シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都】武信稲荷神社、三本鳥居に御神木

四条通りから北上して、三条通りの手前にある神社へとやって来ました。

 

【武信稲荷神社】

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真っ先に気になったのが、右手にある大きな木。
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気になりつつも、まずは境内へ。
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連なった鳥居をくぐるにつれ少し緊張。
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鳥居ごとに左右に狛狐さんいる中を通る緊張感。

 

最後の狛狐さんが、一番緊張しました。
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とても立派なのですが、地震の影響でしょうか所々破損しており、台座もご覧の通り傾いてしまっています。

 

さらには、右手の狛狐さんに関しては姿が見えません。
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ちょっと見え辛いかもしれませんが、右手にアマビエ様のカラフルな絵が飾られていました。

『疫病退散』

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その右手には、『防菌加工済』の立札がある手水舎。

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アマビエ様に、防菌加工済のひしゃくに、一年前には想像も出来なかった姿。

 

さて、私をほってスタコラサッサと先を急ぐ息子。

逸る気持ちは私も一緒。良く分かります。(笑)
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拝殿よりも何よりも左手の木に家族一堂目が釘付けでした。

そして、案の定というかお参りより先に木に吸い寄せられていく私、息子、そして主人。

 

木の周りの石の柵はいずれ不要になるのかもしれません。

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凄いとしか言いようがない根の力。

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そして、この木には坂本龍馬の『龍』と言う文字が彫られていたそうで、当時命を狙われていた坂本龍馬がのちに奥さんとなるおりょうさんに、自身が存命である印にと自分の名前の一文字の『龍』を彫ったと言い伝えられているそうです。

 

御神木の手前に、チェーンソー作家の城所ケイジさんがエノキから彫り出した龍が安置されていました。
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城所ケイジさんといえば、京都府山科区の牛尾山中の法厳寺でも木から彫り出された龍を拝見しました。

shironpton.hatenablog.com

 

あれからたった三ヵ月しか経っていないといった方が正しいのか、それとももう三ヵ月も経ったというべきなのか、時間の流れが曖昧な感じがします(^^;

 

さて、ここからはひたすら御神木との時間。
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反対側に回ると、御神木を拝むための祠がありました。
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神社にお参りに行くたびに、そして木に出会うたびに、自分のちっぽけさが身に沁み、そして自分が出来ることなんてたかが知れていると思い知らされ、でもだからこそ出来る範囲のことをキチンとしようと身が引き締まります。
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存在しているだけで神々しい。

 

こちらはにその御神木そばにあった伏見稲荷遥拝所。
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拝殿の裏手には摂社がズラリと。
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こちらは以前使用されていた瓦なのでしょうか。

一画に安置されていました。

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拝殿の右手から鳥居を見た景色。

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息子が境内を歩きながらしきりに、『自分の家の庭に神社があるみたいな感じ♪』と居心地が良いのか妙に楽しそうでした。

ちなみに我が家の庭はこんなに広大ではありません(笑)

 

それにしても息子が感じるのも頷ける、おばあちゃんの家に来たような何とも懐かしい感じのする境内。
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さて、拝殿周りを木に導かれるかのようにぐるりと時計回りに、やっと拝殿でお参りです。

 

狛犬さん。

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拝殿

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社務所前には【白蛇大辨財天】
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白蛇大辨財天の右横にある立札に一寸法師とあります。
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武士になるために、お椀の船で京へやってきた一寸法師が住み込みで奉公させてもらうことになるのが歌にある「京は三条の大臣殿」の屋敷であり、三条の大臣殿とは西三条大臣といわれる、武信稲荷神社を創祀した藤原良相公その人である
武信稲荷神社は藤原大臣の屋敷、藤原氏の学問所のあったところで、一寸法師が暮らした物語の舞台になった場所である。

小人から立派な大男になった一寸法師のように子供が大きく立派に育つように、また打ち出の小槌で金銀財宝を打ち出して末永く繁栄したことにあやかって、金運・開運・出世が叶うといわれ、願う人が後を絶たない。

 

【出典元:一寸法師がくらした武信神社

 

お参りしている際は、一寸法師が住まわれていた場所が武信稲荷神社だなんてことは全く知らず、まさか坂本龍馬繋がりで一寸法師のおとぎ話にまで繋がろうとは。

 

さて、その一寸法師の立札の後ろ手に、境内に入る前に気になっていた木がありました。
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【起上大明神】
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地元では『大黒さん』と呼ばれているようで、大黒様がお祀りされているそうです。
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これは先程見た御神木と対になるのでは?

 

根拠も何もありませんが、ふとそう感じました。

お昼ご飯を食べた西寺址にあった二本の木と同じ感じがします。

shironpton.hatenablog.com

 

帰り際、神社の全景を撮ろうと少し離れた位置でパチリ。f:id:roy-7303-pkbs:20210327184622j:image

今更ですが三つ鳥居?

