シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【奈良/大和郡山市】登彌神社の瀬織津姫

源九郎稲荷神社をあとにし、先程語り部さんからお話しを伺った大和郡山城の最後の城主、柳沢氏の苗字からとられた柳沢神社の鳥居を通過し、近くの公園でお昼ご飯。

 

次の目的地はサイクリングだけでは微動だにしない娘へのご機嫌取り。

きなこだんごのお店『たまごうさぎ』さんへ。

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210652j:image

こちらのお店入ってビックリ!

扱う商品はきなこだんごのみ。

 

本数は1本(85円)から購入でき、どう考えても1人1本以上は食べそうなので10本入り(850円)を購入。

 

充分きな粉まみれのお団子ですが、更に添付されているきな粉をまぶしてこれでもか!というくらいのきな粉まみれだんご❤

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210714j:image

みんな大満足のお味で、きな粉団子を食べる為にまた奈良に行きたいという話しで落ち着き、であれば次回は春日原生林散策後にまた来ようということで話しがまとまりました(笑)

 

さてお団子屋さんを後にし、一路駐車場へと向かう道すがら神社の看板が目につき、なんとなく行ってみたいと立ち寄ることに。

 

参道のこの二本の木は鳥居ですね。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210709j:image

で、この写真を撮った後、購入したてホヤホヤ5日目のiPhoneが手から滑り落下。

ネットで購入したケータイカバーと液晶フィルムが届いていないにも関わらず、外でケータイを落としたことがない私は、『まぁ、大丈夫だろう』とたかを括ってケータイをいつもの通りポケットにそのまま入れておりました。

で、落下したものの何も考えずポケットへ。

 

境内はとっても素晴らしく、境内を取り囲むかのように見渡す限り鎮守の森。

拝殿も本殿も素晴らしく、さて写真を撮ろうと一枚撮った写真がこちら。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210700j:image

で、この時始めて液晶画面がバッキバキに割れていることに気付いたのです( ;∀;)

 

初めての経験に、この後はメチャクチャ凹んでしまい、とりあえずお祀りされている神様だけでもと一枚。

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210717j:image

この時点で、文字は全く目に入っておらず、心ここにあらずの幽体離脱(笑)

 

本当はもっと境内を散策したいのに、もう全くそんな気になれず、それでも境内から出る間際、この一本の木が気になり最後に一枚。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210656j:image

滞在時間は5分あったかどうかの、人生でおそらく最短のお参り(笑)

 

まさか、こんなに簡単に液晶画面が割れるとは。

まさか、購入して5日で修理に出すことになろうとは。

まさか、そもそも私がケータイを落とすことになろうとは

 

などなど。

 

日々の生活で、当たり前だと認識していることがいかに多いかと分かった瞬間。

 

『こうすれば、こうなる。』

『私なら、こうやる。こうする』

『いつもこのパターンはAだから、今回も間違いなくA。Bはない。』

 

などなど、

知らない間に、思い込みや行動パターンに囚われていたようです。

 

こんな風に書くとたいそうかもしれませんが、

初めてケータイを外で落として液晶画面が割れて色々と気付きました。

 

ケータイを落とした直後の私は、そもそも私が神社へ寄りたいと言わなければ、ケータイを落とすこともなかったんじゃなかろうか。

と、とってもネガティブ思考。

 

ただ、ここ最近の流れの中で、一見回り道のようなことでも、一見不幸な出来事であったとしても、それは自分の思い込みであって、幸も不幸もなく、あるのは目の前に起きている出来事のみ。

その出来事を、自分が今までの経験則で幸か不幸かをジャッジしているだけ。

 

となると、おいそれとネガティブな思考にズブズブと浸かっている場合ではなく、まずは現状改善。

 

早速、ケータイアプリで修理できる店舗と時間帯が分かり、ポチっと押して予約完了。(←こんなことがアプリで出来るだなんて、今まで知りませんでした。怪我の功名(笑))

 

そして翌週早々、枚方市にあるカメラのキタムラiPhone修理センターへと向かいました。

その帰り道、立ち寄った神社で登彌神社からの繋がりを強く感じることがありました。

 

・登彌神社へのお参りが無ければ、ケータイを落とすことも、修理に出すこともなく、時間もお金もかからなかった。

 

・登彌神社でケータイを落としたからこそ、次のお参り繋がることになった。そして、色々調べることによって、ケータイ電話の機能に少し強くなった。

 

どちらも起こり得た私の未来。

どちらが良い悪いではなく、起こった出来事に自分がどう対処するのか。

 

今回は、一見私にとっては不幸な出来事でしたが、そのお陰で知らなかった神社へのお参りへと繋がりました。

その御祭神は、瀬織津姫

 

奈良から帰って、登彌神社の写真を見て初めて気付きました。

御祭神の祓戸社の一番初めに瀬織津姫のお名前。

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210717j:image

 

まさかまさかのお導き。

祓い清めることは私にはまだまだ沢山あります。

 

瀬織津姫以外にも、ご夫君の饒速日命造化三神の内の二神、高皇産霊神神皇産霊神がお祀りされており、早々たる顔ぶれの登彌神社の境内。

 

出来ることなら、もっとゆっくりお参りしたかった(笑)

 

さてさて、早々にお暇した登彌神社ですが、お次の神社はそんな瀬織津姫へと繋がった枚方市にある神社。

 

交通手段はもちろん自転車。

片道15キロ程の旅です(^^)

 

【奈良/大和郡山市】源九郎稲荷神社

四天王寺へと向かった週末の土曜の朝。

源九郎稲荷神社!』というハッキリとした神社名に起こされ起床。

 

夢で神社名が出てきたことも初めてですが、その声で起こされたこともこれまた初めて(笑)

数年前の私であれば偶然で済ませたことも今はそうではなく、こうもリアルな固有名詞が出ることに興味津々。

 

源九郎稲荷神社という神社が果たしてあるのかどうか。

あるとすれば、何となく場所は大阪ではないのだろうか。

などなど。

 

