シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【大阪/東大阪市】瓢箪山稲荷神社 素敵な木の御朱印帳

さてさて久し振りのブロンプトン(今回は緑色のミドンプトン。シロンプトンはちょいと不調気味。)での参拝。

往生院を後に向った先は、同じく東大阪市にある瓢箪山稲荷神社

 

商店街の並びに突如として現れる鳥居!

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何がきっかけで瓢箪山稲荷神社を知ったのかは今となっては記憶が定かではないのですが、昨年参拝した池田市にある呉服神社の境内に摂社としてお祀りされており、その際にも『そろそろ参拝に行かねば』と。

shironpton.hatenablog.com

 

そんな経緯もあり、やっとやっとの参拝です。
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瓢箪山稲荷神社は、本殿の後ろに地図でも分かるような瓢箪形の古墳があり、古墳を背にお祀りされています。
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日本三大稲荷社の一つに数えられるようですが、ただ諸説あるようで、その中でも伏見稲荷大社だけは間違いなくその一つに数えられるお稲荷さんの総本社です。

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お尻がキュキュット上がった狛狐さん。
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常に冥の知見をかへりみ、

神の本誓をさとりて、

正に居せんことを心ざし、

邪なからんことを思給ふべし

 

北畠親房

 

北畠親房後醍醐天皇の側近中の側近。

楠木正成公と共に南朝後醍醐天皇の為に尽くされた方。

阿倍野神社にお祀りされており、室生寺には北畠親房公とされているお墓があります。

室生寺には昨年如意輪観音様を巡る為に参拝しておりますが、北畠親房公のお墓には気付きませんでした。

shironpton.hatenablog.com

 

阿倍野神社は、吉野神宮へ参拝の際、『建武中興十五社』の一社であることを知り、昨年阿倍王子神社の参拝に合わせて参拝する予定も時間が足りず。。。

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タイミング良く、来週久々に一人輪行を計画していた先が天王寺区付近。

阿倍野区とはご近所。

これも何かのご縁です。

次回こそ、阿倍野神社へ参拝させていただこうと思います。

 

それにしても、瓢箪山稲荷神社の前に参拝していたのが楠木正成公の御嫡男である小楠公さんだっただけに、この流れにはただただ感謝しかありません。

 

【拝殿】

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瓢箪山稲荷神社の社紋。

瓢箪の中に山。
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拝殿の左側。
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本日のサン友(参拝友達)さん。

何やら覗き込んでおります。
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同じ場所を撮ったとは思えない写真。
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先程の写真を陰とするならば、間違いなくこちらは陽。明るい!

それにしても、ほれぼれするような立派な木。
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再度、拝殿左横の道に戻り、こちらの気になった場所へ。
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こちらの狛狐さんは、とっても子想い。
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じゃれる子を慈しむ目。

 

右手はお父さん、左はお母さん。

間には子の狐。
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この一帯は境内図からすると狐塚と呼ばれる箇所になるようです。

さて、拝殿沿いに進むと空高くに見えるは飛狐。
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石柱の根元には飛狐をお守りするかのような狛狐。

 

右手に周ると本殿のちょうど真裏にあたります。
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それにしても、いやはやあっぱれなこちらの木。
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どこから撮ってもこの木の幹には圧倒されるばかり。
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拝殿の右手に出ると、沢山の摂社がお祀りされていました。
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【神馬】
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本日三本目の立派な木。
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広い境内とは言い難いのですが、その境内の中にこんなにも立派な木があることにとても嬉しくなりました。

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根元もこんなに立派!

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社務所横の設え。今年は癸卯年。
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こちらの木は先程の三本から比べると幹は太くはありませんが、それにしても立派な枝振りで、境内のどこを歩いていてもとても気持ちの良い気を感じます。
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そんな立派な木が屋根のような社務所
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さて、社務所御朱印を頂こうと覗いてみたところ人の気配がなく、目にした張り紙に、『呼び鈴を押して応答がない場合は、何度もしつこく押して下さい。』のような記載があり、私達より先に用のあった方が呼び鈴を鳴らすも応答がなく、『何度も鳴らしてもいいみたいですよ。』とサン友と声をかけると、『それじゃあ・・・』と何度も鳴らしたそばから、まさかの社務所からではなく鳥居から宮司さんが買い物袋を下げて出てこられました(笑)

買い物袋から、青菜やら生鮮食品がヒョッコリと顔を出しており、この時点で瓢箪山稲荷神社さんへの親近感がさらにアップ!

