シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/東大阪市】枚岡神社 神津嶽登拝 大祓祝詞の奏上

平日の朝。

向った先は東大阪市にある元春日、枚岡神社

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今回の目的はこちら。

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現地についてみてビックリしたのですが、定員10名のところ15名の参加者数で大半の方は1月から欠かさず参加されているとのこと。

とても人気のようです(^^)

 

さて、9時半の出発時刻と同時に境内を出て神津嶽へ。

道すがら宮司さんが目の前の畑で農作業をされている方に

 

『いつもありがとうございまーす!』

 

と見た目からは想像できない声量で声をかけられ、どういうことかと思ったら、無農薬で育てたお米とお野菜を枚岡神社へ奉納されている方にご挨拶されたとのことでした。
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前回家族で神津嶽へお参りに行った際は、そもそも畑があることすら気付かずでしたが、同じ場所でも時期、人等々が変わればまた違った発見があることを実感します。

shironpton.hatenablog.com

 

境内にはミツバチの巣箱。
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宮司さんがミツバチの説明をされていると、どこからともなくミツバチが。
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頭隠して尻隠さず。

まんまるお尻が丸見えです(笑)

 

こちらの姥ヶ池は前回のお参りで息子が『ハートや❤』とたいそう喜んでいた場所。
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以前は池の形跡が分からないくらいに土砂や枯葉で埋もれていたそうです。

池のそばには黒龍社がお祀りされています。

 

枚岡神社のお山の木はとても面白く、正面に見える木は言わずもがな、右の捩じれた枝の木も面白く。
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木の根元には、湿地帯の常緑多年草のシャガの花。
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神津嶽へと歩きながら、周りの方から遅れないようにとササっと気になった木をパチリ。
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大阪市内が少し見渡せる高さまで上がってきました。
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Yの木
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前回家族で上った際はもっとしんどかったような気がするのですが、宮司さんのお話しを聞きながら時には止まり、ゆっくりと歩きながらの上り道はあっという間で、もう本宮。
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本宮で、総勢18名での大祓祝詞の奏上、瞑想、そして枚岡神社といえばなお笑い神事。

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短縮バージョン5分間のお笑い神事でしたが、なかなかお腹に堪えました。

お腹の底から声を出すことがこんなにも腹筋を使うものなのかと、とても新鮮でした。

 

大祓祝詞の奏上は大半の方が覚えていらっしゃるようで、淀みなく透き通る声でスラスラと祝詞をあげられていました。

 

私はと言うと初めての経験。

必死に言葉を追いかけようと祝詞を口にした途端、ビックリしたことに涙がとめどなく溢れ、一緒に鼻水までもが(笑)

 

全員で3回の奏上でしたが、その間涙が止まることはなく、悲しいわけでも辛いわけでもなく、なぜだか次々と溢れ出す涙。

 

その溢れる涙と共に徐々に感じたことは、ただただありがたいという気持ち。

そしてこの感情にはとてもビックリしたのですが、

 

神様に対して、申し訳ございませんでした。

 

という、懺悔にも近い気持ち。

 

本宮手前にある鳥居で、宮司さんが

さんげざんげは同じ懺悔という漢字だか、意味は全く違う。』

と説明がありました。

 

【さんげ】

仏教において懺悔(さんげ)は自分の過去の罪悪を仏、菩薩、師の御前にて告白し、悔い改めること。山岳修験では登山の際に「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱える。

 

【ざんげ】

キリスト教(カトリック)では、信者が狭い部屋に入り、自らの罪を告白することを「告解」と言い、自分の犯した罪を告白して神に赦し(ゆるし)を求めます

 

『今から、『さーんげ、さんげ』と歌ったら、後から『六根清浄』と続けて下さい。』

宮司さんが言われ、鳥居から本宮までの間、全員で『さーんげ、さんげ』『六根清浄』と歌いながら頂上を目指し歩いていきました。

 

私の中にある何かが大祓祝詞に反応したのでしょうか。

それとも総勢18名の大祓祝詞の気に反応したのでしょうか。

はたまた、本宮までの道すがらみんなで歌いながら歩いた『さーんげ、さんげ』『六根清浄』で様々なものが祓われたのでしょうか。

 

理由は分かりませんが、溢れ出た涙は嘘ではなく、更には大祓祝詞の奏上に合わせたかのような大きくうなる風の音。

風が吹き、枯葉が舞い、本宮の上部と周りだけが別空間のよう。

その空間に呼応するかのように空気も一変。

冷気といえば良いのか、今までの陽気とは一変した身を正させられるかのような空気感。

 

そう感じたのは私だけではなかったようで、本宮を後にした途端口々に

 

『あの風は歓迎の風だったのではなかろうか。』

黒龍さんが来られていた。(←姥ヶ池の黒龍さんのことかと。)』

龍神さんが上空をぐるぐる回っていた。』

 

