シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【京都/長岡京市】乙訓寺から楠木正成、正行公忠孝の碑へ

母の日。

母は電車でシロンプトンと一人旅。

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降り立った先は長岡天神駅

 

一人で写真を撮っていると、見るからにここまで沢山歩いてきましたと言わんばかりのおじ様方の集団が、『一緒に写真撮ったろか?』と声をかけて下さいました。

ありがたいですが、ブログのメインはお参りと自転車。(パンはいずこへ)

私は不要です(笑)

 

自転車を走らせること2キロ弱。

道中とても気になる木があり、後で寄ろうと通り過ぎたところ目指す場所はその木のある場所でした(笑)

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【乙訓寺】
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推古天皇の勅願によって聖徳太子が開いたとされる乙訓寺。
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例年であれば牡丹祭が開催されていたようですが、まだまだコロナ禍。

今年も開催は見送られてしまったようで、更に到着した時刻は15時過ぎ。

社務所も閉まっており、どうやら御朱印は頂けない模様。

今日はどうやらご縁がなさそうです(^^;
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牡丹は木の養生を考えて、ご覧の通り蕾は既に切り落されてしまったよう。
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残念ですが、新緑眩しいこちらの参道を誰もいない中、一人お参りできるのはこれはこれで贅沢です。
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【八幡社】
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【本堂】
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【乙訓(おとくに)】
地名の諸説のうち、葛野(かどの)郡から分離して新しく郡を作るとき、葛野を「兄国」とし、新しい郡を「弟国」(乙訓)としたと見るのが妥当。『日本書紀』によると、第26代継体天皇は河内で即位され、その12年(518年)3月、都を弟国に移された。乙訓寺は当時の宮跡として有力視されている。


【乙訓寺の創建】
日本に仏教が伝来したのは約1450年前。乙訓寺は太秦広隆寺(603年創建)とほぼ同じく約1380年前の創建と見られ、寺伝では推古天皇勅願、聖徳太子創建となっている。これを裏付けるように、発掘調査の結果も、設計には法隆寺と同じ高麗尺が使われているという。


長岡京
延暦3年(784年)、都は奈良から長岡京に移った。わずか10年で京都に都は移ることになるが、唐都・長安西安)を模し、堂々たる都城づくりが進められ、乙訓寺は都の鎮めとして重要視された。

 

【将軍綱吉の援助で隆光が中興】
長谷寺で修学後、江戸に出て、将軍綱吉の信任厚く、将軍の祈祷寺・江戸護持院住職となった隆光は、乙訓寺を請い受け自ら住職となった。
綱吉は寺領百石を寄進し、徳川家の祈祷寺とし、諸大名・公卿の信仰も集まった。
隆光は乙訓寺中興第一世として内外の尊敬のもとに、寺を再び真言宗に改め、堂宇の再建、乙訓寺法度(はっと=きまり)の制定などに復興を尽くした。
当時の寺域は八千二百余坪あったという。

 

【出典元:乙訓寺の歴史 | Otokunidera

 

つい先日訪れた野崎観音で、徳川家に関する話を伺ったばかり。

繋がる時は繋がります。

 

そんな気付きも、こうしてブログに文字として起すからであって、人によって気付く方法は異なりますが、私には体験したことを文字に起こすことが必要なようです。

 

本堂左手に面白い石がありました。
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ちょっとこのエリアには立ち入らずな感じでした。


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こちらの木は乙訓寺のHPにあるミカンの木でしょうか。
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お大使様が西域より持ち帰られたミカンの木は、当時は珍菓だったそうで嵯峨天皇にも献上されたとありました。

 

御本尊は十一面観音立像。
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そういえば、先日お参りに行った野崎観音の御本尊は、十一面観世音菩薩。

今回、何も考えずに電車に乗り、降り立った長岡京駅ですが、すでに行く場所は決まっていたのかもしれません(笑)

 

こちらのお社周りは、朱色の橋、水はないものの池、池の中のお社とくれば、お祀りされているのは弁財天様だと思います。
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さて境内をぐるりと回って、今日一番惹かれた木の元へ。
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今日の目的は、この木だったようです。
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シロンプトンと記念撮影。