色々と気さくにお話し下さり、ちょうど御朱印帳が無かったことから新しい御朱印帳を頂いて参りました。

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私の勝手なイメージかもしれませんが、狐のイメージはスッと切れ長でどちらかというとツリ目。

それに引き換え、この狛狐さんの目の垂れっぷりと言ったら❤

 

こんなにもお稲荷さんに親近感を抱いたのは初めて。

日向大神宮さんの狛狐さんにも思い入れはありますが、日向大神宮さんの狛狐さんは親近感というより崇高。例えるなら貴族。

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変わって瓢箪山稲荷神社の狐さんは、狐塚の母狐さんといい、こちらの御朱印帳の狐さんと言い、なんかこう人間臭く、例えるなら庶民。

大阪の、それも商店街の中にある神社だからでしょうか?(笑)

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瓢箪山稲荷神社さんは辻占いの総本社。

占いには時間がかかる為、事前予約が必要なようです。

 

さて最後に本日の相棒、ブロンプトンと一枚。

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今年に入りやっと、気になっていた稲荷神社のうちの一社にお参りすることが出来ました。

今年はまだまだ始まったばかり。

暖かくなるにつれて、私の輪行も本格始動予定。

今年はどんな参拝をさせて頂けるのか、今からとても楽しみです。

そして、すでに一緒に参拝して頂ける方が増えつつあり、これも新しい流れ。

感謝です☆

【大阪/東大阪市】小楠公御廟 往生院

偶然目にしたブログに小楠公さんの御廟についての記述があり、場所は東大阪市にある往生院。

命日は2月4日とのこと。(旧暦であれば1月5日になるようです。)

そして17年前、私と主人が結婚式を挙げた日。

 

御廟へのお参りへは事前予約が必要とのことで、ちょうどタイミング良く2月4日に東大阪へと向かう主人と息子に同行し3人でお参り。

撮影は不可との掲示があり、一切写真はありません。

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お供えにと用意したのは、地元高槻の和菓子屋さんで購入した『槻っこ』というお菓子。
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なんでも藤井聡太棋士が対戦の際おやつとして食べられたようで、享年の小楠公さんと年も近いこともあり、これも何かのご縁とお供えして参りました。

(帰り際に、お下がりとしてお持ち下さいと仰っていただき、ありがたく頂戴してきました。)

 

楠公さんの生い立ちに始まり御廟までを一通り案内して下さった方は東大阪市議会議員の方で、御廟の側にあった石碑の詩は祖父のものだとのこと。

どうも往生院と近しい間柄のよう。

あとで調べてみたところ、往生院の住職さんではなかろうかということが分かりました。

 

お参りに先立って、色々と資料を頂きその中でもこちらの『楠木正行日本赤十字社』の話しにまたしても涙が止まらず、今読み返してもそれは同じこと。

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こちらの内容は以前参拝した四条畷神社の境内にも掲示板があり、その際も一人涙目で境内をウロチョロしていたことを思い出しました。

 

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楠木一家のこちらの資料もとても興味深く、楠公さんに強く影響を受けた坂本龍馬近藤勇吉田松陰の話しが紹介されていました。

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生まれた時代は違えども、想いは時代を越えて受け継がれること。

私は参拝を通して楠公さんを知り、まだまだ浅学ですが、それでも強く惹きつけられ、この想いは時空を超えての想い。

 

裏面には楠木一家ゆかりの寺社仏閣が紹介されており、楠公さんを知る前から縁の場所に参拝していたことに気付きました。

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楠木家の家紋である菊水紋。

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さてこの後は、主人と息子と分かれて別行動。

車に積んでいたブロンプトンを降ろし次なる目的地へ。

つづきます!