朝から家族にひとしきり話した後、調べてみると源九郎稲荷神社が見つかりました。

場所は大阪ではなく奈良でしたが(笑)

 

存在するのであれば行かないわけにもいかず、翌日『サイクリングで美味しいきなこだんごを食べに行く』という名目でお参りへ行くことに。

 

そんな日の朝の空はとても素晴らしく、

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210521j:image

着いた先は奈良県大和郡山市にある公園の無料駐車場。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210533j:image

積んでいた自転車を下ろし、目的地の源九郎稲荷神社へはほんの3km程。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210444j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210518j:image

手水舎周りの木々がとても元気です。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210427j:image

手水舎のそばにはよく見ると、『祓戸』の立札。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210449j:image

その立札の後方、注連縄を張られた木がとても素晴らしく、
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210434j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210508j:image

いつものことですが、一心不乱に撮ってしまいました(^^;
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210513j:image

 

狛狐さん。

炭二郎とくれば、
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210501j:image

やはり、禰豆子(^^)
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210457j:image

背後にビルがあるとは思えないくらいにゆったりした空間の境内。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210430j:image

拝殿の右手には源光稲荷大明神のお社。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210441j:image

 

その斜め後方の木が少し気になりました。
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210454j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210437j:image

こちらは社務所
f:id:roy-7303-pkbs:20210307210524j:image

とても賑やかな雰囲気で、社務所というよりどちらかと言うとお土産物屋と言われた方がしっくりきます。

源九郎稲荷神社の境内そのままな、とてもフレンドリーな雰囲気。

 

こちらの社務所で、御朱印を頂く間目に入ったお守りも購入。

f:id:roy-7303-pkbs:20210312141224j:image

一つ一つ手作りで、お顔がすべて異なりました。

 

稲荷神社の狐さんは私の中で少し厳格なイメージがあり、どちらかと言うとあまり足が向かないのですが、源九郎稲荷神社はなんというかとても雰囲気が柔らかく、身構えなくても良い感じ。

ここら辺のニュアンスは人によって違うと思いますので、あくまでも私の感覚です。

 

お守りの種類もとても多かったのですが、御朱印の種類もまぁそれは沢山で、カラフルなものや写真付きのものなど、華やかな御朱印が沢山ありました。

そんな沢山ある中で私がお願いしたのは、昔からある御朱印(300円)。

f:id:roy-7303-pkbs:20210312141327j:image

御朱印を書いて下さった方が、後から分かったのですが源九郎稲荷神社語り部の方だったようで、何故源九郎稲荷神社大和郡山市のこの地にあるのか、色々とお話し下さいました。

 

そもそも源九郎稲荷神社は、千本桜で有名な奈良県は吉野の地にあったそうで、当時大和郡山城主だった豊臣秀吉の弟、秀長がお城の守護神として吉野から移されたそうです。

士農工商身分制度がくっきりと分かれていた当時、武士にはその家を護る神様があり(例えば上杉家であれば毘沙門天など)、その神様をお城にお祀りされていたそう。

ところが、天下統一を果たした豊臣秀吉は愛知県の農民の出。

もちろん守護神などいるわけでもなく、大和郡山城主となった秀長は困りに困って、大和郡山市にあるお寺のお坊さんに相談されたそうです。(そのお寺とは、現在源九郎稲荷神社に隣接する洞泉寺)

その際、吉野にある源九郎稲荷神社を勧められ、そのまま吉野の地から大和郡山城へ移されたのが、源九郎稲荷神社奈良県へ来たいきさつになるのだそう。

てっきり勧請されたのかと思って聞いてみたところ、勧請ではなくそのまま神様を持ってこられたそうで、さすが時の権力者の豊臣氏といったところでしょうか。

で、弟の秀長さんは神様をお祀りすることが出来たのですが、兄上の秀吉さんは天下人。

 

『他人と同じ神様』

 

では納得されなかったそうで、あろうことかご自身で神様を作ってしまわれたそう。

それが三面大黒天。

中央に豊かさの象徴である大黒様、右手に慈悲の弁天様、左手には強さの象徴毘沙門天の三面のお顔を持つ三面大黒天様。

いわゆる、自分の欲しいご利益を一つにしてしまった神様だそうで、その話しをしながら語り部のおっちゃんが一言。

 

『関西弁で言うたら、秀吉はほんまにあほちゃうかやろ?』と(笑)

 

天下人は怖いもの知らずです(^^;

ただ、あえて大阪人ならではの愛を込めて言わせて頂くのであれば、同じく『あほちゃうか〜。』ですが(笑)

 

このあと、大阪で歌舞伎が大流行りし、演目の『義本千本桜』のヒットもあって是非その歌舞伎中に出てくる源九郎稲荷神社へお参りに行きたいという大阪人が後を絶たなかったそう。

ただ、近いようで遠い奈良県

山越えですしね。

今のように、簡単に阪奈道路を車でビューンとはいきません。

 

大阪人は根っからの商売人。

なので商売繁盛のお稲荷さんが大好き。

そして、合理的。

そんなわけで、便利にかつ御利益もいただきたいという思惑の元、生國魂神社源九郎稲荷神社の遥拝所を設けられたのだそうです。

 

大阪に源九郎稲荷神社の遥拝所があると聞いて、まんざら私の感もハズレではないなと(笑)

 

そして生國魂神社さんには2年程前にお参りに行っており、稲荷神社とその後ろ手の御神木が立派だったことはとても覚えております。

数年後にこうやってご縁が繋がりとても嬉しい瞬間。

 

ちなみに、歌舞伎の鑑賞に行ったことはないのですが、下記の源九郎稲荷の説明を読んでいるだけで、見に行きたくなってしまいました♪

 

奈良県大和郡山市。有名な郡山城のかつての城下町に源九郎稲荷神社がある。稲荷と言えば狐。今回はその狐が故(ゆえ)あって人間に変身した切な~いお話。

 天正十三(一五八五)年、天下人豊臣秀吉(とよとみひでよし)の弟、秀長(ひでなが)は郡山城に入った。

そして守護神として、源九郎稲荷を遠く吉野川のほとりから遷(うつ)された

稲荷は五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛、家内安全の神である。秀長はこの源九郎稲荷を信仰していた。
 さて、その神社名となった源九郎は、実は源義経(みなもとのよしつね)の幼名である

