シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/高槻市】神峯山寺で古神道を感じる

地元高槻にある神峯山寺。

運動がてら自転車でエッチラオッチラ。f:id:roy-7303-pkbs:20210105103248j:image

お正月飾りの立派な事。
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暑い夏であれば涼しげだと思う手水舎の水が、冬になると一変見ているだけで寒さが倍増(笑)
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それでも手を清め、口をそそぐと自然と背筋が伸びるような気になります。

 

神峯山寺へは地元ということもあり何度か訪れていますが、今まで全く気にもしなかったこちらの注連縄が掛けられた石。
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左手にも同様に注連縄がかけられた、先程よりは大きさが半分ほどの石。
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陰陽石ではないかと思われます。

 

神峯山寺は修験道のお寺。

開祖は修験道といえばの役行者

修験道山岳信仰は日本古来の古神道の流れを汲むもの。

日本古来の信仰といえば、自然崇拝、巨石信仰。

そのように考えていくと、自然の理、男女、陰陽を模った石としか考えられず。

 

今まで全く気付かなかったことが、今、当たり前のように気付けることがとても嬉しく、頻度は下がったとしても私のお参りが終わることはなさそうです。

 

そのまま参道を先に進むと、左手にこれまた今まで全く気付きもしなかった祠。
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祠の側にはこんなにも立派な木が。
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『なるほどー』と一人納得していると、側で見ていたご婦人が何事かと祠の周りをウロチョロ(笑)

 

参道をそのまま進むとほどなくして本堂。
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左手に見える授与所で例年福寅笹を頂くのですが、授与所での販売は三が日だけだったようです(^^;

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本堂左手にあるこちらの注連縄のかかった木。
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急激な石階段を上ると開山堂。
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ここでもまたしても新たな発見が。

 

ふと右手の荒れ果てた山を見やると。
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ズーム!

お社が見えます。
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これは行ってみねばなりません。

はやる気持ちとは裏腹に、急激な石階段を恐る恐る下りてゆきます。
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石階段を降りて左手にある釈迦堂を過ぎ、順路の立て看板通り進んでいくと
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またしても階段。
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下りた先には立入禁止の聖域、九頭龍瀧。
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右側面のへこみ部分に石仏が見えます。

不動明王像でしょうか。
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そして、上部に見えるは九頭龍神堂。

 

こちらは広域図。

右手に石仏が二体見てとれます。
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 「神峯山は『龍神』であり、境内にある九頭龍滝は龍神の口である」と言われ、龍神様により山が護られています。

 

kabusan.or.jp

 

神峯山寺は気持ちの良い空間で何度となく訪れていますが、九頭龍の瀧があったとは。。。

そして、「神峯山は『龍神』であり、境内にある九頭龍滝は龍神の口である」と言われ、龍神様により山が護られている、とは。。。

 

年末辺りから、無性に行者岩へ行かなければならないような気がしておりソワソワしていたのですが、昨日ふと1月11日に行こうとふと思い立ち、ここ最近111のぞろ目ばかりを目にするのはこのことだったのかもしれません。

 

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気付いた時がその時。

動く時。

 

さて、お目当ての福笹は寅だけが付いているものの販売があり当初の目的は達成。

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山門を出てそのまま自転車に乗ろうかと思いきや、正面にある山道に行ってみたいと言いながらずんずん進む息子を追いかけます。
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注連縄がかけられた木が突如現れました。
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周りには祠や岩のようなものはなく、木のみ。
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根が凄まじく、ここ最近お山に入っていないので一気にテンションが上がりましたがもう夕刻。

今日はお山に入るのは諦めて(←息子を追いかけていたのに、途中から私が楽しくなってきた感じです(笑))、自宅へと自転車を走らせます。
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今回のお参りは、色々と考えさせられるお参りでした。

 

『知ったつもり』

『分かったつもり』

 

は、やはり『つもり』なだけあって、節穴だらけ。

本当に見るべきところ、感じるところからは外れていたようです。

知識を詰め込んでみたところで、それはあくまで本質の補助的な要素しかなさず、見るべきところは本質。

 

昨年一年で訪れた場所を、またいつか再訪したくなりました。

 

本年もよろしくお願い致します☆