お昼ご飯のパンを買った後、どこで食べようかと自転車を走らせていて気になっていた神社。
境内の柵が狭いと言わんばかりに道路にせり出した木。
【堀越神社】
午前十一時から朔日祭が行われていたようです。
堀越神社は聖徳太子が創建されたそうで、御祭神は崇峻天皇とあり、聖徳太子の叔父君。
推古天皇の御代、聖徳太子により四天王寺七宮のひとつとして創建されたとあります。
そもそも四天王寺七宮とは?
四天王寺七宮(してんのうじしちみや)は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群である。
いずれも現在の大阪府大阪市天王寺区に位置し、以下の七つの神社を指す。
・大江神社(夕陽丘町)
・上之宮神社(上之宮町) - 大江神社に合祀。
・小儀神社(勝山1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺東門前。
・久保神社(勝山2丁目)
・土塔神社(大道1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺南門前。
・河堀稲生神社(大道3丁目)
・堀越神社(茶臼山町)
近世にはそれぞれを産土神とする北・上之宮・小儀(大儀)・久保(窪)・土塔・河堀・堀越の七つの村および四天王寺門前の町場を統合して、東成郡天王寺村が成立した。
【出典元:四天王寺七宮 - Wikipedia】
今回のお参りの目的地、四天王寺へのお参りは叶いませんでしたが、それでも聖徳太子繋がりということでこれはこれで良いのでしょう。
堀越神社の場所は先程お昼ご飯を食べていた茶臼山古墳を出てすぐの場所。
白木の鳥居が青い空に清々しく感じます。
こちらの鳥居のある参道が表参道ですが、毎度のことながら裏参道からのお参りで、実際初めにお参りしたお社はこちら。
【熊野第一王子之宮】
八咫烏!
平安時代に「蟻の熊野詣」といわれるほど賑わった熊野詣は、目的の熊野三山巡拝の前に、熊野権現の分霊を祀った九十九の王子社を巡拝しながらたどっていきます。京の都から船で淀川を下り、上町台地へ上陸する天満の港に「第一王子之宮」がありました。
ここが熊野への出発点で第一王子に参拝して、御祓を受けた後、熊野詣に出発したといわれています。
その後、四天王寺の西門鳥居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、大正4年2月10日に堀越神社に合祀され、「熊野第一王子之宮」として現在に至ります。また、熊野権現の神使は八咫烏(ヤタガラ
ス)三本の足を持つカラスとして描かれています。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですが、神武天皇のご東征を道案内したり、その功績は数多く伝えられています。
春の例大祭の日に(4月第3日曜日13時~)熊野社花祭が催されます。
由緒書きの内容そっちのけで、八咫烏の御神紋に釘付け。
2月に京都の久我神社で八咫烏と同一視されている賀茂建角身命が御祭神の久我神社へお参りしたばかり。
shironpton.hatenablog.com
これは嬉しい繋がり。
お社の中には御神紋の八咫烏の神前幕。
そばには手水舎とカエル石。
帰る、変える、還る。
拝殿前の狛犬さん。
【拝殿】
拝殿左手には茶臼山稲荷神社
お社の右手にある木の根の張り、上部に生い茂る葉。
稲荷神社の側には力のある木。
力のある木があるから稲荷社が元気なのか、稲荷社に力があるからそばの木が元気なのか。
茶臼山稲荷神社はその名の通り、茶臼山古墳のあった茶臼山の山頂に昔々はお祀りされていたそうです。
堀越神社境内に鎮座します茶臼山稲荷社は、古来より商売繁盛の神として人々の信仰を集めています。
その昔、天王寺 茶臼山の山頂に祀られておりました。
大坂夏の陣の際に徳川家康が茶臼山稲荷の白狐に危機を救われたことから、家康の信仰が厚かったと言われています。大坂夏の陣の後、現在の処に祀られるようになりました。
徳川時代、大阪城代が新たに任に就くと、茶臼山の家康陣所の跡に敬意を表するを例としましたが、その都度堀越神社に詣で幣帛を奉り、燈籠を献じ、盛んに礼典に尽くしたと伝えられています。
【出典元:末社 | 堀越神社 公式HP | 大阪 天王寺】
その稲荷神社の奥、突き当りにあちら側を向いて置かれている狛犬さん。
拝殿前の狛狐さんが比較的新しく、お役目をバトンタッチされてこちらに置かれているのでしょうか。
新しい注連縄がかけられていますので、お役御免ではなさそうな気はしますが。
その狛犬さんから、茶臼山稲荷神社に向かっての景色。
茶臼山稲荷神社の側の木が(拝殿横にでもとれますが)遠目に見てもやはり立派。
境内は決して広くはないものの、気になるお社ばかり。
【黒龍社】
祠の後方に見える注連縄が張られた巨木は御神木。
【白龍社】
【太上神仙鎮宅霊符神】
御神紋が北斗七星ということに、今ブログを起しながら気付く(笑)
ご神木に接して鎮座するお守りやお符の元祖の神様です。節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
お百姓が冬の終わりに田を耕すように、春の節分祭では、星祭をして屋敷の清め祓いをして星霊の種を撒きます。
七夕には星祭を行い大真西王母須勢理姫命をお招きして星霊の力により生命の復活再生を希う繁昌祭を行います。
節分で祓い七夕で増やすと云う、このちんたくさんの星祭は、あらゆる宗教に取り入れられ現在に到っています。節分符、七夕符にはこの様な意味が有り家で祀られるようになりました。