 

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り7  弁財天様と宝船 和田神社

七福神参りの最後にやって来たのは、弁財天様と宝船が頂ける和田神社。

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神馬の中央には結綿紋。

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結綿紋とは?

綿(わた)を束ねたもので、神前への供物や婚礼での進物として慶事に用いられた。祝い品であることから瑞祥的な意義により家紋となっと思われる。
江戸時代の歌舞伎役者『瀬川菊之丞』の家紋として有名。
ちなみに、江戸時代の未婚女性の髪の結方も「結綿」と呼ばれた。

【出典元:【結綿】結綿紋一覧(ゆいわた):家紋のいろは

 

【拝殿】
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中央で楽しそうにしているお方は本日のジン友さん。

この後、拝殿前で鈴緒を鳴らそうとするとコロナの影響なのか撤去されており、代わりにあったのは、手をかざすと鈴の音がなる機械。

この機械で鈴を鳴らすや否や、ジン友が放った一言。

『これ、トイレのあれ(音姫さんのことです)やん。』と。

不謹慎なのかもしれませんが、そうでもないとは言えない音色(笑)

 

そんな中、ちょうど御祈禱が始まり、祝詞の奏上をありがたく拝聴して参りました。

 

御祭神は、七福神参り最後の弁財天様(市杵嶋姫大神)と造化三神の一柱である天御中主大神、そしてえべっさんの三柱。
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和田神社のHPによると、淡路島に沢山お祀りされていたえべっさんが初めて本土に上陸されたのがここ和田岬であり、えべっさんがお祀りされた西摂最古の聖地になるとのこと。

 

えべっさんと言えば、西宮神社なイメージだっただけに新しい発見。

西宮神社のHPを調べてみると、一年に一度最も重要なお祭りである例祭を中心にして9月21日~23日の3日間行われる西宮まつり。

その最終日に行われる渡御祭は和田岬へ向けて幾艘もの船を旗や幕で飾り、海を渡って和田神社の御旗所へ。

その後、和田神社・三石神社・真光寺・柳原蛭子神社に参拝し、その行程が産宮参りと呼ばれるものになるようです。

この西宮まつりで、本土最初の和田神社のえべっさんと、日本全国のえべっさんの総本社である西宮神社えべっさんが繋がるのですね。

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猿田彦社】
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道開きの神様の猿田彦神と、芸事を司る神様の天宇受賣神様へお参り。

 

こちらは御祭神の一柱である弁財天様の銅像
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和田神社の市杵嶋姫大神(弁財天)は、平清盛が広島の厳島神社より勧請したとされているようです。

 

参拝時には何なのか分からなかったこちらの注連縄のかかった石。

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気になったので写真に撮っていましたが、祓社になるそうです。

こういった形の祓社を見るのは初めてかもしれません。

それ以前に、『石=祓社ではない』という私の思い込みで、気付いていなかっただけなのかもしれません。

 

さて、いよいよ最後の授与品。

七福神を乗せる宝船がいただけるのは、ここ和田神社だけ。
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宝船を組み立てて完成!
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めっちゃえ~やんかー!
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(後ろに見えるのは、観心寺でいただいた弁財天。七福神が揃った暁には息子へプレゼント。)

 

念願叶っての七福神&宝船。

七福神巡りは『七難即滅・七福即生』で七つの災いから逃れ、七つの福徳が授かるありがたい御利益。

絵馬や御朱印を集める風習は庶民の身近な娯楽として江戸時代からあったようで、その中でも七福神参りは大ブームだったそう。

時を過ぎること数百年。大ブームとはいかないまでも、現代でもこうして七福神参りが出来ることはとてもありがたく、いつの世も人々が願う根本的な事は変わらないのかもしれません。

 

2023年が良い年となりますように。

その為に出来ることは、日々精進。

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り6 寿老人 薬仙寺

真光寺をあとに、やってきたのは薬仙寺。

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朝から六社目の参拝ですが、今のところ参拝客には一人もお目にかかっておりません。
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薬仙寺は先程参拝した真光寺と同じ時宗

200円から300円へと値上げされていた七福神ですが、こちらの薬仙寺だけは50円アップの250円。

なんだかちょっと得した気分(笑)

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左手の先には大事そうにしているのは鹿さん。

犬をあやすお爺さんのようにも見えますが(笑)

さて、いよいよ6つ目の人形を手に入れ、はやる気持ちで境内を後にしようとしたところ、一カ所とても気になる場所がありました。
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ズーム!