 

さて、思いのほか早くに参拝が終わり、ただこの時点で時刻はもう16時。

他にお参りに行けるところもなく、ただこのまま帰ってしまうのも面白くなく、ちょっと走ってみようと走り出すと、止まらないですね(笑)

 

気付けば島本駅までやってきました。


島本駅前といえば、ここ最近お世話になっている楠木正成公、御嫡男の楠木正行公の忠孝の碑がある場所です。
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ここ桜井の地で、楠木正成公は御嫡男の当時11歳とまだ小さかった正行公と最後の別れ。その足で足利尊氏との戦に赴き、天命を全うされたそうです。

 

それにしても、意図せずしてこの地へとやってきましたが、この面白い流れは自分にしか分からない楽しさ嬉しさだけに誰と共有することも出来ず、ちょっとここに記させて頂きます。

 

ありがたし。

 

元をただせば、家でのちょっとした小競り合いに私の怒りが爆発しての今回のお参り。

このままでは怒りに自分が呑み込まれ、更には家族へと二次災害が及ぶ恐れがあり(他人事のように書いていますが、随分とこうして自分を俯瞰して見れるようになりました。)要は、イライラをぶちまけるという事です、一人でプチ家出輪行(笑)

 

ひとまず自転車に乗って駅まで来たものの行く先も決まっておらず、ふと浮かんだ乙訓寺。

こんなにイライラした人間が果たしてお参りに行っても良いのだろうかと思いつつも、駅に着いたらもう後ろは振り返らず前に進むだけ。

 

走っているうちに、モヤモヤやイライラもどこかへ飛んで行ってしまい、乙訓寺に着く頃にはスッキリ。

寺務所は閉まってはいましたが(笑)

 

なんやかんやとその日はプリプリしていましたが、そのまま自転車で高槻市の山間部にある我が家に着く頃には、ちょっと自分が一皮むけたような気分になっていました。

私は怒ると厄介で、そんな自分をここ最近持て余しておりますが、今回のお参りで怒りの手放しが上手く出来たような、気のせいかもしれませんがそんな感じがしました。

 

そして、下半身疲労困憊で家に入ったら良い匂い。

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主人と子供達でご飯を作ってくれていました。

キッチン、ぐちゃぐちゃでしたけどね(笑)

 

ありがたいです。

プリプリしていた自分が馬鹿みたい(笑)

 

私は家族と共にあります。

家族の理解があるからこそ、こうして一人お参りに行くことが出来、傍から見たら随分と変なオバサンかもしれませんが、それを許容してもらっています。

(ただ娘は以前の私のように、会社でバリバリと働いて欲しいようですが(笑))

 

お参りに行っているのか、何をしているのか、自分でもちょっとよく分からない時が多々ありますが、分かっていることは『気付き』が増えること。

 

自分で体験した上での『気付き』は、頭ではなく、肚で分かるような気がします。

【大阪/大東市】北條神社、小楠公並一族菩提地 十念寺

野崎観音を後にし、向った先は北條神社。

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東高野街道のスタート地点は石清水八幡宮。ゴールは高野山

100キロは優に超えるであろう参詣道を、2キロ程先にある北條神社へ向かって走ります。(近っ!(笑))

そうは言っても、この辺りは坂道だらけ。

ヒーヒー言いながら、飯盛山の麓に神社らしきものが見えてきました。
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【北條神社】

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手水舎のお水は残念ながら使える状態ではありませんでした。
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御祭神は品陀別命、別名応神天皇天満宮でお祀りされている菅原道真公。

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御祭神からすると、八幡神社もしくは天満宮となりそうですが北條神社。

北條神社のある一帯は北条地区。

なので北條神社なのでしょう。

 

チョイと厳めしい感じの狛犬さん。

拝殿手前の狛犬さんは小さいながらも存在感はバッチリ。


拝殿の左側からチョット散策。

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本殿の後ろの木が、まるでもっと先に出たいと言わんばかりのこの姿。
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まるで龍のよう。
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少し離れて反対側から見た龍のような木。
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やはり、どうしても外に出たいようにしか見えません(笑)