と、今まさに感じた神秘的な体験を話されている方が大半でした。
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本宮を降りた途端、このポカポカ陽気。
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Yの木
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神津嶽から望む、大阪市内、淡路島、そして向こうに見えるは瀬織津姫の眠っておられる六甲山。

更に遠くは姫路辺りまで見渡せるそうです。
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今は神津嶽の麓までが陸地となり人々の生活の場となっていますが、太古は海。

この地から、見渡せるまでが河内国だったそうで、それはそれは栄えた国家だったようです。

 

近くに日下貝塚があったことから海の恵み、

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そして、枚岡神社のある生駒山系の豊富な水資源、

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更には山の恵み。
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私は結婚して現在は北摂に住んでおりますが、元は河内の女。

太古の河内国を想像すると、何だかワクワクしてきます(^^)

 

自然の恵みをみんなで分け合い、戦いの無い平和な国。

循環する社会。

 

そこには、競争や妬み嫉妬などはなく、あるのはただ友愛。

 

勝手に色々と想像してしまいますが、そんなことが当たり前にあったのではなかろうかと想像させてくれるお山です。
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この木の枝ぶりに目を奪われました。
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枚岡神社の境内に戻って来ました。
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本殿にお祀りされているのは、
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一殿:幸魂 天児屋根命

二殿:和魂 比売御神

三殿:奇魂 経津主命

四殿:荒魂 武甕槌命

 

一殿~四殿までの説明は、神津嶽に登っている間、宮司さんがお話しして下さり、特に、幸魂、和魂、奇魂、荒魂の一霊四魂を発霊させるにはどうしたら良いかなど、本やネットだけの知識だけではなく、実際にお話しを伺えたことはとても大きな学びとなりました。

こちらの場所は、お社を新しくされている最中とのことでした。
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井戸のようなものがあり、後で分かることになるのですが神聖なお水が湧き出る出雲井。

 

後方の木が気になりました。

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立札からすると若宮社になるのだと思われます。
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こちらの場所も現在建替え工事中とのことで、宮司さんが天神地祇社になるとおっしゃってました。

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こちらも木の種類は全く異なりますが、後方の木が気になりました。
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この枝ぶりには目を奪われます。

 

枚岡神社の所在地は電柱にもある通り『出雲井』
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前回の参拝時でも地名が気になっており、出雲と付くことから出雲族、国つ神との繋がりが浮かびます。

 

最後に全員で直会(会食)。
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『このご時世ですので、無言でお願いします。』とのことで、パーテーションで囲われた机で無言で食べるお弁当。

 

神津嶽での不思議な出来事や宮司さんのお話し、隣の席に座られている方との交流など、本来であればワイワイガヤガヤの会になったのかもしれませんが、この場に参加できただけで充分満たされました。

 

食後は、一人一人自己紹介。

みなさん色々な経験やお仕事をお持ちで、聞いているだけで本当に楽しく、改めて実際にその場で体験できることの尊さをありがたく感じました。

 

宮司さんとの神津嶽登拝は、毎月16日に開催されています。

 

早々に翌月の申込をされている方。

すでに一年分の予約をされている方。

 

私は毎月の登拝は叶いませんが、それでも行ける範囲で参加させて頂こうと思っています。

 

ご興味のある方は是非!

 

【奈良/大和郡山市】薬園八幡神社でどくだみ茶

源九郎稲荷餅の和菓子屋さんがある通りに気になる神社がありました。

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この二本の木がとても気になりました。

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【薬園八幡神社

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見辛いですが由緒書き。

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境内は雨のせいもあってか、とても清々しく祓い清められている感じがしました。

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めっちゃ笑ってはる狛犬さん。


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ここにきて、雨のザザ振りとが増してきて、果たしてこんな日にお参りに来て良かったのだろうかと色々と考えてしまいます。

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後ろ手にお堂がありました。

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境内を散策。

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塩竈神社】御祭神:塩土老翁神

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あまり聞き慣れない塩竈神社。御祭神の塩土老翁神の名は耳にしたことはありますが詳しくは知らず、調べてみました。

 

名前の「シホツチ」は「潮つ霊」「潮つ路」であり、潮流を司る神、航海の神と解釈する説もある。『記紀』神話におけるシオツチノオジは、登場人物に情報を提供し、とるべき行動を示すという重要な役割を持っている。

海辺に現れた神が知恵を授けるという説話には、ギリシア神話などに登場する「海の老人」との類似が見られる。また、シオツチノオジは製塩の神としても信仰されている。シオツチノオジを祀る神社の総本宮である鹽竈神社宮城県塩竈市)の社伝では、武甕槌神経津主神は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとする。武甕槌神経津主神はすぐに去って行くが塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたという。白鬚神社の祭神とされていることもある。

日本書紀』の天孫降臨の説話において、日向の高千穂の峰に天降ったニニギが笠狭崎に至った時に事勝国勝長狭神が登場し、ニニギに自分の国を奉っている。一書では、事勝国勝長狭神の別名が塩土老翁で、イザナギの子であるとしている。