後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡涌水』

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案内には、後醍醐天皇隠岐島より環幸の途中、兵庫で体調を崩され、その際薬仙寺の住職が薬水として献上し服用したところ、たちまちのうちに快癒されたとあります。

 

隠岐島からの脱出が気になり調べてみると、ちょっと面白い記述がありました。

元弘の乱隠岐国に幽閉された後醍醐天皇は、富士名雅清の手引で船を盗み出し、腹心千種忠顕と共に隠岐を脱出した。脱走に気付いた隠岐国守護佐々木清高は千艘の大船団を率い、後醍醐天皇を追跡。船頭がこれに恐怖して逃げようとすると、後醍醐天皇は「汝恐るる事なかれ。急漕向て釣をたるべし(急いで清高の船に向かって漕ぎ、その側で釣り糸を垂れよ)」と、逆にあえて追手に接近せよという詔勅を船頭に発した。

さらに、自らを古代中国の聖君周文王に、船頭を釣り人から軍師に抜擢された文王の賢臣太公望になぞらえて、船頭を元気付けた。近づいてきた船頭に対し、清高が「怪しい船が通りかからなかったか」と聞くと、船頭は「今朝方、出雲に向かった船を見ました。順風なので、もう渡海したころでしょう」と嘘をついた。清高軍は船頭を疑って船を点検したが、後醍醐天皇の姿が全く見えないので、納得してそのまま出雲に向かった。なんと、後醍醐天皇は山盛りのイカで自分の身を覆い、隠れていたのである天皇である後醍醐が、自身の「玉体」(天子の肉体を聖化して言う言葉)をイカに隠すような真似をする訳がない、という固定観念を逆手にとって、絶海の孤島からの脱出劇を成功させたのだった(以上、『梅松論』上)。

【出典元:後醍醐天皇 - Wikipedia

 

追ってから逃れる為に、山盛りのイカの中に身を隠したとあります。

まさか、天皇がそのような事をされるはずはないという思い込みを逆手に取った奇策。

なかなか肝の据わったお方だったのではなかろうかと、楠公さんが終生忠誠を尽くされた後醍醐天皇を、ここでもまた発見することが出来ました。

 

最初に参拝した福海寺では楠公さんに関連する歴史を知り、

そして、先程参拝した真光寺とここ薬仙寺では後醍醐天皇の存在を知ることとなりました。

 

さてお次はいよいよ七福神参りの最後。

弁財天様と宝船を求めて、つづきます!

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り5 福禄寿 真光寺

この時点で手に入れた七福神はまだ二体。

三体目となる福禄寿を求めてやってきたのは真光寺。

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ところがまたしても開いておらず、再度スタート地点の柳原えびす神社から七福神をいただく作戦、というより戻るしかないというのが現状(笑)


10時を過ぎて再訪したところ、今度は問題なく福禄寿をいただくことができました。
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つるんとした福禄寿。

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真光寺は時宗の宗祖一遍上人が入寂されたお寺。

後醍醐天皇より『西山月』の山号を勅賜されたとあり、ここでも漂う南朝の匂い。(楠公さん❤)

 

こちらの由緒書きは、寺紋に釘付けでいただいて参りました。

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私にはこちらの紋が大山祇神社の御神紋にしか見えず。

 

大山祇神社

2019年参拝時

調べてみたところ、繋がりが見つかりました。

 

一遍上人の生まれは伊予。

伊予は現在の愛媛県であり大山祇神社愛媛県

一遍上人は豪族の出で元の姓は河野氏

 

河野氏の家紋は『折敷に三の字』であり、真光寺と同じ紋。

大山祇神社の神紋は『隅切折敷縮三文字(すみきりおしきちぢみさんもんじ)』であり、折敷の四隅を切りとった八角形の中に波型の三の文字。

これがとても良く似ています。

 

そして、やはりというか、河野氏の家紋は大山祇神社の神紋を用いたものになるようで、分かった時は兵庫で愛媛を感じた瞬間。

 

紋からこうして色々と分かるのも参拝を通して知り得たこと。

小さい頃は、いつかはミステリーハンターになりたいと願っていましたが、こうしてなんちゃってミステリーハンター気分になれるのも、私にとっては参拝の醍醐味です。

 

さてお次は橋を渡って残る二社へ。

つづきます!