 

さてこちらは拝殿右手にある【善女龍王社】
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龍が出てきました。

 

その善女龍王社からみた景色。

大阪市内の奥に見える山は六甲山系。
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饒速日命生駒山系から見える景色は、六甲山系の瀬織津姫

 

北條神社のすぐ側に、飯盛山登山道の三好道の入り口がありました。
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少し前に訪れた、四条畷神社、御机神社、そして今回訪れた野崎観音からも登山口があり、とてもウズウズしますが今回はお参りのみ。

 

三好道入り口のすぐ側の大きな岩。

近くに立札がありました。

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【山神】

今はその存在さえ忘れているが、昔は炭焼き草刈りなど、山仕事をする人達にとっては山を支配する神として崇められて山路の行き帰りには必ず拝礼したという。

大東・三好長慶

 

お参りをするようになって、ヒシヒシと感じるようになった山の神様。

忘れ去ってはいけない、子供達にも伝えていきたい神様です。

 

そんな山神様のことを考えながら、そろそろ家族揃ってお山に入りたいなぁと妄想するも、『部活命!』、『自転車命!』の子供達に果たして私の想いは届くのかどうかは不明です(^^;

 

山神様の立札の近くに、『辨財天龍王』の石碑。

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後ろにある木がチョット気になりズーム。
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そして、やはり登山道の三好道が気になり、少しお山に入ってみました。
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今こうして画像を見てもウズウズします。

入りたい(笑)
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北條神社の境内に戻って、日陰で少し休憩。
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六甲山系が良く見渡せます。

一時は毎週のように通っていましたが、今はご縁の時ではないのでしょう。

 

さて北條神社をあとにして、通り過ぎたもののふと気になって戻った十念寺
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中に入れそうにはありませんでしたが、側にあった石碑に【小楠公並一族菩提地】とありました。
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楠公四条畷神社の御祭神であり、楠木正成公の御嫡男 楠木正行公。

四条畷神社から始まり、小楠公墓所、そして十念寺

四条畷市での参拝は楠正行公と一緒だったかのようなお参り。

 

私一人であれば、四条畷市へ、それも戦国武将がお祀りされている神社に参拝することは考えられませんが、こうして我が家の男子チームを通してご縁をいただけたことがとてもありがたく、考えてみれば2年前には娘のカルタ部の付き添いで毎週滋賀へ通い、その地でも沢山の参拝をさせて頂くことが出来ました。

 

私のお参りのご縁は、家族あってこそ。

存在が近過ぎる故に見えていないのかもしれませんが、私の基盤は家族と肝に銘じて、これからもご縁を繋いでいければと思います。

(翌週も楠木正成公親子とご縁が繋がろうとは、この時は知る由も無し・・・(笑))

 

【大阪/大東市】野崎観音、南條神社

週末の自転車男子チームとは分かれて、今回も一人シロンプトンでのお参り。

やってきたのは野崎。

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目指すは、野崎駅から山へと向かう参道先の野崎観音。
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子供の頃、確か母と一緒にこの参道を歩いた記憶があり、私の記憶では垂直かと思うくらいの急な坂だったのですが、自転車で立ち漕ぎすることなく上って来れました(笑)

 

と思ったのも束の間、もしやこの見るからに子供の足ではなかなか大変そうな石段がそうだったのかも?

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こちらの木。

よく見ると根っこで石組が崩れてしまっています。
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やはりこの石階段が私の記憶の激坂なような気がしてきました(^^;
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後ろを振り返るとなかなかな傾斜!