鳥居が三つ横に並んでいます。

 

三つ鳥居は中心の鳥居の足にあたる部分を左右の鳥居の足として共有するので、三つの鳥居が個別に並んでいるのでは三つ鳥居ではないのかもしれませんが。

 

三つ鳥居で思い浮かぶのは、以前お参りした坐摩神社、そして大神神社

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

どちらの神社も去年の春先でのお参り。

あれから一年。

世の中は大きく変わり、本当に必要なものは何なのか、以前に増してより深く考えるようになりました。

 

必要だと思い込んでいるモノ。

変わりたくないから、必要だとしているコト。

 

思わぬところで、自分の思考の癖や変わりたくないと必死に抗っている自分と対面することになりました。

 

まだまだ、どんどん変わっていけそうな気がします。

以前は変わることが怖かったのですが、今は楽しみですらあります(^^)

 

「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」

 

祓い清め、余分なもの(エゴ)を削ぎ落した先に何があるのか。

お参りを続けることが、日々の生活での気付きになっているような気がします。

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【京都】梛神社(元祇園)で自転車お守り

さて、鎌達稲荷神社をあとに竜と坂本龍馬に関係する神社に行く予定が、何だか見覚えのある通りに差し掛かり、目にした神社は以前気になりつつもタイムアウトでお参り出来なかった神社。

 

【元祇園梛神社

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こちらの神社は、以前西院野々宮神社の御朱印を頂きに今宮神社から走っていた際に通り過ぎた神社です。

shironpton.hatenablog.com

 

そりゃ、目の前を通ったら通り過ぎるわけにも行かず、これも何かのご縁。

お参りに立ち寄らせて頂きました。
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【御祭神】素戔嗚尊神を主祭神とし、宇賀御魂御命、伊弉冉命を配祀

 

御供石の立札がありますが、一体どこにあるのかと奥を覗いてみると

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ありました!

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根元の木の根といい、ちょっとすごいエリア。

大々的に宣伝というのか、表示されていないので見過ごしてしまいそうですが、側にある木の根といい、一見の価値ありです。

 

その御供石、自動センサーの手水舎からも確認できますが、側に立札が無い為、手水舎だけの利用であれば気付かない方がほとんどかもしれません。

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(手水舎後方に注連縄がかかった御供石)

 

境内には年季を感じさせる狛犬さん。

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一瞬目の錯覚かと思う拝殿。

横に広く、左右対称のような形ですが、良く見ると屋根の部分が異なります。
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こちらの拝殿、左右で分かれており、左手は素戔嗚尊がお祀りされている元祇園梛神社
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そもそも、なぜ元祇園神社と呼ばれているのか気になり、調べてみました。

 

社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という。

その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという。

 【出典元:梛神社 - Wikipedia

 

八坂神社に元祇園社があったとは、初めて知りました。

元伊勢、元出雲、元春日、そして先程お参りした鎌達稲荷神社は元稲荷。

そして、ここ梛神社は元祇園

 

神社へ行くことが観光ではなく、お参りを主目的とするようになってから同じ神社への参拝でも気付くことが沢山あり、こうやって神社のルーツを辿っていくこともとても面白く、勉強になります。

見渡せば学ぶべきことは沢山あり、自分が学びたい事は学校の勉強とは違った面白さがあり、一生を通して学び続けたいと改めて思います。

 

右手は隼神社。
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【御祭神】武甕槌神(隼大神)を主神として、経津主神塩土神、手力男神が配神
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こちらのお社は力強い神様の面々。

 

拝殿以外に、境内には摂社が二社ありました。

 

【川上稲荷社】
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地主神の【田中神社】
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北側の鳥居から参拝しましたが、東側にも鳥居がありこちらにも狛犬さん。

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東側の鳥居から入ると、ちょうど正面に拝殿となります。

日の出が射す位置に拝殿ですね。

その拝殿左手にあたる社務所の一帯はとても清々しい空間でした。
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そんな清々しい社務所の前には、こんなに可愛い手水舎があるのです。
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ガーコのお風呂みたい(笑)

 

そして、ビックリしたことに御朱印の数がビックリするくらいに多く、見ているだけで楽しいエリアです。
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他にもまだまだありましたが、さんざん見はするものの結局いつも最初にお願いする御朱印はシンプルな昔からある御朱印です。

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そして、先程の鎌達稲荷神社と同様、こんなところにこんなお守り!

自転車バカ好きな息子に最適な自転車お守り。
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緑は残り一つで、緑好きな息子。

これは買わなきゃいかんでしょと息子と即決。

ふらりと立ち寄った梛神社でしたが、とても良いご縁でした。

 

そして、今調べていて初めて知りましたが、こちらの梛神社の御神木の梛の木は、葉の葉脈が引っ張っても切れにくく丈夫なことから

 

『縁が切れない』

『ご縁を結ぶ』

 

とご縁繋がりのご神徳があるようです。

 

梛神社の目の前は交通量の多い四条通り。
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そんな交通量の多さも忘れてしまう境内は、木が境内を護っているのが一目瞭然なご神域。
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さて、お次こそは竜と坂本龍馬に関係のある神社へ。

つづきます。

 