海幸山幸の説話においては、ホデリ(海幸彦)の釣針を失くして悲嘆にくれるホオリ(山幸彦)の前に現れる。ホオリから事情を聞くと小舟(または目の詰まった竹籠)を出してホオリを乗せ、そのまま進めば良い潮路に乗って海神の宮に着くから、宮の前の木の上で待っていれば、あとは海神が良いようにしてくれると告げる。

日本書紀』本文の神武東征の記述では、塩筒老翁が東に良い土地があると言ったことから神武天皇は東征を決意したとある。

【出典元:シオツチノオジ - Wikipedia

 

塩土老翁神白髭神社で御祭神となることもあるそうで、猿田彦命と御神徳が似ているような感じがします。

道開き、先導者といった感じでしょうか。

 

境内の中央には立派な幹の木がありますが、枯れてしまったのか頭上に枝が広がっていませんでした。
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しめ縄を張られていることから御神木。

そばには赤い実のなる南天の木。
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南天は難を転じることから鬼門に植えると良い』

と、マンションから今の一軒家に越してきて知りました。

 

中古で購入した我が家の東北には南天が植わっており、以前の持ち主さんは色々考えてお庭を造られていたのかもしれません。

 

境内の反対側へ。
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石灯篭を避けるかのように二股に分かれた枝。

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そのすぐそばには鳥居があり、鳥居の向こう側には摂社。
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一番左奥には稲荷社。
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なんとなくここ最近の流れから、稲荷社へのご縁を感じておりご挨拶。

 

境内の宝物庫のような建物に陳列されていた品々。

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よく見ると、鶴と亀。

鶴と亀が揃うと自然と出てくるのは『鶴と亀がすーべったー♪』のカゴメ唄。

 

御朱印を頂いた際に、社務所の方から色々とお話しを伺うことが出来ました。
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薬園八幡神社の薬園とは漢字そのままの意味で、昔々は薬草園を所有していたらしく、大和郡山城築城に伴い現在の土地に移築、薬草園は大和郡山城の一画となってしまったそうです。

それでも、移築先の現在の境内にも薬草は栽培されており、社務所にどくだみ茶が置かれていたのも納得です。

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ドクダミチンキは家に自生するドクダミで作ったことがありますが、お茶はありません。

どんなお味なのか気になり、頂いて帰ることにしました。(500円)

 

源九郎稲荷神社へのお礼参りの予定が、思わぬところで源九郎餅が購入出来、更には名前からして身体に良さそうなどくだみ茶まで購入することが出来ました。

土地の食べ物でふと気づいたことがあります。

 

ここ2年ほど、ありがたいことに色々な場所にお参りすることが出来ており、その中で陰陽五行を強く意識することが何度かありました。

ただ、なんとなく『難しそう、ややこしそう』で嫌厭していましたが、

気になることには意味があるを幾度となく経験しているだけに、図書館で本を借りて読み始めてみました。

 

陰陽五行の核たる部分の木・火・土・金・水のエネルギーを頂くには、

 

木:その土地の空気の中で深呼吸する。森林浴をする。

火:その土地の太陽の光を浴びること。(朝日も良い)

土:その土地の地面を踏みしめる。(出来れば裸足で)

金:神社やお寺で鈴や鐘を鳴らす。音を聞くこと。

水:湧水を頂いたり、温泉(出来れば源泉かけ流しの露天風呂)に入ること。

 

で、要はその土地の自然を全身で感じることが必要とのこと。

 

ふと、神社への参拝は木・火・土・金・水のエネルギーが余すところなく頂けるのではないかと。

鎮守の森が豊かで、尚且つお水が頂ける神社であれば完璧。

 

これにはチョットビックリしてしまいました。

 

何故、参拝に行くのか。

古代史好き、日本の神話、神様好き・・・。

などなど、色々と思いつくところはありますが、どれも正解のようでどれもあと少しな感じがしており、ただ木・火・土・金・水のエネルギーチャージが(ほぼ)出来ると分かった途端、何だか腑に落ちたような気がします。

 

私の身体は自然を渇望し、神社へ参拝するということで自然のエネルギーをいただいているのではなかろうかと。

 

人間の身体は小宇宙。

その小宇宙には自然のエネルギーが必須で、衣食住が足りているだけではどうにも元気にはならないようです。

 

そんなことが、神社参拝を通して、そしてほんの少しかじり出した陰陽五行説で繋がった瞬間。

 

気になることには意味がある。

今回もまた実感することとなりました。

 

【奈良/大和郡山市】源九郎稲荷神社 お礼参り

土砂降りのある日の日曜日。

思い立ったが吉日で、一人電車に揺られ奈良県大和郡山市へ。

向った先は、以前夢に出てきたことからお参りへの流れとなった源九郎稲荷神社

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こんなにザザ振りの日でも、お参りの方がお一人いらっしゃいました。