幼少の頃であれば、この階段を一段上がるだけでも一苦労だったのでは。

そんな子供を連れて、お母さん今更だけれどありがとう。

 

さて、石階段も残り僅かな踊り場で、水の流れがありお山からの水だと良いのですが。
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石段を上がった先には野崎観音ではなく、南條神社。
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御祭神は素戔嗚尊様。

 

【手水舎】
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龍というより、馬のような面持ち。
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どことなくほっこりはん。

 

こちらは野崎観音の手水舎。f:id:roy-7303-pkbs:20220507120319j:image

紋に釘付け。
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葵の紋。

shironpton.hatenablog.com

 

先月、上賀茂神社で二葉葵の紋を目にしたばかり。
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どうして葵の紋なのか気になりつつもお参り。

 

ありがたいことに、御本尊の十一面観音菩薩が御開帳されており、近くでご尊顔を拝顔させて頂きました。
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野崎参りの5/1~5/8の期間は御本尊が御開帳されるようで、私が伺ったのは5/7。

ギリギリ(笑)

でも、ありがたし。

 

境内には飯盛山へのハイキング道があり、お山に入りたい気持ちはありつつも今日はお参り。
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こちらのお堂は三十三所観音堂とあり、西国三十三カ所音霊場へ行かずとも全てのお参りが出来るとのことで、中に入ってお参りしておくべきだったと今気付きました(^^;
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御本尊の十一面観世音菩薩様は別名『いねむり観音』とも呼ばれているそうで、観音霊場を決める観音さんの集まりにあろうことか遅れてしまい、時すでに遅し。

三十三ヶ所はもう決まってしまった後だった、というオチ(笑)

何ともお茶目な観音様です(^^)

 

お堂の裏手に飯盛山への登山口がありました。
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こちらは本堂向かって右手側のお堂。

【江口の君堂】
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平安時代白拍子の方のお堂で、十一面観世音菩薩様に病を治していただいたお礼に、野崎観音さんを再興されたのだそう。f:id:roy-7303-pkbs:20220507114007j:image

女性のあらゆる願いを叶えて下さる、とても懐の深い方のようです。

 

そのお堂のちょうど裏側に木の彫り物がありました。
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像にどなたか、神様でしょうか、が乗られているように見えます。

 

江口の君堂の奥にもお堂がりました。

【らかん堂・十六羅漢像】
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羅漢とはお釈迦様の高弟16人だそうで、中に入ってお参りさせて頂きましたがなかなか迫力のある方々ばかりでした。

 

野崎観音の十六羅漢は、江戸時代から、

 

「のざきかんのん十六羅漢、うちの親父は働かん」

 

と子どもの遊び唄にまで親しまれてきたとHPにあり、関西弁と相性よろしな面白い唄やな、と(笑)

 

そのらかん堂の右手には、神変大菩薩役行者の石像。
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生駒山系は役行者さんからしたらお庭のような場所。

飯盛山でも修行をされていたのでしょうか。

 

【薬師堂】
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その側にあった歌に目が留まりました。
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『合掌の 指にあかりが しかとある』

 

手を合わせるたびに感じます。

 

薬師堂の下を見下ろすと池があり、この日はなかなかな夏日。
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池では鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。

その側のベンチで、アッつい紅茶を飲む私。f:id:roy-7303-pkbs:20220507114013j:image

アッついわ(笑)

 

頂いた御朱印

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御朱印をいだたいている間、気になっていた葵の紋について寺務所の方にお話しを伺いました。

葵が三つに丸紋は『丸に立ち葵』といって、徳川四天王の本多家の家紋。

昔、本多家が野崎観音からほど近い香里園の地(成田山不動尊のある土地です)を訪れていたようで(大坂夏の陣、冬の陣の道中でしょうか?)、その際、そのまま紋がその地に残り野崎観音へと受け継がれて今に至るということでした。

ちょっとうろ覚えな箇所もありますので、話しの多少の違いはあるかもしれませんが、『丸に立ち葵』が徳川家四天王の本多家の家紋ということだけは、バッチリ覚えております。

 

ここからは気になって、自宅で調べた知識。

徳川四天王の話しが出れば、気になるのは徳川家。

調べてみたところ、徳川家の家紋は『三つ葉葵』

四天王といえども、一家臣にしか過ぎなかった本多家が葵の紋を使うことが出来たのは、異例中の異例だそうで、戦国武将や戦国時代に全く興味のない私ですが、こうして背景が分かっていくと何事も楽しいものですね。

