦氏ではなく賀茂氏なのかが気になり、調べてみたところ興味深いサイトを見つけました。
そのサイトより下記、転載です。
すると、上流から矢が一本流れてきた。彼女はそれを持って帰り、戸上に刺しておいた。やがて、娘はひとりでに懐妊。男の子を産んだ。あるとき宴会を開き、秦氏の祖父母が男の子に向かって、父親に酒を飲ませよと言った。すると、男の子は、戸上の矢を指差しこれすなわち雷公と言い、そのまま天井をつきぬけて、天に昇っていった。これにより、鴨上社は別雷神とし、鴨下社は御祖神と称す。
戸上の矢は、松尾大明神である。以上、これら秦氏三所明神として奉祭(ほうさい)する。
しかして、鴨の氏人は秦氏の婿である。秦氏は愛する婿のために、鴨祭を譲与する。今日、鴨氏が禰宜(ねぎ=神官)として奉祭するのは、この縁があるためである。
これから分かるように、賀茂氏の「丹塗り矢伝説」と違うのは、玉依姫が秦氏の娘になっている事で、秦氏の娘の婿は火雷神(日本神話の火の神)であり、娘婿ゆえ、秦氏は松尾大社を創建して、火雷神を祀ったことになっている。その火雷神が鴨上社(上賀茂神社の神)の別雷神(わけいかずちのかみ)である。
また、突然に賀茂氏が登場し、鴨上社(上賀茂神社の神)の別雷神(わけいかずちのかみ)は秦氏にとって娘婿で、愛するが故に、それまで秦氏が行ってきた葵祭りを賀茂氏に譲ったとしており、松尾大明神=火雷神が賀茂氏の祭神となります。
これから判るように、賀茂玉依姫 = 秦玉依姫 であり、秦氏と賀茂氏は一体である。
【出典元:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/simojin.pdf】
ただし、秦玉依姫であれば稲荷山にお祀りされているわけも納得。
磐座ご対面までにあちらこちらと脱線しておりますが、この時間がモヤモヤしながらも楽しい時間(笑)
さて、見えてきました。
磐座です。
磐座は長者社の後方に控えています。
こちらの磐座、剱石とも雷石とも呼ばれているそうで、
・剱石の由来は、岩が剱に見えることから剱石。
・雷石の由来は、昔々に神々がこの岩に雷を落とさせて結界(注連縄)を張り、封じ込めたことから雷石
と由来が二つあるようです。
念願叶っての磐座ですが、磐座よりも注連縄の堅牢な感じが印象に残っており、由来の雷を封じ込め結界を張ったと言われても何の違和感もなく、とても立派な注連縄でした。
さて、稲荷山参拝の一つの目的が達成しました!
あと残るはもう一つ。
稲荷山の山頂へ。
つづきます。