【京都】鎌達稲荷神社(元稲荷)でサムハラ神社のお守り

この日は空がとても素晴らしく、『今日はきっと何か良いことがあるはず❤』と息子と話しながらの週末サイクリング。

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桂川沿いを京都に向けて走ります。
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途中、いつも休憩する場所で一服。

 

ちょうど一年前、伏見稲荷大社へのお参りにこの場所でお昼ご飯を食べていたことをブログを見返して気付きました。

shironpton.hatenablog.com

 

当時は家族4人でしたが、今回は3人。

あれから状況は変わり娘は毎週1人滋賀県へ。

一年前が遠い日のことのような、ついこの間の日のことのような、何とも不思議な感覚です。

 

さて、毎度のことながら川沿いサイクリングはただひたすら走りたい息子へのお付き合い。

そのサイクリングの道中に、私がふと気になった神社に誘導(笑)

さてどこに向かおうかとGoogleマップと相談。

気になった神社を見つけました。

 

【鎌達(けんたつ)稲荷神社】
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鳥居の正面に社務所
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手水舎周りの苔が綺麗でした。
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その左手に拝殿。
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更にその左手に稲荷神社。
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こちらは拝殿右手。
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石碑手前に切り株があり、たいそう立派な木があったのではなかろうかと思います。
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社務所は開いておらず、お守りやお札は無人販売

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『ん??』

 

やたらと目立つ黄色い箇所。

よくみると、サムハラとあります!

 

稲荷神社でサムハラ。

大阪のサムハラ神社ではなく、京都のそれも稲荷神社でサムハラ。

 

大阪のサムハラ神社には一度付近まで行きましたが、恐ろしい長蛇の列。

少し並んでみたものの、遅々として進まない行列に迫る子供達の下校時刻。

結局断念して、以降ご縁がないのか一度もお参りに行くことはなく、そんな中こんなところでお守りに出会ってしまいました。
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サムハラ神社のお守りの欄をよく読んでみると、奇跡を招く呪符(呪いのお守り)とあります。

ちょうど前日、娘が今の娘にとっては無謀な挑戦をしようと新たなスタートを切ったばかり。

これも何かのご縁。

それこそ、奇跡が起きなければ今の娘にとってはとても難しい挑戦です。

私ばかりがジャラジャラとお守りばかりを持っていても仕方ありません。

せっかくなので娘へと頂いていくことに。

 

サムハラ神社のお守りと、御朱印を頂いて帰りました。


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良く見れば引き出しの上段に由緒書きもありますね。

一緒に頂いてくれば良かったです。


ちなみに、お代はお賽銭箱に入れるシステムで、こんなことが当たり前のように出来るのは『お天道様が見ているで。』と小さい頃から言い聞かされてきた日本ならではなかろうかと。

 

さて、思わぬところで思わぬ出会いがあり、行きの車で息子と『今日は何か良い事があるかも❤』が早速叶ったスタート。

 

お腹も空いてきたので、神社の横にある公園でお昼にすることにしました。
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鎌達稲荷神社へお参りする前に、自転車で通りとっても気になっていた公園。

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石碑には【史跡西寺址】とあります。
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西寺とくれば東寺?

 

調べてみたところ、平安京遷都の際、羅生門を挟んで対になる形で西寺と東寺が建立されたそう。

 

かたや、未だ現役の東寺。

それにに引き換え西寺は建造物はおろか、お寺と分かるものは皆無。

 

ただし、遠目から見て目わかる2本の木の存在感が何かを感じさせる場所。
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ここからは、またしても『木と戯れる』の図です(笑)
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木の根元に座って、おにぎりを食べながらの景色。
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早々におにぎりを食べ終えた息子。

サイクリングのお供にと持ってきていたお菓子を鳩にあげ、気付けば鳩に囲まれていました(笑)

推定50匹はいるであろう鳩に囲まれた後、一匹だけ様子の違う子を主人が見つけました。
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この子だけは、食べ終わった後すぐさま木に飛び乗り休憩。

片足を悪くしていて、エサの争奪戦も一苦労のようでした。
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さてさてお腹も満たされ、まだ時間はあります。

 

お次は、竜と坂本龍馬が好きな息子にピッタリの神社を見つけ、ここから4キロ程北へとサイクリング。
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つづきます。

【京都】久我神社(伏見区)の御神木 楠

前回ふらりと訪れた京都市北区の久我(くが)神社。

shironpton.hatenablog.com

 

同じ漢字。

でも読みが違う久我(こが)神社の存在を神足神社の参拝で知りお参りです。

shironpton.hatenablog.com

 

 【久我(こが)神社】伏見区

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鳥居前に着いた時から、なんだかソワソワ。

良い出会いのような予感がします。
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参道を真っすぐ歩いていくと先には割拝殿。

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【御祭神】

・建角身命(下鴨神社の御祭神。別雷命の祖父)
玉依比売命下鴨神社の御祭神)
・別雷命(上賀茂神社の御祭神。玉依比売命の息子)

 

御祭神は北区にある久我(くが)神社と全く同じ三柱。

 