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り4 毘沙門天 能福寺

さて、柳原天神社を後に次なる場所へと向かう先に、とても大きな仏像の背後が見えてきました。

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表に周ってみると、毘沙門天様が頂ける能福寺さんの境内にある大仏様。
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日本三大仏の一つになるそうで、戦時中の金属供出で残ったのは台座だけ。

今ある姿は平成三年に再建されたものだそうです。

ちなみに、日本三大仏に数えられるのは奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして残る一つはここ能福寺の兵庫大仏、もしくは岐阜市正法寺にある岐阜大仏のいずれかになるそうで、時代によって諸説あるようです。

能福寺は唐へと留学していた最澄が帰途、大輪田の泊(現兵庫港)へ上陸され、自作の薬師如来像を安置し、日本最初の教化霊場にしたことが始まりとなるそうです。

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大仏様は修復中なのか、朝から作業に入られている方が多数いらっしゃいました。

 

【傳教大師幼形像】
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大師を太子だと思い込んでおり聖徳太子かと思っていましたが、最澄のことですね。

 

【月輪影堂】
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十六菊花紋から想像されるのは皇室。

 

それもそのはず、こちらの月輪影堂は歴代皇族の墓所として知られる京都東山月輪御陵の拝殿を昭和29年に九条家より拝領し移築したもの。

歴代天皇が参拝なさった由緒ある建物になるそうです。

 

そして、肝心要の七福神毘沙門天秘仏

その秘仏の作成者は『智恵子抄』の高村光太郎の父である高村光雲で、有名な作品としては東京上野の西郷隆盛像。

能福寺毘沙門天像は昭和初期の比較的新しい作品になるようです。

 

毘沙門天と言えば、楠公さんは毘沙門天の申し子とも言われており、七福神参りでも気付けば楠公さん。

どこに居ても私の心は楠公さんと共に❤️(←恋する乙女です(笑))

 

そんな格好良い楠公さんと並んで、兵庫七福神参りの愛嬌のある毘沙門天

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今回のお参り、かなりお気楽に楽しんでおります(笑)

 

能福寺の寺務所は10時~となっており、こちらも早くに付き過ぎてしまった為に再訪。

同じ道を何度行き来したことはiPhoneの万歩計の18,000歩の数字が如実に教えてくれました(笑)

 

さて、お次のお寺も早くに着き過ぎてしまった為に再訪となるのですが、まだまだ続きます!

 

【兵庫/神戸市】兵庫七福神参り3 立派なお腹の布袋様 柳原天神社

次なる目的地の寺社の名前も確認しないまま道なりに。

見えてきた満腹寺の看板に一度境内へ入るもどうも何かが違う。

再度入り口まで戻ると、

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横の看板に『柳原天神社 招福 七福神』と書いてあり、見事に場所を間違えていました(笑)
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薄暗かった朝の街並みから一転朝日が入り、お参り日和な予感。

 

【柳原天神社】
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御祭神は菅原道真公。
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菅原道真公が大宰府へと左遷される際、暴風雨を避ける為ここ和田岬に一時上陸したと伝わっているそうで、道真公の死後、縁の地である和田岬に分霊を祀ったのが柳原天神社の始まりとされているそうです。

 

先程の柳原えびす神社同様、社務所はまだ開いていませんでしたが、七福神の人形は置かれており、300円をそばの箱に入れて頂いて参りました。

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ほぼ裸体(笑)

 

でも、このゆる~い感じが何とも言えず、この時点ではまだ福海寺の大国天さんと合わせて二体目でしたが、私は何でもコンプリートしたがる癖があり、気持ちはすでに次なる場所へ(笑)

 

つづきます!