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今回の目的はお礼参り。
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夢で実在する神社が出てきた場合、それは呼ばれているとのことらしく、その際は呼んでいただいたお礼としてお酒を持って行くと良いということを、たまたま目にしたブログで知りました。

前回、全然手ぶらでお参り行きましたけど(笑)

 

そして、そんなことを知ったならば行かないわけにも行かず。

更に、たまたま駅に出ていたこともあり、近くの酒屋さんで地元のお酒を購入。

大和路快速に乗って75分の一人旅。
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青々とした葉がチラホラと見えますが、桜がきれいでした。
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今回の目的は早々に達成。

 

そして、後になって更に知りましたが、実在する神社の夢を見たからと言って必ずしも呼ばれているわけではなく、狸に化かされている場合もあるとのこと(*'▽')

 

もしかして化かされていた?(笑)

その真意は、見えないものが『見えない・聞こえない』の私には全く分かりませんが、まぁ化かされていたとしても一人で電車に乗って遠路はるばる雨の中、お参りに行くだなんてことはなかなかないことで、これはこれで良き思い出になって良かったということにしておきます(笑)

 

さて、境内を後にし源九郎稲荷神社への道すがら気になった和菓子屋さんへ。
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 大和郡山名物 源九郎餅の幟を見過ごすわけにはいきません。

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これは非常に美味しかった❤
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これから何度源九郎稲荷神社へお参りに行く機会があるのか分かりませんが、あれば次も買いにゆかねばなりません。

何度も言いますが、美味しかった❤

 

前回のお参りはサイクリングで通ることもなかった和菓子屋さんのある通り。

今回は電車にしたことで、偶然目にした和菓子屋さん。

 

しつこいようですが、狸に化かされていたとしても、源九郎餅が食べれたということで食いしん坊の私としては万々歳です。

 

さて、このまま帰るにしては電車に揺られている時間の方が大幅に多く、道すがら気になった神社へお参りです。

 

つづきます。

 

【淡路島】伊弉諾神宮の夫婦楠、と多賀の地

兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾神宮。

多賀で思いつくのは滋賀県多賀町多賀大社

御祭神は同じく、伊邪那岐大神と伊邪那美大神

 

面白い!

 

淡路島に来たのならば、そしてここ最近なんとなく伊弉諾神宮へ行かなければならないような気がしており、キャンピングカーでの旅の最終日のコースへと入れてもらいました。

 

伊弉諾神宮】

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【由緒書き】
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手水舎には亀
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伊弉諾神宮へのお参りは10年ぶり。
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あの頃、右端のぼくちゃんは私のお腹の中で、左端のお嬢ちゃんは三歳でした。

真ん中のおじさんは・・・。相変わらず私に振り回されています(笑)

 

【拝殿】
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キャンピングカーを返却する時間が刻々と迫っており、少し急ぎ足のお参りです。

 

前回のお参りの記憶はほぼなく、夫婦大楠の存在は今回初めて知りました。
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こんなに立派な木なのに!
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二股に分かれていることから夫婦大楠なのでしょう。
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堂々たる幹回り。
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どれも同じような写真ばかりですが、見る角度で表情が代わり、こんなに素晴らしい木に10年前には全く気付かなかったということが、いかに人間は見たいものしか見ないという生き物なのかが良く分かります。

人間と言うより、私なのかもしれませんが(^^;
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四方八方に伸びる枝が見ているだけで清々しく。
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神馬の像が気になり調べてみると、秋祭りで流鏑馬神事が行われるようです。
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いつかは間近で流鏑馬神事を拝見してみたい。

 

このまま境内を本殿沿いにぐるりと回って、
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何とも美しいお参りの姿。

本殿の真後ろです。
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目に見えなくとも、大いなる存在に敬意を表し頭を下げることはとても大切で、今はまだ分からず言われた通りにするだけの形式だけかもしれませんが、

 

・回数を重ねること

・分からずともやってみること

 

が子供たちの財産の一つになればと思います。

 

 

鬼滅の刃』好きな娘は、竈神社でお参り。
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拝殿横から見える本殿。
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正門を出て、行きに歩いた放生の神池にかかる橋を渡らず、
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正面大鳥居とは別の鳥居から境内を後にしました。
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急ぎ足でのお参りとなりましたが、なんとなくソワソワしていたものが落ち着いたような感じがしました。

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偶然にも分かった、兵庫県淡路市多賀の伊弉諾神宮と滋賀県多賀町多賀大社の御祭神が伊邪那岐大神と伊邪那美大神だということ。

このことが今回の必要な気付きだったのかもしれません。

だとすれば、久々に滋賀県へのお参り。

 

他にもまだまだ繋がったままお参りが出来ていない場所が沢山あり、いつになるやらですが、行く流れが重なった時がその時だということで(^^;

 