割拝殿を抜けた先には狛犬さん


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拝殿左手に摂社

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石碑
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拝殿左手の奥にお社がみえます。
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拝殿をぐるりと回って右手にも摂社。
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頭上には空を覆いつくさんばかりの木。
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拝殿を一周回って割拝殿から見た参道。
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そして、その割拝殿の右手前に境内に入ってから、ずっと気になっていたご神木。
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ビックリするほどエネルギッシュで、拝殿でのお参りもそこそこに、毎度のことながらここからは御神木の撮影会(笑)
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足元の椿が彩りを添えて、それはそれは素敵な一画。
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未だに木の判別が曖昧で、こちらの御神木は楠になるのだそう。
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御神木の側にあった由緒書き。

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こちらの一画はちょっと気になったエリア。
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そして、こちらがご神木の全景図。
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境内に入ってからずっと気になっていたのは、風。

鳥居をくぐってから、それはもう風がビュービュー、木々はワサワサととても賑やか。鈍感な私ですら、そしていわゆるスピリチュアルや神様などの見えない世界に全く興味がない主人ですらも、『ん?なんかいらっしゃいって言われてる?』と感じる歓待ぶり。

自惚れとかではなく『よう来た、よう来たー。』をヒシヒシと感じました。

 

といっても、特に話せるだとか聞こえるだとか見えるだとかの能力は皆無なので、あくまでも私の体感レベルなのですが(^^;
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参道を帰る方向に歩きながら、ふと森大明神と言われていた頃は参道の左右は鎮守の森で、それはそれはとても深い緑に包まれた空間だったのではなかろうかと想像を巡らせ、でも現実は鎮守の森は削られ民家が立ち並ぶ様は仕方がなかったのでしょうが、鎮守の森にお社を造るのも人間であれば、鎮守の森を伐採するのも人間かと思うとやるせなくなりました。

 

人間の都合で、いかようにも変化させられる環境。

それでも木々や地球は怒ることもなく、ただその状況を受け入れていくのみという図式が、なんとももどかしく。

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御神木以外にもこんなに立派な木が参道脇に。
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この辺りは地震か台風の影響でしょうか。

立派な木が伐採されていました。
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そんな中、目を惹いたこちらの三位一体の木。
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鎮守の森の番人のようです。

 

こちらは鳥居手前にお祀りされていた歯神社(はがみやしろ)。
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歯神社にお祀りされているのは、神足神社にお祀りされているのと同じく天神立命(あめのかむだちのみこと)。

賀茂氏の前にこの地を支配していた久我氏の氏神様。

饒速日命とともに天孫降臨した神様だそう。

 

現在、久我神社の御祭神は賀茂氏の神様の三柱ですが、賀茂氏が来るまではこちらの歯神社にお祀りされている天神立命がお祀りされていたのかもしれません。

それにしても、鳥居の手前にお祀りとは。

力関係を見せつけられているような感じがしました(^^;

 

そんな鳥居手前の歯神社ですが、お参りしている際はそれこそ詳細も何も知らずひたすらその場を感じているだけ。

そばにそれはそれはパワフルな木が一本。
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これでもかといわんばかりに頭上に伸びている様はとても力強く感じました。
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こじんまりとした久我神社。

神社の規模からはみ出んばかりの御神木のエネルギーは凄まじく、あまりの素晴らしさに気付けば涙が出ていました。

 

いやはや、久我神社の名前繋がりでふらりとお参りに行きましたが、とてもよき神社でした。

 

帰りは近くにあったパン屋さんでお昼ご飯を調達。
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パンはハードが好きなのですが、間に入ったバターは苦手なものの、購入してみましたがやはり苦手でした(笑)
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足元を見るとテントウムシ
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こんな姿を見つけるだけで何とも幸せ❤

 

会社員時代は、『もっと!』『更に!!』が合言葉のような今思えば上昇志向の塊でしたが、だからこそ働けていたのも事実で、どちらが良い悪いではなく、自分がどう感じるのかどうか。

見る視点を少し変えるだけで、世界は如何様にも変化する事を思い知らされます。

 

今はテントウムシを見つけて喜べる自分でも良いかと思っていますが、人は変わるものです。

やはり、バリバリ働きたい意欲がいつ顔を出すやもしれません(笑)

 

神社にお参りと言うか、ひたすら自分を客観視することの連続ですが、私には必要な事のようです。

 

今回もとてもよきお参りとなりました。

【大阪/枚方市】加茂健豆美命神社の御手洗社で瀬織津姫

先日の奈良のお参りで、買ったばかりのケータイをよりにもよって石畳に落としてしまい、液晶画面破損・・・。

週明け、早々直しに向った先は枚方市にあるカメラのキタムラiPhone修理センター。

交通手段はもちろん自転車。

直りたてホヤホヤのケータイ片手に着いた先は、Googleマップで気になった神社。

 

【加茂神社】

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鳥居手前、右手に立派な木。
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青い空に広がる枝がとても気持ち良く、
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手水舎の水は出るもののコロナ対策でしょうか。

柄杓はありませんでした。
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【由緒書き】
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所々文字が消えかかっており判読できず、ネットで調べたところ由緒書きが記載されているサイトを見つけ、下記転記です。