その経緯を芝居化したのが、歌舞伎の人気演目「義経千本桜」


 舞台は、桜花爛漫(おうからんまん)の吉野山。源平の戦いで数々の武功をたてた義経だが、鎌倉にいる兄頼朝(よりとも)との不和から刺客に追われ、山に身を隠した。
 この時、義経を慕って都から来たのが恋人の静御前(しずかごぜん)。その警護をしたのが、佐藤忠信(さとうただのぶ)だった。
 ここから、お話は本題に入る。静が義経から預かった「初音(はつね)の鼓」。
 静が鼓を打つと、どこからともなく忠信が現れる。この忠信、実は狐の化身であった。かつて、雨乞い祈願のため父母を鼓の皮に張られた狐の子どもが親を慕って現れるのだ。

 ある時、義経の前で人間の忠信と鉢合わせ。狐忠信は本性を白状する。義経は、親子の情愛を思い、狐忠信に鼓と、静を守った褒美に自分の幼名「源九郎」の名を与えた。
 さて、ここで注目は、狐忠信を演じる俳優の所作。「狐手(きつねで)」という両手の指を内に曲げて狐のしぐさ。頭の元結(もとゆい)には狐の耳が見える。
 一瞬の「早変わり」で本性に戻った狐は、父母の鼓に頬ずりし、白い毛を靡(なび)かせながら「宙乗(ちゅうの)り」という奇抜な演出で消える。ここで観客は大興奮、涙の拍手喝采となる。
 このあと、義経一行は源九郎狐の不思議な力にも助けられ、吉野山を脱出、東北の豪族を頼って落ち延びていくのだった。
 この「義経千本桜」ゆかりの源九郎稲荷神社。上演に際し、俳優の市川猿之助さんらが参拝に訪れる。

 

【出典元:奈良のむかしばなし/奈良県公式ホームページ

 

こちらの趣のある建物は、源九郎稲荷神社の鳥居手前にある元遊郭

f:id:roy-7303-pkbs:20210307210504j:image

 何とも言えない風情を感じます。

 

さて、お次はお昼ご飯を食べる場所を探してえっちらおっちらサイクリング。

 

つづきます。

【大阪】堀越神社 八咫烏と太上神仙鎮宅霊符神

お昼ご飯のパンを買った後、どこで食べようかと自転車を走らせていて気になっていた神社。

境内の柵が狭いと言わんばかりに道路にせり出した木。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221507j:image

 

堀越神社
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221550j:image

午前十一時から朔日祭が行われていたようです。


f:id:roy-7303-pkbs:20210301221504j:image

堀越神社聖徳太子が創建されたそうで、御祭神は崇峻天皇とあり、聖徳太子の叔父君。

推古天皇の御代、聖徳太子により四天王寺七宮のひとつとして創建されたとあります。

そもそも四天王寺七宮とは?

 

四天王寺七宮(してんのうじしちみや)は、聖徳太子四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群である。

いずれも現在の大阪府大阪市天王寺区に位置し、以下の七つの神社を指す。

 

・大江神社(夕陽丘町
・上之宮神社(上之宮町) - 大江神社に合祀。
・小儀神社(勝山1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺東門前。
・久保神社(勝山2丁目)
・土塔神社(大道1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺南門前。
・河堀稲生神社(大道3丁目)
堀越神社茶臼山町


近世にはそれぞれを産土神とする北・上之宮・小儀(大儀)・久保(窪)・土塔・河堀・堀越の七つの村および四天王寺門前の町場を統合して、東成郡天王寺村が成立した。

【出典元:四天王寺七宮 - Wikipedia

 

今回のお参りの目的地、四天王寺へのお参りは叶いませんでしたが、それでも聖徳太子繋がりということでこれはこれで良いのでしょう。

 

堀越神社の場所は先程お昼ご飯を食べていた茶臼山古墳を出てすぐの場所。

f:id:roy-7303-pkbs:20210322145841p:plain


白木の鳥居が青い空に清々しく感じます。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221547j:image

こちらの鳥居のある参道が表参道ですが、毎度のことながら裏参道からのお参りで、実際初めにお参りしたお社はこちら。

 

【熊野第一王子之宮】
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221516j:image

八咫烏
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221512j:image

平安時代に「蟻の熊野詣」といわれるほど賑わった熊野詣は、目的の熊野三山巡拝の前に、熊野権現の分霊を祀った九十九の王子社を巡拝しながらたどっていきます。京の都から船で淀川を下り、上町台地へ上陸する天満の港に「第一王子之宮」がありました。

ここが熊野への出発点で第一王子に参拝して、御祓を受けた後、熊野詣に出発したといわれています。

その後、四天王寺の西門鳥居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、大正4年2月10日に堀越神社に合祀され、「熊野第一王子之宮」として現在に至ります。また、熊野権現の神使は八咫烏(ヤタガラ

ス)三本の足を持つカラスとして描かれています。

日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですが、神武天皇のご東征を道案内したり、その功績は数多く伝えられています。

​春の例大祭の日に(4月第3日曜日13時~)熊野社花祭が催されます。

 

由緒書きの内容そっちのけで、八咫烏の御神紋に釘付け。

2月に京都の久我神社で八咫烏と同一視されている賀茂建角身命が御祭神の久我神社へお参りしたばかり。

shironpton.hatenablog.com

 

これは嬉しい繋がり。

お社の中には御神紋の八咫烏の神前幕。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221538j:image

そばには手水舎とカエル石。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221534j:image
帰る、変える、還る。

 

拝殿前の狛犬さん。


f:id:roy-7303-pkbs:20210301221835j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221839j:image

【拝殿】
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221554j:image

拝殿左手には茶臼山稲荷神社
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221542j:image

お社の右手にある木の根の張り、上部に生い茂る葉。

 