お次はそんな『行く流れ』が重なったご縁で奈良へと一人電車旅です。

【徳島】大麻比古神社 奥宮下山 絆の大杉

さて、大麻山の奥宮 峯神社を後にし来た道とは別の裏参道から下山です。
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上から見ても分かるほどに大きな木。

 

近付いてみるとその大きさに圧倒されます。
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頭上を見ると二股に分かれています。
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こちらの二股の大杉。

てっきり二股かと思っていたら、隣り合う2本の杉が互いに競い合って成長し、やがて幹が一つにくっついた巨木だそうで、何とも珍しい大杉。

樹高27メートル、幹回り5・44メートルにもなるそうで、樹齢は300年以上。

 

令和2年12月にこちらの大杉のネーミングが決まったようで、『絆の大杉』というそうです。

当初は競い合っていた2本の杉。

成長する中で、切磋琢磨し最後にはお互いが認め合ったということでしょうか。

一本の木として今尚成長しており、陰陽和合と言う言葉が浮かびました。

 

絆の大杉のネーミングは『心と心を繋げて一つにするとの意味合い』とのこと。

素敵なネーミングです(^^)

 

大杉を通り過ぎて別の場所にも祠がありました。
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上部の祠と下部の祠どちらにも不動明王がお祀りされているそうです。

【出典元:天然記念物 大麻山峯神社の大杉 | 鳴門市

 

この先を進むと、行きの表参道に合流しあとは笑う膝をどうにかなだめすかして、早く歩きたい気持ちとは裏腹に、ゆっくりと転ばないように必死に下山。(そんな無様な姿は私だけで、他三名はスタコラサッサ)
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山道を歩いていると標高を忘れてしまいますが、視界が開けた場所に来ると標高538mなのも納得な展望です。
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帰り道は笑う膝に写真を撮る余裕もなかったようで、
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この木を撮ったのが最後。
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到着です(笑)
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右に写っている積み重なった石が気になったのは私と息子。

冷静沈着チーム(主人と娘)は素通りです(笑)

 

さて、大麻比古神社の境内へ戻って来ました。
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どこから撮っても様になるご神木。

 

今更ですが、由緒書きを撮っていなかったことに気付き念の為にパチリ。
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最後に拝殿とその後方にそびえるお山。
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片道2km、90分の案内板に誘われての奥宮登拝でしたが、想像以上にクタクタで、想像していた以上に素晴らしいお山でした!

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最後に名残惜しみつつも御神木をパチリと。
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さて、行きは裏参道からの参拝であった為大鳥居をくぐっておりません。

せっかくなので大鳥居の方へ歩いていくと、またしても気になる木を発見!
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境内の周りを流れる坂東谷川沿いに一本の巨木。
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めちゃめちゃ暴れん坊で、鉄の支えが至る所に添えてありますが、その鉄の支えを飲み込む勢い。

 

そして、その木を見ながら何だか楽しそうな方(笑)
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石垣が根の勢いで破壊されています。
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木の側に寄ってみるとこちらは先程の絆の大杉の二股とは違って、三つ又。
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暗くなっており見えにくいですが、この鉄の支えを幹が取りこんでしまっています。
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御神木とはまた違った、どちらかというと猛々しい感じの巨木でした。

 

さて、最後に裏参道入ってすぐの西宮社へお参りです。
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なんともひょうきんな狛犬さん。
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失礼を承知で言わせて頂くと、手乗り狛犬さん(笑)

どちらも前足をちょこんと乗せた姿が何とも愛嬌たっぷりで、さらに前掛けならぬマフラーなところもツボ。
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そばには立派な杉の木。
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西宮社のすぐ下には川が流れており、良い意味で必要以上に手入れをされていない感じが良かったです。
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さて車に戻った後は、道の駅第九の里で購入した地元の甘いオヤツ❤
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鳴門金時の芋きんつば

美味しくないわけがなく、箱入りがあれば買っておけばよかったと家族一同悔やむも時すでに遅し(^^;

 

予想外の大麻比古神社へのお参りと奥宮登拝でしたが、素晴らしいご神木とお山、そして真名井のお水に出会えたことに感謝。

 

翌日は四国を後に淡路島へ。

つづきます。

【徳島】大麻比古神社 奥宮登拝 登り

境内から奥宮へと誘う(私にとっては)魅惑の案内板。

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『奥宮峯神社 徒歩90分 山頂まで約二km』

 

週末のサイクリングや日々の散歩で体力には少々自信があったのですが、この案内板を甘く見過ぎていたことがお山に入ってすぐに判明することに。。。

 

ほどなくして右手に『大麻比古神社 神田』の石碑が見えてきました。
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神さまにお供えするお米を作る田んぼですね。

 

桜もまだ残っており、午前中の為日差しもきつくなく鼻歌を歌ったりして楽しく歩いています。
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こんなに素晴らしい木が、どう見ても農道な道の左右にあり、いかにこの地が神域であるかがうかがい知れます。
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そして、さぁ今から登拝のタイミングで右手のこの方。
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鼻血です(笑)