ちんたくさんと呼ばれる話ですから、家宅の鎮めはちんたくさんの神効の第一です。当社では節分、七夕には大祭を催し,古来の鎮宅霊符の伝流にのっとり霊符を発符し、ご希望の崇敬者に授符致します。
いつものごとく、由緒書きや難しい事は帰ってから。
この段階で後方の木にしか意識が向いておらず、ここからはアングルを変えて木のオンパレード。
こちらの御神木、樹齢550年にもなるクスノキだそうで、大阪駅から四天王寺へ向かう道中にお参りした楠木大神とのご縁をブログの文章を起しながら気付きました。
さて、御神木にばかり気が囚われておりますが、御神木手前の太上神仙鎮宅霊符神の祠。
見かけないお名前です。
調べてみたところ、以前参拝した星田妙見宮と繋がりました。
「太上神仙鎮宅七十二霊符」、「太上秘法鎮宅霊符」とも呼ばれる七十二種の護符。現在の所、道蔵の『太上秘法鎮宅霊符』が原典とされ、中世初期に伝来したものと考えられています。陰陽道に限らず仏教、神道などの間でも広く受容されました。この霊符を司る神を鎮宅霊符神と言いますが、元来は道教の玄天上帝(真武大帝)であると考えられています。玄天上帝は玄武を人格神化したものであり、北斗北辰信仰の客体でありました。それ故、日本へ伝来すると妙見菩薩や天之御中主神等と習合し、星辰信仰に影響を与えています。星辰信仰の客体であり、また八卦が描かれるため陰陽道では受容しやすかったものと思われます。
【出典元:下記星田妙見宮のHPより】
www.hoshida-myoken.com
ここにきて、玄武、天御中主神、北辰信仰、八卦。
玄武は先日お参りに行ったばかりの京都市北区の玄武神社。
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天御中主神は造化三神の内の一柱。
先日お参りした日向大神宮の外宮にお祀りされています。
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そして、太上神仙鎮宅霊符尊神の後ろ手にあるご神木の写真。
よく見ると三又に分かれており、安易かもしれませんが三又=造化三神の図式。
北辰信仰は今回お参りに行きたかった四天王寺を創建された聖徳太子と深い繋がりがあり、以前お参りした大阪府交野市にある星田妙見宮は北辰信仰。
その星田妙見宮には太上神仙鎮宅霊符神の版木があり、その霊符の威力はとてつもなく、星田妙見宮のHPには下記のように記載されています。
この霊符は日本では最も有名な霊符の一つです。陰陽道最高の神ともされる「太上神仙鎮宅霊符尊」は神通第一にして霊験無比なること、この天尊(七十二霊符)に及ぶものはないとまでいわれました。
shironpton.hatenablog.com
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そして、極めつけの八卦。
たまたま図書館で目にした本。
安岡正篤氏の易経講座。
易だなんて自分には全く関係なく、そもそも興味すらなかったのですが、中身をパラパラとめくりなんだか面白そうだと借りてきていた本。
実際読み始めて面白く、気付くことが沢山あります。
例えば、夫婦の意味についての章。
【婦】の漢字について言及されている個所で、下記はその章からの抜粋です。
『婦とは、女偏に箒と言う文字で清潔を象徴する文字。女というものは、物を綺麗にするということを表し、身・心・家・社会全てを浄化する。
物は浄化されれば幸福であり、平和である。これは女の本領・使命である。
この文章から瀬織津姫が浮かびました。
浄化、祓い清めの神様の瀬織津姫。
八卦の話しから随分と反れてしまいましたが、八卦とは天と地、宇宙の法則と深い関わりがあり、その時点で興味は深まるばかり。
ただ、早々に挫折しそうな気もしますが(笑)
こんなことに気付くのも、毎度のことながらこうやって写真をブログに張り付けながら色々調べ、点と点が線になったその瞬間。
まさしく今。
こうして繋がっていくのがやはり面白い。
木の根元にすみれの花。
京都の久我神社の御神木で見た光景と錯覚しました。
shironpton.hatenablog.com
やはり、八咫烏繋がり?
そんな思いもよらないことが連続した三月朔日のお参りは、ふと浮かんだ四天王寺ではなく、楠木大明神から始まり、茶臼山古墳、そして堀越神社で様々な事が繋がったお参りとなりました。
あれから三週間が経ちますが、本来であれば四天王寺へリベンジとなりそうなものの、あの日感じた『四天王寺へお参りに行かねば!』な感覚はもう全くなく、どうやら目的は四天王寺へのお参りではなかったようです。
四天王寺にある、四天王寺七宮の堀越神社へまでのお参りが私には必要だったのではないかと。
そんなことが分かるのも、時間が経過してから分かること。
その時感じる『行かねば』な感覚は、理由も分からず、何をするのかも分からず、ただ感じたままに、よく分からないままにその場に赴くだけ。
その場所に行って、後から初めて分かる仕組み。
さて、ここまでを文字に起こしてみて、
『果たしてこの感覚はもうギリギリセーフではなく、アウトなのでは?』
と感じる一方で、もう一方の私は、特に臆するわけでもなく淡々としている様子。
頭で考えるのではなく、感じること。
お参りを通して、その感覚が身に付いていっているような・・・。
そんな気がふとしました。
その週末、早速その感じることを試されるような出来事がありました。
次回は奈良へ!