 

【御祭神】加茂健豆美(かも・たけつみ)

 

 「当社は、人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清磨呂公、この地を河内の一の宮として、『賀茂の大神』を斎き祭れるがその始めなりという。古き史を繙けば、祭神『賀茂の大神』は、神武天皇、国を建つるにあたり、畿内の豪族として大功をたて、山城の国を賜るや、民生の安定に貢献、ために『賀茂御祖の大神』として奉祭さる。今の京都『下鴨神社』これなり。御分霊を当地に迎えるにあたり、賀茂の社家の人々多く移り住み、堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。丘の下を走井といい、今の走谷これなり。

近くに清冽な御手洗川あり。社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を捧げしという。しかるに約六百七十余年を経て応仁の乱起こり、惜しくも兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れるものなしと言う。されども今日、走谷に宮の上・宮の下・大門前・堂前等の地名が残れるは、往時の隆盛を窺うに足るというべきか。わが『加茂神社』は、これより百六十余年を経て、寛永六年に『産土神』として再建され、氏子の年長者が『一老』と言いて神主となり、氏人が祭員となりて春秋の祭典を執行せり。明治五年『蹉だ神社』に合祀、同十二年、現在地に復社し今日に至る。明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和三十九年、社務所を新築、昭和四十九年、本殿を改築せり。境内に『御手洗・琴平』の小祀あり。神と人相和し、神霊に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて、『賀茂の大神』を奉祭す。特に『加茂の大神』は家内安全。夫婦和合。縁結びに霊験あらたかなれば、春秋の祭りを始め、初宮参り等などの祭りを怠りなく務め、神霊の加護にあずからんことを。」

 

【出典元:加茂健豆美命神社

 

御祭神の加茂健豆美(かも・たけつみ)で真っ先に思い浮かんだのは、下鴨神社の御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。

そして、先日お参りに行った賀茂別雷神社 境外神社の久我神社の御祭神、賀茂建角身命も同神。

賀茂建角身命八咫烏

 

shironpton.hatenablog.com

 

漢字は異なりますが、由緒書きに記載されている『下鴨神社から御分霊を迎えた』を考えると、同じ神様なのであろうと思われます。

 

そして、由緒書き早々に記されている和気清麻呂の名前。

和気清麻呂は、先日四天王寺へ行った際に休憩した茶臼山古墳で目にしたお名前。

shironpton.hatenablog.com

 

枚方の地に、下鴨神社の御分霊をお祀りされたのが和気清麻呂

 

更に、『近くに清冽な御手洗川があった』と由緒書には記載されており、御手洗川から連想されるのは瀬織津姫

今回、そもそも枚方市にやってきたのは、奈良の神社でiPhoneを落とし、その修理でやってきただけのこと。

shironpton.hatenablog.com

 

その奈良の神社は登彌神社。

そこにお祀りされていた神様の一柱が瀬織津姫

 

む~。

ここ最近のお参りにシンクロするかのような流れに、こうしてブログを起しながら後になって気付くのです。

 

さて、境内に戻りまして、こちらは拝殿。
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他の神社の例に漏れず、コロナ対策だと思われます、鈴緒が取り外されていました。

 

拝殿前でまず気になったのが右手の木。
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気になりつつも、毎度のことながら拝殿の左手からぐるりと回ります。

 

まず真っ先に目に入ったのが

【御手洗社】
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御手洗といえば、

 

 ・兵庫県西宮市を流れる御手洗川の側には御祭神が瀬織津姫廣田神社

 ・下鴨神社の御手洗社の御祭神は瀬織津姫

 

shironpton.hatenablog.com

 

そして、やはりというか御手洗社=瀬織津姫の図式で、加茂健豆美命神社を紹介されているサイトを見つけました。

katanogahara.wp.xdomain.jp

 

どんどん繋がっていく感じが何とも言えず、やはり頭で考えて出来ることなんてたかだか知れているんだと気付かされます。

私は思考型人間なので、(ドラえもんの猫型ロボットのような言い草ですが(笑))頭で考えてもどうしようもないことを目の当たりにすると、何とも言えない気持ちになります。

随分と頭で考える癖は抜けつつありますが、やはり頭でこねくり回して考えることが多く、神社でお参りをするたびに、その癖を取り払って頂いているような感覚になります。

 

さて、境内にはもう一社の摂社。

 

琴平神社
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枚方市にある琴平神社で頭に浮かんだのは、意賀美神社にある摂社。

shironpton.hatenablog.com

 

こちらの琴平神社狛犬さんがめちゃくちゃ私のタイプだったことで覚えていました(笑)

 

さて、拝殿の真裏へ。
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ぐるりと回った先に伊勢神宮遥拝所。

 

伊勢神宮遥拝所】
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鳥居右手の木がたいそう立派でした。
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ここからは、またしても一人誰もいない境内で木の写真を撮りまくる。

それも一心不乱に(笑)
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一応自分では自覚しているつもりなのですが、傍目に見て、平日のそれも誰もいない神社の境内で、木ばかりを撮っているおばさんは、まぁきっと変な人なのかもしれません(^^;