 

大麻比古神社の境内にあった四国のみちはこのお山にも繋がっているようです。
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お山の裾野から山頂目指して2km。

急遽、久々のハイキング。


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山頂へは鳥居をくぐって真っすぐ進まず、左手に伸びる道を登っていきます。
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この日は午前中といえども気温が高く、少し歩いているだけで汗ばむ陽気。
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マスクなんてしていられません(笑)

 

山道の脇に祠を見つけました。
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息子はこういった、人が見過ごしがちなところを見つけるのが得意です。

そして、勉強は不得意です。

親としては『反対であればよいのに』と願わずにはおれませんが、

 

『みんな違って、みんないい』(by 金子みすゞ

 

みんなと同じでいる必要はないのでしょう。

 

あなたはあなたでいい
『私と小鳥と鈴と』

 

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 

 一緒であることは絶対ではないですね。

 

またしても山道脇で祠を見つけて手を合わせる息子。
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私が手を合わせなさいと言わずとも、自分で気になる祠に行き手を合わせている姿を見ると、親は子供に口で教えるよりも、まずは行動が必要なのだと気付かされます。

ついつい、ガミガミ言ってしまいますがね(^^;

 

さて、先を進む冷静沈着チームを見やると、目の前に急斜面の石階段。
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急な石階段を登り切っただけあって随分と高い場所まで上がってきましたが、まだ山頂ではなく、徐々に言葉少なになっていく一同(笑)
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まさかハイキングになろうとは思っても見なかったので、この時点で全員の飲料水が無くなってしまい、ちょっとパニック。
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そんなタイミングで奇跡のような案内板を発見!
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真っすぐ進めば参道。

右手に逸れれば真名井の水。

 

ネットで調べたところ、山頂へは遠くなってしまうものの飲める水があるとのことで、すでに全員疲労困憊ですがお水を求めて参道から逸れることに決定。
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水分が無い上に、この日差し。
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家族全員気合いで歩くの図。

 

参道ルートとは打って変わって、真名井の水へのコースは道が狭くただひたすら歩くのみ。
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なんだかそれっぽいところに着いたような。。。
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恵みの水!
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ありがたい気持ちで、一人ずつ手にしたボトルにお水を頂きます。

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こんなにもお水がありがたいと思ったことは思い返してもここ最近では思い当たらず、水道の蛇口をひねればいつでもきれいなお水が出ることが当たり前ではなということに気付かされます。

 

その思いは家族全員一緒であったようで、口々に『ありがたいね~。』『美味しいね~。』とお水だけでとても幸せな気分。


お水の出ている周りには石碑が置かれていました。
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そばには比較的新しい祠。
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見たところ、お世話をされている方がいるような感じです。

この山道を上ってお世話をされに来ているというだけで、ただただ尊敬です。

 

お水が湧き出ている場所もあってか、先程までの暑さとは無縁の真名井の水周辺。

お水も美味しく、いつも頂いている水無瀬神宮のお水とは違ってサラッとしているとは娘。

いつの間にか、水の違いまで分かるようになっていたことにビックリ。

 

日々、当たり前のように美味しいお水が頂ける生活をしていますが、やはりありがたいことだと改めて思いました。

 

さて、お水を飲んで見るからに元気になった家族一同。

ここからは山頂を目指してまた歩きます。

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鳥居をくぐる時は一礼も当たり前のように出来るようになりました。
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山道の標識が見えてきました。
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お水を飲んでエネルギーチャージ、参道の標識を見つけて気分も前向きに、こうやって少し周りの木々を見る余裕も出てきました(笑)
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こちらの木は、倒れた木から直立にまた新たな生命(木)の誕生です。
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この木に至ってはどういうことなのか分からないのですが、標識を包み込むかのように木の幹が空洞になっていました。
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やっと九合目の標識!
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鳥居が見えてきました。
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取り換えられたばかりであろう前掛けの狛犬さん。
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最後の最後まで石階段(笑)
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手水舎の石に『明治三拾五年』と彫られています。
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もう100年も前の手水舎ですね。

 

大麻比古神社の奥宮【峯神社】
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【御祭神】津咋見神(つくいみのかみ)

古語拾遺』に、天照大御神が天岩屋に隠れた時、天日鷲神とともに穀(かじ)の木を植えて白和幣(木綿)を作った神。

 

【出典元:津咋見神:玄松子の祭神記

 

天日鷲神忌部氏の祖先で、大麻比古神社の御祭神である大麻比古大神(阿波忌部氏の祖)のお父上。

 

津咋見神は木綿を作った神様。

大麻比古大神からは読んで字のごとく大麻が連想され、日本の神道、戦前の日本の生活には無くてはならない大麻

大麻比古神社の名前をGoogleマップで発見した時に、大麻と言う名前を冠していることから日本神道にとても深い繋がりがある一帯なのではないのかと。

 