 

葵といえば二葉葵の上賀茂神社下鴨神社くらいの知識しかありませんでしたが、また一つ勉強になりました。

 

そんな中、たまたま気になったお寺を調べていたら、そのすぐそばに本田家のお墓。

繋がる時はどんどん繋がります。

 

行きたいところはどんどん出てきますが、残念ながら私の身体はたった一つ。

ご縁があれば行けるのでしょう。

 

さて、ここからどちらへ向かおうかとGoogleマップを見たところ、南條とくればやはり北條がありました。

 

つづきます。

【大阪/四條畷市】楠木正行公の御墓、小楠公御墓と楠木

坂道を上った後のご褒美。

下り坂。

あっという間に平地にある小楠木公御墓へ到着。

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後ろを振り返ると正面に見える飯盛山の麓に四条畷神社。

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四条畷神社の参道のスタート地点にある小楠公御墓。

 

この場に立った瞬間、目の前に広がる木々の樹勢に否応なしに高まる興奮。

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こんなにも立派な木を見せられたら、もう声も出ません。
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周りを囲む木もこの樹勢。
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根元はもちろん元気。
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それでも中の楠木と比べると、もう比較する事すら無用なこの佇まい。
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ここからは様々な角度からの木との対話。

と言えば聞こえが良いですが、私の病気が発生(笑)
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ぐるりと一周して、よく見て見ると根元に石がありました。
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石(岩)と木のセットは私が勝手に呼んでいるエネルギー循環装置。f:id:roy-7303-pkbs:20220424224941j:image

 

楠公御墓の楠を見ていて感じたことは、以前お参りに行った門真市にある三島神社の楠、薫蓋樟。

shironpton.hatenablog.com

 

薫蓋樟がある三島神社門真市

楠公御墓のある四条畷市とはお隣さん。

この辺りには立派な楠が学校の校庭の端やお墓の敷地内などにもあり、名もなき木にも関わらずそれはそれはとても素晴らしい木が沢山あります。

 

三島神社の薫蓋樟は樹齢1,000年とあり、当時日本は平安時代

その当時からこの地に生き、日本の歴史と共にあったと思うと、何とも言えない気分になります。

 

境内には楠木親子を歌にしたものがありました。

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下段の『青葉茂れる桜井の』の桜井は西国街道の桜井駅。

ただし現在桜井駅はなく、その跡地にJR島本駅が出来ています。

その島本駅前にも楠木父子の石像がありますが、この2週間後偶然にも通りかかることとなり、4月から楠木父子にはとてもお世話になっているような感じがします(笑)

 

楠木正成公が御祭神の湊川神社から、御嫡男の楠木正行公の四条畷神社、そして小楠公御墓へと5年を経てようやく点と点が線になり終了かと思えば、まだまだ続くよこの流れ(笑)

ひょんなことから、またしても湊川神社へとお参りさせて頂くことに。

 

偶然はなく、やはり必然。
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翌週訪れた先でも、楠木家と関連する場所を通り、この感覚はちょっと楽しくなりそうな予感です。

【大阪/四條畷市】龍尾寺、とおこり不動尊

竜の漢字が付く名前の息子。

そんな訳で、竜・龍の漢字を見つけたら行かない理由もなく、御机神社すぐそばの龍尾寺へ。

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(坂道で自転車が停めれず最初から倒しておいたの図。)

 

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チョットしたハイキング気分。

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意外と高い場所まで登ってきていたようです。

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龍尾寺の案内書き。
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案内板の内容からすると、諸国を巡って稲作の為に溜め池を作った行基(奈良の東大寺の大仏建立の責任者)がこの地を通りかかり、村人が雨が降らずに困っているのを見て龍王へ一心不乱に祈りを捧げたとのこと。

その甲斐あって、たちまち大粒の雨が大地に降り注ぎ、村人がふと見ると頭と銅と尾の三つにちぎれた龍の姿を発見したそうです。

我が身を割いてまでも村人の願いを聞き遂げた龍。

 