稲荷神社の側には力のある木。

力のある木があるから稲荷社が元気なのか、稲荷社に力があるからそばの木が元気なのか。

 

茶臼山稲荷神社はその名の通り、茶臼山古墳のあった茶臼山の山頂に昔々はお祀りされていたそうです。

 

堀越神社境内に鎮座します茶臼山稲荷社は、古来より商売繁盛の神として人々の信仰を集めています。

その昔、天王寺 茶臼山の山頂に祀られておりました。

大坂夏の陣の際に徳川家康茶臼山稲荷の白狐に危機を救われたことから、家康の信仰が厚かったと言われています大坂夏の陣の後、現在の処に祀られるようになりました。

徳川時代大阪城代が新たに任に就くと、茶臼山の家康陣所の跡に敬意を表するを例としましたが、その都度堀越神社に詣で幣帛を奉り、燈籠を献じ、盛んに礼典に尽くしたと伝えられています。

【出典元:末社 | 堀越神社 公式HP | 大阪 天王寺

 

その稲荷神社の奥、突き当りにあちら側を向いて置かれている狛犬さん。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221519j:image

拝殿前の狛狐さんが比較的新しく、お役目をバトンタッチされてこちらに置かれているのでしょうか。


f:id:roy-7303-pkbs:20210301221628j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221623j:image

新しい注連縄がかけられていますので、お役御免ではなさそうな気はしますが。

 

その狛犬さんから、茶臼山稲荷神社に向かっての景色。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221656j:image

茶臼山稲荷神社の側の木が(拝殿横にでもとれますが)遠目に見てもやはり立派。

 

境内は決して広くはないものの、気になるお社ばかり。

 

黒龍社】

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221523j:image

祠の後方に見える注連縄が張られた巨木は御神木。

 

【白龍社】

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222114j:image

【太上神仙鎮宅霊符神】
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222136j:image

御神紋が北斗七星ということに、今ブログを起しながら気付く(笑)

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222140j:image

ご神木に接して鎮座するお守りやお符の元祖の神様です節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。

お百姓が冬の終わりに田を耕すように、春の節分祭では、星祭をして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。

七夕には星祭を行い大真西王母須勢理姫命をお招きして星霊の力により生命の復活再生を希う繁昌祭を行います。

節分で祓い七夕で増やすと云う、このちんたくさんの星祭は、あらゆる宗教に取り入れられ現在に到っています。節分符、七夕符にはこの様な意味が有り家で祀られるようになりました。

ちんたくさんと呼ばれる話ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。当社では節分、七夕には大祭を催し,古来の鎮宅霊符の伝流にのっとり霊符を発符し、ご希望の崇敬者に授符致します。

 

いつものごとく、由緒書きや難しい事は帰ってから。

この段階で後方の木にしか意識が向いておらず、ここからはアングルを変えて木のオンパレード。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222107j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222121j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222058j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222053j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222118j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222131j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222101j:image
こちらの御神木、樹齢550年にもなるクスノキだそうで、大阪駅から四天王寺へ向かう道中にお参りした楠木大神とのご縁をブログの文章を起しながら気付きました。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222126j:image

 

さて、御神木にばかり気が囚われておりますが、御神木手前の太上神仙鎮宅霊符神の祠。

見かけないお名前です。

調べてみたところ、以前参拝した星田妙見宮と繋がりました。

 

「太上神仙鎮宅七十二霊符」、「太上秘法鎮宅霊符」とも呼ばれる七十二種の護符。現在の所、道蔵の『太上秘法鎮宅霊符』が原典とされ、中世初期に伝来したものと考えられています。陰陽道に限らず仏教、神道などの間でも広く受容されました。この霊符を司る神を鎮宅霊符神と言いますが、元来は道教の玄天上帝(真武大帝)であると考えられています。玄天上帝は玄武を人格神化したものであり、北斗北辰信仰の客体でありました。それ故、日本へ伝来すると妙見菩薩天之御中主神等と習合し、星辰信仰に影響を与えています。星辰信仰の客体であり、また八卦が描かれるため陰陽道では受容しやすかったものと思われます。 

 【出典元:下記星田妙見宮のHPより】

www.hoshida-myoken.com

 

ここにきて、玄武、天御中主神、北辰信仰、八卦

玄武は先日お参りに行ったばかりの京都市北区の玄武神社。

shironpton.hatenablog.com

 

天御中主神造化三神の内の一柱。

先日お参りした日向大神宮の外宮にお祀りされています。

shironpton.hatenablog.com

 

そして、太上神仙鎮宅霊符尊神の後ろ手にあるご神木の写真。

よく見ると三又に分かれており、安易かもしれませんが三又=造化三神の図式。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301222107j:image

北辰信仰は今回お参りに行きたかった四天王寺を創建された聖徳太子と深い繋がりがあり、以前お参りした大阪府交野市にある星田妙見宮は北辰信仰。

その星田妙見宮には太上神仙鎮宅霊符神の版木があり、その霊符の威力はとてつもなく、星田妙見宮のHPには下記のように記載されています。

 

この霊符は日本では最も有名な霊符の一つです。陰陽道最高の神ともされる「太上神仙鎮宅霊符尊」は神通第一にして霊験無比なること、この天尊(七十二霊符)に及ぶものはないとまでいわれました。

 

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

そして、極めつけの八卦

f:id:roy-7303-pkbs:20210322230123j:image

たまたま図書館で目にした本。

安岡正篤氏の易経講座。

易だなんて自分には全く関係なく、そもそも興味すらなかったのですが、中身をパラパラとめくりなんだか面白そうだと借りてきていた本。

実際読み始めて面白く、気付くことが沢山あります。

 

例えば、夫婦の意味についての章。

【婦】の漢字について言及されている個所で、下記はその章からの抜粋です。

『婦とは、女偏に箒と言う文字で清潔を象徴する文字。女というものは、物を綺麗にするということを表し、身・心・家・社会全てを浄化する。

物は浄化されれば幸福であり、平和である。これは女の本領・使命である。

 

この文章から瀬織津姫が浮かびました。

浄化、祓い清めの神様の瀬織津姫

 

八卦の話しから随分と反れてしまいましたが、八卦とは天と地、宇宙の法則と深い関わりがあり、その時点で興味は深まるばかり。

ただ、早々に挫折しそうな気もしますが(笑)

 

こんなことに気付くのも、毎度のことながらこうやって写真をブログに張り付けながら色々調べ、点と点が線になったその瞬間。

 

まさしく今。

こうして繋がっていくのがやはり面白い。

 

木の根元にすみれの花。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301222110j:image

京都の久我神社の御神木で見た光景と錯覚しました。 

 

shironpton.hatenablog.com

 

やはり、八咫烏繋がり?