以前、大麻のお飾りを作るWSで聞いた話の中で、確か大嘗祭で神座にお祀りされる「麁服(あらたえ)」は確か大麻ではなかったであろうかと今ふと思い出し、

tonjil.hatenablog.com

kidoki-123-kimono.hatenablog.com

 

調べてみたところ繋がりました!

www.topics.or.jp

 

徳島と言えば阿波踊りと阿波しじら。

阿波しじらといえば木綿。

 

木綿を作った神様は、峯神社の御祭神である津咋見神と忌部氏の祖先の天日鷲神

そして、皇室に献上してい麁服(あらたえ)は日本神道と深い繋がりがある大麻

その大麻を連想させる大麻山の山頂に峯神社。

 

・・・う~ん。

色々と点が出てきた感じはしますが、点と点が直線になって繋がりそうになくこの辺で断念。

 

さて、拝殿の裏手に回ってみます。
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そばに立派な木が一本。
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立派な木が横たわったそばには祠がひっそりと。

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祠の側に木が切り倒された形跡があることから、この木の祠だったのかもしれません。

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奥に進むとまたしても木の側に祠がありました。
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拝殿周りの木々はとても気持ちの良い一帯。
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のんびりしていたい気持ちもありますが、予想外のハイキングでのんびりしている時間もなく。

 

大麻山の山頂は538m

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ここから下山です。

 

つづきます。

【徳島】大麻比古神社 御神木

4月上旬。

キャンピングカーに揺られ着いた先は、本州ではなく瀬戸内海に浮かぶ島。

四国。 

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旅の予定は立てておらず、とりあえずサイクリングが出来れば良いかと、ふと目にした神社が気になりました。
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神社の後方にそびえるお山。

その手前には、神社の無料駐車場1000台分の広大な敷地。

 

正面ではなく、またしても裏参道から。
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境内に入るや否や目にした光景で、すでにこちらの神社の木に出会えたことが嬉しくなる木々達。
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先程のコンクリートで敷き詰められた駐車場と同じく足場はコンクリート

そのコンクリートを突き破らんばかりの樹勢のある木々。

 

【境内図】
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こちらが表参道。
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狛犬さんは、前掛けもマスクも炭治郎
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こちらの狛犬さんは、じっと座っているタイプではないようです。
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【手水舎】
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後方の木の佇まいに惚れ惚れしてしまいます。

 

手水舎の反対側には神馬舎。

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そして正面を見ると、この存在感のある御神木。
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早くご神木に近付きたいのに、なんだか面白いものを発見してついつい撮ってしまいました(笑)
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ここからは御神木と戯れるの図。
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一心不乱に御神木を撮っている側で『これが可愛いから絶対撮って!』と譲らない息子。
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ふくろうさん(笑)

 

御神木ですでにお腹いっぱいな気分ですが、拝殿へと向かいます。
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【御祭神】大麻比古大神、猿田彦大神

 

大麻比古大神とは?

 

大麻比古大神とは、大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。
神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。
その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。この神社が今徳島市忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。
忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。

 

【出典元:Q&A - 大麻比古神社

 

忌部氏のお名前が出てきました。

忌部氏といえば、古代朝廷で祭祀を執り行っていた氏族。

同じく祭祀を担当していた氏族で忘れてならないのが天児屋根命を祖神とする藤原氏

ただ、私が知っているのはこの程度の知識^^;

 

拝殿手前のこの狛犬さん。

見た瞬間、家族全員がとりこになりました。
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この何とも言えない前脚と『ウシシッ』と少し悪巧みな表情(笑)
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対の狛犬さん。
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拝殿右手に奥に回れそうな道を見つけて進んでみることに。
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拝殿の右奥に【豊受社】
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その左手に【山神社】
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本殿の真後ろはお参りが出来るようになっていました。
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本殿の裏手を通り過ぎると【中宮社】
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めがね橋の案内に従って先を進みます。
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小さな石橋が見えてきました。
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ドイツ兵の俘虜が造った石橋とあり、なぜ神社の境内に?

 

境内にはもう一つ、ドイツ兵の俘虜が作ったドイツ橋があり、どちらもドイツ兵が帰国の際、記念にと造られた代物だそうです。

 

下記、ドイツ橋に関するWikipediaの記載内容です。

以前は木橋であったが、この地に第一次世界大戦の捕虜として収監されたドイツ人たちによって造られた。

ドイツ帝国租借地であった青島において捕虜となったドイツ兵の一部は、大麻比古神社の約2km南にあった板東俘虜収容所に収監されていた。当時、大麻比古神社境内はドイツ人捕虜たちの散策に利用されていたが、板東俘虜収容所における捕虜への対応が人道的かつ寛大で友好的であるうえ、地域住民との交流も積極的に行われたことから、彼らが帰国する際に記念として築造を提案した

1919年(大正8年)4月初旬に着工し、同年6月末に完成した。橋の材料は和泉砂岩で、アーチの形式はローマ式の半円形で馬蹄形の石築アーチ橋となっている。内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンになる。