分かってはいるのですが、抑えられないこの衝動(笑)

 

お昼ご飯は淀川沿いで、いちおうブログ件名にもなっているパンを。

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ちょうど一人で座るのに良い形の岩の上にレジャーシートを敷いて。
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お参りがメインとなっていますが、今回の本来の目的はiPhone修理(^^;

修理の間、たまたま入ったパン屋さんで購入した、ちょっと何のパンかは忘れてしまった、でも見た目が印象的なパン。
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お店の方に聞きましたが、先っぽはあえて曲げているそうです。

 

子供達へのお土産。

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ボーっと空を眺めながら、一人川沿いでパンをモグモグ食べて幸せな時間。

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夢の中で、『源九郎稲荷神社!』の声で起こされ、そこから日を空けて辿り着いたのがここ枚方市にある加茂健豆美命神社。

 

ここ最近、気付けばお参りの流れにある稲荷神社、賀茂神社八咫烏

そして2019年に佐久奈度神社へお参りに行ってからというものの、いつもどこかで感じる瀬織津姫

 

色々な事が頭を巡りますが、まぁ考えても仕方ないですし、せっかくのこの流れ。

抗わずに。

 

素晴らしい空の下、思いもかけぬお参りとなりました。

【奈良/大和郡山市】登彌神社の瀬織津姫

源九郎稲荷神社をあとにし、先程語り部さんからお話しを伺った大和郡山城の最後の城主、柳沢氏の苗字からとられた柳沢神社の鳥居を通過し、近くの公園でお昼ご飯。

 

次の目的地はサイクリングだけでは微動だにしない娘へのご機嫌取り。

きなこだんごのお店『たまごうさぎ』さんへ。

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こちらのお店入ってビックリ!

扱う商品はきなこだんごのみ。

 

本数は1本(85円)から購入でき、どう考えても1人1本以上は食べそうなので10本入り(850円)を購入。

 

充分きな粉まみれのお団子ですが、更に添付されているきな粉をまぶしてこれでもか!というくらいのきな粉まみれだんご❤

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みんな大満足のお味で、きな粉団子を食べる為にまた奈良に行きたいという話しで落ち着き、であれば次回は春日原生林散策後にまた来ようということで話しがまとまりました(笑)

 

さてお団子屋さんを後にし、一路駐車場へと向かう道すがら神社の看板が目につき、なんとなく行ってみたいと立ち寄ることに。

 

参道のこの二本の木は鳥居ですね。
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で、この写真を撮った後、購入したてホヤホヤ5日目のiPhoneが手から滑り落下。

ネットで購入したケータイカバーと液晶フィルムが届いていないにも関わらず、外でケータイを落としたことがない私は、『まぁ、大丈夫だろう』とたかを括ってケータイをいつもの通りポケットにそのまま入れておりました。

で、落下したものの何も考えずポケットへ。

 

境内はとっても素晴らしく、境内を取り囲むかのように見渡す限り鎮守の森。

拝殿も本殿も素晴らしく、さて写真を撮ろうと一枚撮った写真がこちら。
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で、この時始めて液晶画面がバッキバキに割れていることに気付いたのです( ;∀;)

 

初めての経験に、この後はメチャクチャ凹んでしまい、とりあえずお祀りされている神様だけでもと一枚。

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この時点で、文字は全く目に入っておらず、心ここにあらずの幽体離脱(笑)

 

本当はもっと境内を散策したいのに、もう全くそんな気になれず、それでも境内から出る間際、この一本の木が気になり最後に一枚。
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滞在時間は5分あったかどうかの、人生でおそらく最短のお参り(笑)

 

まさか、こんなに簡単に液晶画面が割れるとは。

まさか、購入して5日で修理に出すことになろうとは。

まさか、そもそも私がケータイを落とすことになろうとは

 

などなど。

 

日々の生活で、当たり前だと認識していることがいかに多いかと分かった瞬間。

 

『こうすれば、こうなる。』

『私なら、こうやる。こうする』

『いつもこのパターンはAだから、今回も間違いなくA。Bはない。』

 

などなど、

知らない間に、思い込みや行動パターンに囚われていたようです。

 

こんな風に書くとたいそうかもしれませんが、

初めてケータイを外で落として液晶画面が割れて色々と気付きました。

 

ケータイを落とした直後の私は、そもそも私が神社へ寄りたいと言わなければ、ケータイを落とすこともなかったんじゃなかろうか。

と、とってもネガティブ思考。

 

ただ、ここ最近の流れの中で、一見回り道のようなことでも、一見不幸な出来事であったとしても、それは自分の思い込みであって、幸も不幸もなく、あるのは目の前に起きている出来事のみ。

その出来事を、自分が今までの経験則で幸か不幸かをジャッジしているだけ。

 

となると、おいそれとネガティブな思考にズブズブと浸かっている場合ではなく、まずは現状改善。

 

早速、ケータイアプリで修理できる店舗と時間帯が分かり、ポチっと押して予約完了。(←こんなことがアプリで出来るだなんて、今まで知りませんでした。怪我の功名(笑))