 

そんな思いもよらないことが連続した三月朔日のお参りは、ふと浮かんだ四天王寺ではなく、楠木大明神から始まり、茶臼山古墳、そして堀越神社で様々な事が繋がったお参りとなりました。

f:id:roy-7303-pkbs:20210308102056j:image

 

あれから三週間が経ちますが、本来であれば四天王寺へリベンジとなりそうなものの、あの日感じた『四天王寺へお参りに行かねば!』な感覚はもう全くなく、どうやら目的は四天王寺へのお参りではなかったようです。

四天王寺にある、四天王寺七宮の堀越神社へまでのお参りが私には必要だったのではないかと。

 

そんなことが分かるのも、時間が経過してから分かること。

その時感じる『行かねば』な感覚は、理由も分からず、何をするのかも分からず、ただ感じたままに、よく分からないままにその場に赴くだけ。

その場所に行って、後から初めて分かる仕組み。

 

さて、ここまでを文字に起こしてみて、

『果たしてこの感覚はもうギリギリセーフではなく、アウトなのでは?』

と感じる一方で、もう一方の私は、特に臆するわけでもなく淡々としている様子。

 

頭で考えるのではなく、感じること。

 

お参りを通して、その感覚が身に付いていっているような・・・。

そんな気がふとしました。

 

その週末、早速その感じることを試されるような出来事がありました。

次回は奈良へ!

 

【大阪】茶臼山古墳の山頂でパン

さて、楠木大明神を後に四天王寺に着くも、大阪駅から予想以上に時間がかかってしまいすでにお昼前。

先にお昼ご飯を探しに行こうと、気になったパン屋さんに行くも

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221049j:image

まさかの定休日(笑)
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221056j:image

定休日が月・火に変更になったようです(^^;

 

私の好きな、行ってみたいパン屋さんはどうにも月曜日が定休日のところが多く、今回もある意味大当たり(笑)

 

仕方なく四天王寺近くにパン屋さんがあったのを思い出し戻ることに。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221128j:image

NARUTOYA=鳴門屋
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221109j:image

ローマ字にすると一気におしゃれ感が増しますが、漢字にすると分かりやすいのが日本語の良いところ(^^)

 

さて、ここからお昼ご飯をどこで食べようかで天王寺公園をぐるぐる回り、
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221106j:image

(見た瞬間、このこんもりとした場所が古墳に見えました。その答えはのちほどわかることに。)

 

通天閣がこんなに近くに見えることにビックリし、
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221113j:image

あべのハルカスもこんなに近い。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221116j:image

そんな都会の中で、吸い寄せられるように辿り着いた先は天王寺公園に隣接する茶臼山古墳
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221146j:image

先程、古墳に見えた場所はやはり古墳でした。

 

そしてこちらの古墳、足を踏み入れて感じたのは周りの喧騒とは打って変わっての静けさ。

更に、都会の真ん中とは思えないくらいに木々がとても元気なこと。

まさしく都会の中のオアシスと言う言葉がピッタリ。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301221125j:image

こんな立派な木が見渡す限りにたくさん生えています。

 

そんな木々がこんもりと生い茂った茶臼山の標高は思ったほど高くなく26m(笑)

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221120j:image

その山頂(と言って良いのかどうか(笑))で、先程NARUTOYAで購入した鳴門だけに鳴門金時のパンをパクリ。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221159j:image

目の前には鳩がいたり、

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221141j:image

面白い樹形の木があちらこちらに。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221152j:image

更には反対方向を見渡すと、先程そばを通過したあべのハルカスが木々の合間から見えて別世界。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221133j:image

山頂には茶臼山に因んだパネルが何点か掲示されており、その中でもこちらのパネルが気になりました。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301221053j:imagef:id:roy-7303-pkbs:20210301221155j:image

 

茶臼山については、五世紀築造の前方後円墳とみる説と、いまひとつ、延暦七年(788)に和気清麻呂が上町大地を東西に横切る運河を掘ろうとしましたが、茶臼山南側の河底池はその時中断した運河の跡で、茶臼山は掘り出した土を積み上げたものだとする説があります。

 

和気清麻呂といえば、宇佐八幡宮神託事件道鏡の怒りをかい、名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名されてしまったお方。

これが事実であれば、名前を穢麻呂に変えるだなんて、そんな子供の喧嘩みたいなことを『どれだけ大人げないねん・・・。』と思ってしまいますが、真意の程はいかほどに(^^;

 

お目当てのパン屋さんには行けませんでしたが、これまた先程の楠木大神さんと同様思わぬところで素敵な場所に出会い、今日はこんな日なのかもしれません(^^)

 

さて、ここからは茶臼山公園を後に四天王寺を目指したいところですが、もう時間がなく(笑)

f:id:roy-7303-pkbs:20210316204439j:image

Googleマップを確認したところ、許す時間内でお参りできる神社がここから目と鼻の先にありました。

 

つづきます。

 

【大阪】楠木通りの中央 楠木大神

ふと、四天王寺に行こうと思い立ち、たまたま休みだった主人と輪行

下車した大阪駅で自転車を組み立てます。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301220711j:image

ここからは、信号待ちを回避すべく、ひたすら裏道を四天王寺に向けて走ります。

四天王寺ももうすぐ、な場所まで来たところ、何気なく振り返った先に気になるものを発見。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220658j:image

道路の真ん中に祠と巨木!
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220633j:image

祠の左右は、車が普通に通る道路。

車の途切れたタイミングを見計らって上陸。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301220702j:image 