その龍の霊を弔う為に、部位ごとにお寺が建立されたようです。

 

・龍の頭の落ちたところに『龍光寺』(大東市

・胴体の落ちたところに『龍間寺』(大東市

・尾の落ちたところにここ『龍尾寺』(四条畷市

 

案内板そばにある木。

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ここから左に折れた先に龍尾寺。
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所々お地蔵さんがお祀りされており、『オン カカカビ サンマ エイ ソワカ
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ちょっとひょうきんな顔をした龍の顔。
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失礼を承知で言わせて頂くと、息子に似ています。

そして、息子も絵を見るなり『似ている!』と(笑)

 

境内の木々は青々としており、誰もいないこの空間はとても贅沢です。
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人の気配はなかったのですが、ワンコが飼われていました。
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龍尾寺横のお家の方の犬なのかもしれません。

吠えることもなく、大人しくこちらをじっと見ていました。

 

元来た道を戻ります。
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眼下に見えるのは、先程ちょっとムッとした御机神社の前の道。
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早く忘れよう(笑)

 

さて、石階段もあと一つなところで、左からいそいそと出てきたのはトカゲさん。
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お参りに行くと良く出会います。

 

さて、龍尾寺を後にGoogleマップで程近くに見つけたのが今の私の状況にビンゴな文字。

『おこり不動尊

さっき、ムッとしたばかりでのこのご縁(笑)

戒められているような、ありがたい気持ちで手を合わせます。

 

こうして自分の感情に振り回されていては、時間を無駄にします。

私の人生を生きるのは、誰でもなく私。

 

『あの人に、こんなことをされたから怒って当然』

『向こうから先にやってきたんやし、やり返しても当然』

 

これ、全て自分を正当化する為の言い訳(^^;

 

もしそうだったとしても、

 

『その行為に揺さぶられない私でいることは出来ないのか?』

 

出来ると思うのです。

感情の起伏が激しい私には超難問ですが、きっと出来ると思うのです。

 

お参りに行く度にと言っても過言でないほど、色々な感情に向き合わされますが今まで放置していたツケです。

4日に土用の日が開けたからでしょうか、自身の心が少しザワザワしています。

 

さて、あと一カ所。

四条畷神社で目にしたどうしても立ち寄りたい場所へ。

ここからはずっと下り坂!(万歳)

 

つづきます。

 

【大阪/四條畷市】水を感じる御机神社

四条畷神社をあとに、川の流れを辿っていくと目指す神社が見えてきました。

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【御机(みつくえ)神社】

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新緑が気持ちの良い境内です。
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御祭神は素戔嗚尊
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由緒書きに三好長慶の名前。

四条畷神社の側にある飯盛山の城主は三好長慶だったということを今回四条畷神社のお参りで初めて知り、三好長慶といえば我が町高槻にある芥川城跡の城主も三好長慶

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私は戦国時代にめっぽう興味がなく、あまり記憶には無いのですが、三好長慶の名前は確か学校の教科書には載っていなかったような。

それでも信長に先んじた天下人と言われるくらいですから、畿内で相当の勢力を持っていたのだと思われます。

その三好長慶が芥川城の次に拠点を移した飯盛城の鎮護の神様として崇敬されていたのがここ御机神社だそう。

偶然の高槻繋がりで、全く興味のない戦国武将にも少し興味が持てました(笑)

 

拝殿前の狛犬さん。
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口しか見えない(笑)

 

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拝殿右手には

【水神社】水波能売命
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御机神社の境内からにも四条畷神社と同様、飯盛山への登山口がありました。
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入りたくてウズウズしますが、今日は登山の時間はなく気になりつつも境内へ。
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気付けば拝殿を撮っていなかったようで、拝殿裏手にはこのように等間隔に木が3本並んでいました。
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ちょっと面白い光景。

 

拝殿左手に

【藤木社】玉津弁財天
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藤木社で思い出したのが、先日お参りした下鴨神社近くの藤木社の御祭神は瀬織津姫でした。

shironpton.hatenablog.com

 