 

そして翌週早々、枚方市にあるカメラのキタムラiPhone修理センターへと向かいました。

その帰り道、立ち寄った神社で登彌神社からの繋がりを強く感じることがありました。

 

・登彌神社へのお参りが無ければ、ケータイを落とすことも、修理に出すこともなく、時間もお金もかからなかった。

 

・登彌神社でケータイを落としたからこそ、次のお参り繋がることになった。そして、色々調べることによって、ケータイ電話の機能に少し強くなった。

 

どちらも起こり得た私の未来。

どちらが良い悪いではなく、起こった出来事に自分がどう対処するのか。

 

今回は、一見私にとっては不幸な出来事でしたが、そのお陰で知らなかった神社へのお参りへと繋がりました。

その御祭神は、瀬織津姫

 

奈良から帰って、登彌神社の写真を見て初めて気付きました。

御祭神の祓戸社の一番初めに瀬織津姫のお名前。

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まさかまさかのお導き。

祓い清めることは私にはまだまだ沢山あります。

 

瀬織津姫以外にも、ご夫君の饒速日命造化三神の内の二神、高皇産霊神神皇産霊神がお祀りされており、早々たる顔ぶれの登彌神社の境内。

 

出来ることなら、もっとゆっくりお参りしたかった(笑)

 

さてさて、早々にお暇した登彌神社ですが、お次の神社はそんな瀬織津姫へと繋がった枚方市にある神社。

 

交通手段はもちろん自転車。

片道15キロ程の旅です(^^)

 

【奈良/大和郡山市】源九郎稲荷神社

四天王寺へと向かった週末の土曜の朝。

源九郎稲荷神社!』というハッキリとした神社名に起こされ起床。

 

夢で神社名が出てきたことも初めてですが、その声で起こされたこともこれまた初めて(笑)

数年前の私であれば偶然で済ませたことも今はそうではなく、こうもリアルな固有名詞が出ることに興味津々。

 

源九郎稲荷神社という神社が果たしてあるのかどうか。

あるとすれば、何となく場所は大阪ではないのだろうか。

などなど。

 

朝から家族にひとしきり話した後、調べてみると源九郎稲荷神社が見つかりました。

場所は大阪ではなく奈良でしたが(笑)

 

存在するのであれば行かないわけにもいかず、翌日『サイクリングで美味しいきなこだんごを食べに行く』という名目でお参りへ行くことに。

 

そんな日の朝の空はとても素晴らしく、

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着いた先は奈良県大和郡山市にある公園の無料駐車場。
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積んでいた自転車を下ろし、目的地の源九郎稲荷神社へはほんの3km程。
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手水舎周りの木々がとても元気です。
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手水舎のそばにはよく見ると、『祓戸』の立札。
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その立札の後方、注連縄を張られた木がとても素晴らしく、
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いつものことですが、一心不乱に撮ってしまいました(^^;
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狛狐さん。

炭二郎とくれば、
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やはり、禰豆子(^^)
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背後にビルがあるとは思えないくらいにゆったりした空間の境内。
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拝殿の右手には源光稲荷大明神のお社。
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その斜め後方の木が少し気になりました。
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こちらは社務所
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とても賑やかな雰囲気で、社務所というよりどちらかと言うとお土産物屋と言われた方がしっくりきます。

源九郎稲荷神社の境内そのままな、とてもフレンドリーな雰囲気。

 

こちらの社務所で、御朱印を頂く間目に入ったお守りも購入。

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一つ一つ手作りで、お顔がすべて異なりました。

 

稲荷神社の狐さんは私の中で少し厳格なイメージがあり、どちらかと言うとあまり足が向かないのですが、源九郎稲荷神社はなんというかとても雰囲気が柔らかく、身構えなくても良い感じ。

ここら辺のニュアンスは人によって違うと思いますので、あくまでも私の感覚です。

 

お守りの種類もとても多かったのですが、御朱印の種類もまぁそれは沢山で、カラフルなものや写真付きのものなど、華やかな御朱印が沢山ありました。

そんな沢山ある中で私がお願いしたのは、昔からある御朱印(300円)。

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御朱印を書いて下さった方が、後から分かったのですが源九郎稲荷神社語り部の方だったようで、何故源九郎稲荷神社大和郡山市のこの地にあるのか、色々とお話し下さいました。

 

そもそも源九郎稲荷神社は、千本桜で有名な奈良県は吉野の地にあったそうで、当時大和郡山城主だった豊臣秀吉の弟、秀長がお城の守護神として吉野から移されたそうです。

士農工商身分制度がくっきりと分かれていた当時、武士にはその家を護る神様があり(例えば上杉家であれば毘沙門天など)、その神様をお城にお祀りされていたそう。

ところが、天下統一を果たした豊臣秀吉は愛知県の農民の出。

もちろん守護神などいるわけでもなく、大和郡山城主となった秀長は困りに困って、大和郡山市にあるお寺のお坊さんに相談されたそうです。(そのお寺とは、現在源九郎稲荷神社に隣接する洞泉寺)