ウズラの卵にお塩のお供え、そしてお花が飾られており、注連縄も新しいもの。

傍には掃除道具もあることからお世話をされている方がいるような気配。

 

祠の後ろに回って、一番気になった
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220638j:image 

こちらの木を間近で拝見。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220650j:image 

木に相応しいとても太いしめ縄がかけられています。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220641j:image

チョット顔に見えます。

で、一度顔に見えてしまうと、もう顔にしか見えなく、注連縄がたすきに見えたらば、浮かぶ情景はリレーのアンカー。

接戦の上、一等賞で両手を上げてフィニッシュの瞬間。

力強い木とお見受けしました(^^)

 

全景図
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220646j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220720j:image

後ろの建物とのミスマッチ感が、更にこの場所の特異性を表しているような。

周りに鎮守の森があれば納得、な巨木。

逆にないからこそ、余計に際立つ異形感。
f:id:roy-7303-pkbs:20210301220708j:image

前日、伏見稲荷大社で初対面を果たした長者社の御劔石(雷石)の堅牢な注連縄を彷彿とさせる注連縄。

 

shironpton.hatenablog.com

 

伏見稲荷大社の御劔石には雷が封じ込められているといわれており、その強力な力を注連縄を張ることで封じ込めている(結界)とのこと。

こちらの木の注連縄も何かを封じ込めているような、そんな力強い注連縄のように見えました。

f:id:roy-7303-pkbs:20210301220653j:image

 

場所は土地勘が無い為、その場でGoogleマップをすぐにスクショ。


f:id:roy-7303-pkbs:20210316204650j:image

最寄り駅は谷町六丁目駅近く。


f:id:roy-7303-pkbs:20210316204706j:image

 

思わぬところでとても立派な木に出会え、ただ扁額も何もく、どういった神様がお祀りされているのか気になり調べてみました。

 

楠木大神は、車道の中央に位置する神社である。樹齢500‐600年のクスノキが祀られており、根元には鳥居と祠が設置されている。陶器製の蛇も祀られている。

かつてこの場所には本照寺という寺院が存在し、その寺院の境内に存在する御神木がこのクスノキであった。だが1938年に道路の拡張工事が行われ、現在のような形になった。本照寺があった場所には現在はマンションが建っている。

かつてこのクスノキを伐採するという計画があったときに、枝を切ろうとした人が急死して伐採が中止になったという話が存在している。

この神社のある通りは「楠木通り」という名前になっており、付近のマンションや商店の名前に「楠木通り」が使われていることがある。

 

【出典元:楠木大神 - Wikipedia

 

谷町七丁目交差点を東に入ると、道路のど真ん中に木立が茂っている。茂みの中に注連縄(しめなわ)が張られた枯れた切り株がある。
 この枯れた切り株を神木として、地元では「谷町のクスノキさん」、「楠玉社(くすたましゃ)」などと呼ばれ、祀られている。
 神木はもともと、この場所にあった「クスノキ寺」とも呼ばれていた本照寺の境内に植えられていた。
 昭和12年(1937)の道路拡張工事の際、本照寺は移転したが、クスノキには繁栄をもたらす蛇、巳(みい)さんが棲んでいるので「伐るとタタリが起こる」と畏れられたことから、道の真ん中にその姿を残すことになった。
 残念ながらクスノキは数十年前に枯れてしまったが、今でも信仰の対象として大切にされている。
 また、木立のある道筋は「楠木通り」と名づけられ、地域のシンボルとなっている。 

 

【出典元:楠木大明神 - 大阪中心 The Heart of Osaka Japan – 大阪市中央区オフィシャルサイト 地域情報ポータルサイト

 

こちらの立派な木は楠木になるそうで、かつてこの地にあった本照寺の御神木。

樹齢は500年~600年にもなり、今は枯れてしまってはいるもののクスノキさんと呼ばれ、信仰の対象になっているとのこと。

 

長い期間、この地を護られてきた御神木のようです。

思わぬ出会いに感謝☆

 

さて、四天王寺まであと少し。

つづきます。

 

 

【京都】伏見稲荷大社 裏参道の木々達

長者社の磐座に別れを告げて、山頂へと向かう参道で気になった木。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222556j:image

 

このあとはひたすら頂上を目指して無言で歩く=写真が無い(笑)

で、やっと稲荷山の最高峰(標高233メートル)に到着!

 

【一ノ峰(上社神蹟)】
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222428j:image

末広大神がお祀りされています。

 

さて、長者社の磐座、稲荷山の頂上の目的を達成したらばあとはのんびり下り道。

気ままに気になった木を撮って、
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222504j:image

根から上に上がるにつれての捩じれっぷりに一票!

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222607j:image

どこのお社か忘れましたが、手水舎の竜が気になってパチリ。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222614j:image

あっという間におにぎり休憩をした四ツ辻まで戻って来ました。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222532j:image

 

さて後はのんびり帰り道。

山頂までで体力を消耗した私を放置して、子供達はさっさと下って行きます(笑)

 

帰りは行きとは別のルート、裏参道から帰ります。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222600j:image

『行きはよいよい、帰りは恐い♪』

ではなく、

『行きはヒイヒイ、帰りは鼻歌♪』な帰り道。

 

その裏参道を歩いている最中、参道の左手には沢山のお社があり右手には木々の一帯。

一体ここがどこのお社前かは記憶にないのですが、息子がふと目にした木々の中に『すごい木がある!』と
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222621j:image


f:id:roy-7303-pkbs:20210228222402j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222500j:image

木のすごさを比較するのは、130㎝台の息子と比較するのが一目瞭然。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222517j:image

枝ぶり、幹が立派なのはもちろんなのですが、特筆すべきはこの根!


f:id:roy-7303-pkbs:20210228222626j:image


f:id:roy-7303-pkbs:20210228222341j:image

夢中になって撮り続けてしまいましたが、いやはやお社も何もない、それこそ木々の中にある一本の木。

 