それにしても、こちらの紅葉の木は青葉の美しいこの時期も良いですが、紅葉の時期はそれはそれは見事なのではないかと思います。

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同じ生駒山系の枚岡神社横の平岡公園も紅葉がとても美しく、秋の時期にまたハイキングがてら訪れてみたいものです。
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御机神社も四条畷神社同様お山にすっぽりと抱かれているかのような心地良さ。

 

こじんまりとした神社でしたが良き神社でした。
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とこのまま気持ちの良いまま次へと向かいたかったのですが、このあと境内を出て自転車に乗ろうと準備をしていると、あろうことか大型車が目の前まで突っ込んできました。

 

私が自転車を止めていた後方に伸びる道を車で上がっていこうとしていたようで、どう見ても地元の方。

挨拶をしても睨んで無視。

『俺様がこの道を通りたいんじゃー!』と、目は口ほどに物を言う(笑)

いるのですね、こういった方が・・・(^^;

 

私の周りにはお見掛けしないタイプの方でしたので、ちょっとビックリしましたが善があるからこその悪。

善だけでは善の概念はいつまでたっても分かりません。

必要悪です。

 

少々面喰いましたが、ここから出てすぐ右手に気になった場所を見つけお次はお寺へ。

 

つづきます。

【大阪/四條畷市】四條畷神社で楠木親子を思う

家族でのお参り頻度が下がってしまったこの一年。

週末は各々すべきことに集中へと時間の過ごし方が変わり、自転車没頭真っ盛りチームの主人と息子に混じって東大阪へ。

 

私は一路気になった神社へとサイクリング。

 

四条畷神社】

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生駒山系の木々はどうしてこうも躍動感あふれる木々ばかりなのでしょうか。
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枚岡神社といい、石切神社といい、玉祖神社といい、素晴らしい木々の出会いが必ずあるようです。

 

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鳥居の手前でちょっとした坂でしたが、こんな景色が見れたらば坂を漕いで来た甲斐があるというもの。
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さて気を取り直して、もう少し階段を歩きます(笑)
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『有孚(ゆうふ)』
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『顒若(じょうぎゃく)』

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とあり、調べてみたところ、易経の一節となるのだそう。

 

「孚=誠ありて、顒若(ぎょうじゃく)たるべし」と読み、その意は、「神前に参る時の澄んだ心は誠があって、非常に厳かである。王は至誠の心と厳粛な態度で臨めば、民は自然と王を尊敬し、仰ぎ観る」

上記引用部分はPDFの為、引用元が貼れませんが『四条畷楠木正公の会』代表 扇谷昭さんの資料より抜粋させて頂きました。

 

四条畷市のお隣東大阪市には易学者でもあった安岡正篤氏の旧宅があり、『有孚顒若』の文字は安岡先生と関係があるのでしょうか。

 

【手水舎】

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手水舎の後ろ手に見える五輪の塔と立派な木。

楠公とだけありますので、御祭神の楠木正行公、そして父君の楠木正成公両者の慰霊碑になるのでしょうか。

 

それにしてもこちらの楠木。どこから見ても惚れ惚れとする佇まい。

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根も立派です。
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手水舎の反対側には摂社。
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後ろの緑豊かな木々は飯盛山

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御祭神は楠木正成公の御嫡男、楠木正行(まさつら)公。
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見ているだけで清々しく感じる拝殿
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手を合わせお参りを終えると、目の前には何やら張り紙が。

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御祭神の楠木正行公のお墓が近くにあるようです。

これは行ってみなければなりません。

 

御祭神の正行公とその父正成公の桜井での決別での場面。
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父正成(大楠公)が、これから向かう湊川での決戦を前に、いかなる時も正当な天皇をお守りせよ、ひいてはそのことが親孝行になると息子の正行(小楠公)を諭した場面。

 

こうして文字を起していても、目頭が熱くなります。

この当時の小楠公は11歳ですから。

息子と同じ年です。

こんな小さな子に、天皇をお守りせよと息子と決別をしなければならなかった大楠公、そして母親のことを思うとやはり涙が止まりません。

今から700年ほども前のことですが、今こうして戦争もなく平和で暮らしていけることのありがたさを、しみじみと感じます。

 