その際、吉野にある源九郎稲荷神社を勧められ、そのまま吉野の地から大和郡山城へ移されたのが、源九郎稲荷神社奈良県へ来たいきさつになるのだそう。

てっきり勧請されたのかと思って聞いてみたところ、勧請ではなくそのまま神様を持ってこられたそうで、さすが時の権力者の豊臣氏といったところでしょうか。

で、弟の秀長さんは神様をお祀りすることが出来たのですが、兄上の秀吉さんは天下人。

 

『他人と同じ神様』

 

では納得されなかったそうで、あろうことかご自身で神様を作ってしまわれたそう。

それが三面大黒天。

中央に豊かさの象徴である大黒様、右手に慈悲の弁天様、左手には強さの象徴毘沙門天の三面のお顔を持つ三面大黒天様。

いわゆる、自分の欲しいご利益を一つにしてしまった神様だそうで、その話しをしながら語り部のおっちゃんが一言。

 

『関西弁で言うたら、秀吉はほんまにあほちゃうかやろ?』と(笑)

 

天下人は怖いもの知らずです(^^;

ただ、あえて大阪人ならではの愛を込めて言わせて頂くのであれば、同じく『あほちゃうか〜。』ですが(笑)

 

このあと、大阪で歌舞伎が大流行りし、演目の『義本千本桜』のヒットもあって是非その歌舞伎中に出てくる源九郎稲荷神社へお参りに行きたいという大阪人が後を絶たなかったそう。

ただ、近いようで遠い奈良県

山越えですしね。

今のように、簡単に阪奈道路を車でビューンとはいきません。

 

大阪人は根っからの商売人。

なので商売繁盛のお稲荷さんが大好き。

そして、合理的。

そんなわけで、便利にかつ御利益もいただきたいという思惑の元、生國魂神社源九郎稲荷神社の遥拝所を設けられたのだそうです。

 

大阪に源九郎稲荷神社の遥拝所があると聞いて、まんざら私の感もハズレではないなと(笑)

 

そして生國魂神社さんには2年程前にお参りに行っており、稲荷神社とその後ろ手の御神木が立派だったことはとても覚えております。

数年後にこうやってご縁が繋がりとても嬉しい瞬間。

 

ちなみに、歌舞伎の鑑賞に行ったことはないのですが、下記の源九郎稲荷の説明を読んでいるだけで、見に行きたくなってしまいました♪

 

奈良県大和郡山市。有名な郡山城のかつての城下町に源九郎稲荷神社がある。稲荷と言えば狐。今回はその狐が故(ゆえ)あって人間に変身した切な~いお話。

 天正十三(一五八五)年、天下人豊臣秀吉(とよとみひでよし)の弟、秀長(ひでなが)は郡山城に入った。

そして守護神として、源九郎稲荷を遠く吉野川のほとりから遷(うつ)された

稲荷は五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛、家内安全の神である。秀長はこの源九郎稲荷を信仰していた。
 さて、その神社名となった源九郎は、実は源義経(みなもとのよしつね)の幼名である

その経緯を芝居化したのが、歌舞伎の人気演目「義経千本桜」


 舞台は、桜花爛漫(おうからんまん)の吉野山。源平の戦いで数々の武功をたてた義経だが、鎌倉にいる兄頼朝(よりとも)との不和から刺客に追われ、山に身を隠した。
 この時、義経を慕って都から来たのが恋人の静御前(しずかごぜん)。その警護をしたのが、佐藤忠信(さとうただのぶ)だった。
 ここから、お話は本題に入る。静が義経から預かった「初音(はつね)の鼓」。
 静が鼓を打つと、どこからともなく忠信が現れる。この忠信、実は狐の化身であった。かつて、雨乞い祈願のため父母を鼓の皮に張られた狐の子どもが親を慕って現れるのだ。

 ある時、義経の前で人間の忠信と鉢合わせ。狐忠信は本性を白状する。義経は、親子の情愛を思い、狐忠信に鼓と、静を守った褒美に自分の幼名「源九郎」の名を与えた。
 さて、ここで注目は、狐忠信を演じる俳優の所作。「狐手(きつねで)」という両手の指を内に曲げて狐のしぐさ。頭の元結(もとゆい)には狐の耳が見える。
 一瞬の「早変わり」で本性に戻った狐は、父母の鼓に頬ずりし、白い毛を靡(なび)かせながら「宙乗(ちゅうの)り」という奇抜な演出で消える。ここで観客は大興奮、涙の拍手喝采となる。
 このあと、義経一行は源九郎狐の不思議な力にも助けられ、吉野山を脱出、東北の豪族を頼って落ち延びていくのだった。
 この「義経千本桜」ゆかりの源九郎稲荷神社。上演に際し、俳優の市川猿之助さんらが参拝に訪れる。

 

【出典元:奈良のむかしばなし/奈良県公式ホームページ

 

こちらの趣のある建物は、源九郎稲荷神社の鳥居手前にある元遊郭

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 何とも言えない風情を感じます。

 

さて、お次はお昼ご飯を食べる場所を探してえっちらおっちらサイクリング。

 

つづきます。