こんなに立派な木が、何気なくある稲荷山。

稲荷山自身が御神体なのがとても頷けます。

そして、何よりも稲荷山のお水が清らか。

 

若い頃、京都観光にデートにと、それこそ京都にある有名な観光名所の一つ程度にしか思っていませんでしたが、あれから数十年。

再訪する度に(と言うほどお参りしてはいませんが(^^;)、様々な気付きがあります。

一つ一つを丁寧にお参りするにはそれこそ一日あっても足りないのではないかと思いますが、お参りに行くたびにその時に気になった箇所でお参り出来ればそれで良いのではないかと思います。

そんなことを考えながら、すでに次回へのお参りが楽しみ(笑)

 

こんな素敵な木に、何気なく出会ってしまった裏参道

先を進むとまたしても面白い木に遭遇。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222446j:image

こちらは参道沿いにある木。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222350j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210228221948j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222450j:image

先に進むと【八霊社】
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222439j:image

八角の台座に十二支像がお祀りされています。

こんなお社があっただなんて、今まで知りませんでした。

背後の牛と息子は全く関係ありませんが、自分の干支の前でお参りされると良いかもしれません(^^)

 

さて、まだまだ続くよ裏参道

写真には全く撮っていないのですが、沢山のお社があります。

ただし、私は行きの稲荷山で力を使い果たし済みの為、気になった箇所(木)のみのお参りです。

 

そんな中、この木が気にならないわけがありません。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222347j:image

周りの柵が倒れてしまっていますが、礎石が崩れていることからもしかすると、この木の根に押し上げられてしまっているのではなかろうかと。

 

案の定、鳥居の前の石畳もご覧の状況。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222646j:image

この境内におさまるレベルの木ではなさそうです(^^;

 

上部もこの木の根から想像出来る以上に、とても立派。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222432j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222535j:image

注連縄がかけられています。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222420j:image
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222423j:image

根はご覧の通り。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222508j:image

上部は圧倒される枝ぶり。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222604j:plain
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222549j:image


裏参道でのお参りは、ひたすら木々ばかりとの対面となりました。

 

伏見稲荷大社への参拝は、四ツ辻までを数回。

その際、こちらの裏参道を通っていたはずなのに木の存在を知ったのは今回が初めて。

 

目の前に写っているモノを全て見ているようで、いかに自分の見たいものしか見ないか、実体験を通して良く分かります(^^;

 

行きに目に入った神具店で、帰り際、サイズ選びに悩みに悩んで念願の榊入れを購入しました。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222435j:image

いつかは神棚をお迎えしたいと長年企んでいるのですが、なかなか家族の賛同が得れず現在に至ります。

 

『いきなり神棚は無理でも、榊入れくらいは。。。』

で、少しづつ我が家の神棚もどきをカスタマイズ(笑)

f:id:roy-7303-pkbs:20210316202230j:image

 

毎日手を合わせ、自分と向き合うことから一日をスタート。

いつかは神棚をお迎えで着る日が来ることを信じて、今日も神棚に手を合わせます(笑)

 

さて、お次は3月1日にふと思い立って大阪へ。

 

【京都】伏見稲荷大社 御膳谷、磐座

前回はタイムオーバーで山頂まで行くことが叶わず、ずっと気になっていた稲荷山の磐座。

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

今回は目的地を稲荷山の山頂に絞ってお参りです。

 

高貴なお姿の狛狐さん。


f:id:roy-7303-pkbs:20210228221721j:image

f:id:roy-7303-pkbs:20210228221724j:image

 

狛犬さんは、可愛らしいタイプや厳めしいタイプ、筋肉隆々など色々な姿を目にするのですが、狛狐さんはシュッとした高貴な雰囲気のタイプしか目にしたことがないような気がします。

私が単に知らないだけなのかもしれませんが(^^;


f:id:roy-7303-pkbs:20210228221709j:image

 これより先、本殿周りの撮影は禁止です。

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222453j:image

狛狐さん、やっぱりシュッとしてはる(笑)

 

【神馬舎】

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222410j:image

騎馬民族であった秦氏

その秦氏氏神様の伏見稲荷大社

 

よく見ると、お賽銭の上部に2本人参がお供えされています。

白馬はもちろん本物のお馬さんではありませんが、食べれるから奉納するというわけではもちろんなく、祈りと気持ちが大切だということに気付かされます。

 

こちらは奥社にあるおもかる石。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222553j:image

持ち上げられれば願いが叶うとのこで、何やら良くないことを考えていると思われる息子(笑)

 

このあとは、ひたすら朱塗りの鳥居の中を進みながら稲荷山をずんずんと歩き、いつも休憩をする四ツ辻でおにぎり休憩。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222542j:image

ここから先は初めての空間。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222539j:image

反時計回りに稲荷山を一周することに。

 

四ツ辻までとは一変して、ここからは人もまばら。

そして、それに呼応するかのように空気が一変します。

とっても珍しい狛狐さんを発見!
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222514j:image

 

相変わらずの写真技術の無さに悲しくなりますが、こちらの格好良い狛狐さんの全景はいつも拝読させて頂いているyukixさんのブログをご覧下さい。

yukix03.hatenablog.com

 

奇遇にも、yukixさんのブログを拝見した日は伏見稲荷大社へお参りの日。

嬉しいシンクロに今回こそは念願の磐座へと気持ちは高まります♪

f:id:roy-7303-pkbs:20210308102031j:image

この格好良い狛狐さんのいらっしゃる辺りは御膳谷奉拝所。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222413j:image

この石階段を上がったところに祈祷殿があり、ちょうど宮司さんが祝詞のようなものを唱えられていました。

見た感じですと毎日の日課のように見えました。

 

この御前谷一帯ですがもう何とも言えない空間で、『厳か』の言葉がピタリと当てはまる空間。

中でも、こちらの二股に分かれたご神木には圧倒されました。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222521j:image

裏のお山からお水が流れ出ているようで、路面が濡れており水音も聞こえてきます。

その水の気と木の気が充満している御膳谷。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222528j:image

 

ここは御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられています。

三つの峰の渓谷がここに集まって一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を拝する要の所。

 