2004年(平成16年)1月30日に徳島県文化財史跡に指定された。現在は保存のため、橋の上の通行はできなくなっている。

神社の境内にはこれとは別に、ドイツ人捕虜が造成した池があり、この池にも捕虜の建造した小さな石造りの2連アーチ橋がかかっている。こちらには「めがね橋」という愛称が付けられており、現在も通行は可能である。

 

【出典元:ドイツ橋 - Wikipedia

 

神社の境内には、めがね橋とドイツ橋に関する案内板があり、読んでいるだけで胸がジーンと熱くなりました。

 

地元の方はドイツ兵の俘虜に対して『ドイツさん』と親しみを込めて呼ばれていたそうです。

そして、そんな交流が可能となったのは、ドイツ兵俘虜が収容されていた坂東捕虜収容所の松江所長のドイツ兵俘虜に対する人道的な対応。

 

地元民とドイツ兵俘虜を交流させた以外にも、夏の暑い日には俘虜たちに川遊びをさせたそうで、それを上層部から咎められた際、『川に落ちてしまった。』と何ともユニークな返答をされたらしく、捕虜収容所の暗いイメージからは程遠い松江所長のお人柄。

 

色々想像するだけで、その優しさを感じることが出来、今でも思い出すだけでジーンとしてしまいます。

 

参拝の翌日、大麻比古神社の近くのドイツ館へ立ち寄ったところ、お土産屋さんと同じフロアに当時のことが詳しくパネルで紹介されていました。

まるで大人の社会科見学のよう(^^)

 

さてさて境内に戻りまして、こちらはめがね橋の池に流れ込む水源。
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水量、水質、そして境内の木々達。

こんな立派な境内であるからには、お山もそれはそれは素晴らしいに違いありません。

 

ふと目に着いた二股の木。
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 根元が素晴らしく

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ちょっと楽しくなってきてしまって、息子と二人木を巡る探検。
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この反りっぷりに目が釘付けでした。

 

こんな道を見つけたら歩かないわけにはいかず、
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息子と私でテンションが上がってしまい、
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ずんずんと奥に進んでしまったところ、反対側の遠くに見えるは私と息子とは打って変わって冷静な主人と娘の二人組。
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境内の森が生き生きとしています。
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楽しくなってどんどん参拝ルートから外れてしまい、ひとまず元のルートに戻って来ました(^^;
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この楽しかった道は『四国のみち』と言うのだそう。
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何でも知らないことや分からないことが気になる性分で、調べてみました。

四国のみち(四国自然歩道)は全長1545.6kmの長距離自然歩道です。

起点は徳島県鳴門市、終点は徳島県板野郡板野町四国霊場や、各地に点在する身近な自然や歴史に親しみながら、歩いて四国を一周することができます愛媛県内の四国のみち(四国自然歩道)は、大小の島々が浮かぶ瀬戸内海、複雑な海岸線を有する宇和海四国カルストの美しい自然や、へんろ道、旧街道、神社仏閣の歴史・文化に触れながら歩く、全部で33コース、総延長362.5kmです。

【出典元:四国のみち ガイド

 

四国のみちは全長1545.6kmという途方もない距離!

その一部、数十メートルを踏破しました(笑)

 

先を進むとまたもや面白い一画が。
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藤棚と岩が鬼滅の刃を連想させるワンショット。

そして藤の花から連想されるのは、下り藤紋の藤原氏

忌部氏の祖神がお祀りされている神社の境内で、宿敵の藤原氏を彷彿とさせる藤棚。

過去の因縁は既に解かれ、和解されているのでしょうか。

 

藤は藤色、紫色とばかり思っていましたがこちらの藤は口紅藤とあり、淡い紅色のようです。


先に進むと、ドイツ橋の案内板が見えてきました。
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ドイツ兵俘虜の日本への友好の証としての石橋。
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ドイツ橋を後に、目の前に朱色の鳥居が見えてきました。
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階段を上がった先には、左手に【丸山稲荷社】

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右手に【丸山神社】
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丸山稲荷社から後方を見るとご覧の通り。
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直線状に丸山神社。
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参道の頭上には桜
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丸山エリアから降りてきたところで面白い木を発見。
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先を見ると気になる道があり、息子と私は行く気満々。

それに対して、冷静沈着チームは『案内板もないし、行っても何もないやろ』とつれない返答。
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何もなくても行きたいだけなのですが、ここは息子と二人我慢することにしました。

 

その近くに、八大龍王神社があり龍繋がりで息子はお参り。
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来た道を戻り、拝殿近くの奥宮遥拝所まで戻ってきました。
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奥宮遥拝所があるということは、後方のお山が奥宮。

行ってみたい!


案内板によると、山頂までは2kmということで、『2kmくらいなら。』の安易な気持ちで登拝を決めましたが、これがあとでエライコッチャな事になろうとは・・・。

つづきます。