楠公と小楠公の石像はJR島本駅(桜井駅跡)にもあり、そこからこうして導かれるかのように、大楠公のお祀りされている湊川神社、そして芦屋市にある国道2号線沿いの大楠公戦跡碑、その5年後に小楠公のお祀りされている四条畷神社へとお参りに来るとは、何とも感慨深いです。

 

楠公戦跡碑には、結弦羽神社への参拝時に偶然目の前を通りました。

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こちらの石像は、母(久子)と子(正行公)。
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父(大楠公)が兵庫で戦死したのを受け、短刀で自害しようとする小楠公に母親(久子)が思いとどまるよう諭されている場面だそうです。

 

その石像のそばに摂社 御妣(みおや)神社
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御祭神は小楠公の母君久子様です。

 

飯盛山に親子が揃って抱かれているような境内です。
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石像のそばには使用されていないようですが井戸がありました。
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さて、ここからは境内を散策。
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摂社御妣(みおや)神社そばの木。
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ポツポツと木が並んでいますが、この木だけがとても元気。
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木々の間から裾野を見渡すと、大阪市内方面が見えました。
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本殿裏手の木々はやはり気になります。
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木と岩。
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境内ですれ違ったのはお一人だけでしたが、この裏手に関しては終始人の気配はありませんでした。
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気持ちの良い場所でしたが。
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御祭神の小楠公のお人柄が分かるエピソードが書かれた案内板。
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一番最後に書かれている赤十字精神に、

 

『逃げ惑う敵兵が極寒の中、川に落ちて溺れているのを助け、傷の手当てを施し、衣食を与えて京都へと返した』

 

とありますが、もうこの最後の時点でまたもや涙腺崩壊。

どこまでも清く正しく美しい、楠木親子。

時代が違えば、家族で楽しく元気で健やかに生を全うすることが出来たのではないかと。

肉体は滅んでも魂は永遠とはよく耳にする言葉ですが、私にもちろん前世の記憶はなく、そもそも前世というものがあるかどうかも分かりませんが、どうぞ生まれ変わって生を謳歌して下さっていることを願ってやみません。

 

かなりおセンチな気分で境内をウロチョロとしておりますが、こうして気になったものはもれなく押さえています(笑)
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四条畷神社の境内に、裏手にある飯森山への登山道の看板を見つけました。

 

登山の予定はなかったので、ちょっと入り口だけの散策。
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いきなりの急坂で、早々に下りてきましたが家族でハイキングの話しが出たらば行ってみようと思います。

良いお山な匂いがプンプンします。

 

何だかんだと坂道漕いで、境内をウロチョロしてちょっと疲れました。

目の前にある大木の下でちょっと休憩。
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根の張りも見事な立派な木。

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木のそばは落ち着きます。
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傍から見たら、帽子にサングラスにフェイスマスクにと完全に怪しいおばさんが一人紅茶を飲んでいるの図ですが(笑)

この木々に囲まれた雰囲気は何とも言えないですね。
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さて左が四条畷神社で頂いた御朱印

右は父君がお祀りされている湊川神社御朱印

並べてビックリ。

1日違いですが、5年越しに親子の対面。

 

だから何だと言ってしまえばそれまでですが、当初は一週間前の16日に参拝予定だった四条畷神社。

 

それがどういう訳かお参りの流れとはならず、そうこうしているうちに携帯電話の充電残量が残りわずかとなり、知らない土地でのGoogleマップ無しは心許なく、そのまま息子の自転車の練習を見ておしまいな16日。

 

結局その一週間後にまた四条畷方面へと向かうのですが、この日は男子チームとはさっさと別れを告げて、一路四条畷神社へと。

 

なんなんでしょうね。

私個人の感想で言うと、ぐるっと一周して戻ってきたような感じがします。

気のせいかもしれませんが(笑)

 

さてこの後は、小楠公のお墓への予定が少し時間に余裕があり、近くの神社へと寄り道。

 

この流れは楽しい(^^)

つづきます。