【出典元:御膳谷奉拝所 | 伏見稲荷大社スマホサイト

 

御竈殿(みかまどの)竈から連想されるものは火や煮炊き、食べ物。

御膳谷にある水と木。

竈に足りないものは、火。

 

調べてみたところ、伏見稲荷大社では一年に一度11月に火焚祭というお祭りが行われているそうです。

 

【火焚祭】

秋の収穫の後に、五穀の豊饒をはじめ万物を育てたもう稲荷大神のご神恩に感謝する祭典で、古来当社の伝統ある行事として広く知られています。
本殿の祭典にひきつづき、神苑斎場において、全国崇敬者から奉納された数十万本の火焚串を焚きあげ、宮司以下神職をはじめ参列者一同、大祓詞を奉唱して、罪障消滅、万福招来を祈ります。

【出典元:祭礼と行事|伏見稲荷大社

 

執り行われる場所は御膳谷ではなく本殿裏手になる為、御膳谷で火の要素が揃うわけではありませんが、また新しい発見にワクワクします。

 

御膳谷を後に先に進んでいくと、痛々しい木の姿が見えてきました。

 

【傘杉社】

f:id:roy-7303-pkbs:20210228222524j:image

そのまま先に進んでいくと、竜にちなんだところは息子の出番。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222618j:image

右手に幹の太さとに反して力強い根の木。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222545j:image

【天龍大神】
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222443j:image

来た道を戻った山中にふと目をやると【右 山科の里 大石良雄旧跡】の石碑。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222457j:image

大石良雄とは大石内蔵助

赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入りをした大石内蔵助

 

そもそも、伏見稲荷大社というより稲荷山へと興味が湧いたのは以前京都市山科区にある岩屋神社から始まる磐座を巡るお参りからの流れ。

shironpton.hatenablog.com

 

その岩屋神社で岩屋三社なる存在を知り、もう一社の山科神社へ。

shironpton.hatenablog.com

 

その山科神社へ参篭していた大石内蔵助をお祀りしている神社は、その山科神社のすぐ近く。

shironpton.hatenablog.com

 

稲荷山の裾野に山科神社と大石神社。

その反対には稲荷山をご神体とする伏見稲荷大社

稲荷山の東西に位置する三社。

 

あくまでも私の推察ですが、稲荷山をご神体とする(だろうと思われる)三社。

 

その稲荷山には磐座が存在するということを、岩屋神社~大石神社~山科神社の流れで初めて知り、その磐座とのご対面もあと少し。

 

御剱社(長者社神蹟)の手水舎
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222611j:image

御剱社とだけあって、手水舎に剱。

さて、お清めをした後は念願の磐座。

 

【長者社】

御祭神:賀茂玉依姫賀茂別雷命上賀茂神社御祭神)の母君)
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222338j:image

 

長者社の長者の由来は、秦氏の祖先、秦伊侶具(はたのいろぐ)が長者だったことから名づけられたとのこと。

ただし、御祭神は秦氏ではなく賀茂氏の賀茂玉依姫

 

何故秦氏ではなく賀茂氏なのかが気になり、調べてみたところ興味深いサイトを見つけました。

そのサイトより下記、転載です。

 

昔々、秦氏の娘が葛野川で洗濯をしていた。

すると、上流から矢が一本流れてきた。彼女はそれを持って帰り、戸上に刺しておいた。やがて、娘はひとりでに懐妊。男の子を産んだ。あるとき宴会を開き、秦氏の祖父母が男の子に向かって、父親に酒を飲ませよと言った。すると、男の子は、戸上の矢を指差しこれすなわち雷公と言い、そのまま天井をつきぬけて、天に昇っていった。これにより、鴨上社は別雷神とし、鴨下社は御祖神と称す。
戸上の矢は、松尾大明神である。

以上、これら秦氏三所明神として奉祭(ほうさい)する。
しかして、鴨の氏人は秦氏の婿である。秦氏は愛する婿のために、鴨祭を譲与する。今日、鴨氏が禰宜(ねぎ=神官)として奉祭するのは、この縁があるためである。
これから分かるように、賀茂氏の「丹塗り矢伝説」と違うのは、玉依姫秦氏の娘になっている事で、秦氏の娘の婿は火雷神(日本神話の火の神)であり、娘婿ゆえ、秦氏松尾大社を創建して、火雷神を祀ったことになっている。その火雷神が鴨上社(上賀茂神社神)の別雷神(わけいかずちのかみ)である。  
また、突然に賀茂氏が登場し、鴨上社(上賀茂神社の神)の別雷神(わけいかずちのかみ)は秦氏にとって娘婿で、愛するが故に、それまで秦氏が行ってきた葵祭りを賀茂氏に譲ったとしており、松尾大明神=火雷神賀茂氏の祭神となります。
これから判るように、賀茂玉依姫 = 秦玉依姫 であり、秦氏賀茂氏は一体である。

 

【出典元:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/simojin.pdf

 

賀茂玉依姫が秦玉依姫という衝撃的な内容で、目から鱗

ただし、秦玉依姫であれば稲荷山にお祀りされているわけも納得。

 

磐座ご対面までにあちらこちらと脱線しておりますが、この時間がモヤモヤしながらも楽しい時間(笑)

 

さて、見えてきました。

磐座です。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222406j:image

磐座は長者社の後方に控えています。
f:id:roy-7303-pkbs:20210228222355j:image

 こちらの磐座、剱石とも雷石とも呼ばれているそうで、

 

・剱石の由来は、岩が剱に見えることから剱石。

・雷石の由来は、昔々に神々がこの岩に雷を落とさせて結界(注連縄)を張り、封じ込めたことから雷石

 

と由来が二つあるようです。

 

念願叶っての磐座ですが、磐座よりも注連縄の堅牢な感じが印象に残っており、由来の雷を封じ込め結界を張ったと言われても何の違和感もなく、とても立派な注連縄でした。

 

さて、稲荷山参拝の一つの目的が達成しました!

あと残るはもう一つ。

稲荷山の山頂へ。

 

つづきます。