シロンプトンでパンとお参りと

ブロンプトン(白)でふらりとお参り、そしてパン。

【徳島】大麻比古神社 奥宮登拝 登り

境内から奥宮へと誘う(私にとっては)魅惑の案内板。

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『奥宮峯神社 徒歩90分 山頂まで約二km』

 

週末のサイクリングや日々の散歩で体力には少々自信があったのですが、この案内板を甘く見過ぎていたことがお山に入ってすぐに判明することに。。。

 

ほどなくして右手に『大麻比古神社 神田』の石碑が見えてきました。
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神さまにお供えするお米を作る田んぼですね。

 

桜もまだ残っており、午前中の為日差しもきつくなく鼻歌を歌ったりして楽しく歩いています。
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こんなに素晴らしい木が、どう見ても農道な道の左右にあり、いかにこの地が神域であるかがうかがい知れます。
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そして、さぁ今から登拝のタイミングで右手のこの方。
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鼻血です(笑)

 

大麻比古神社の境内にあった四国のみちはこのお山にも繋がっているようです。
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お山の裾野から山頂目指して2km。

急遽、久々のハイキング。


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山頂へは鳥居をくぐって真っすぐ進まず、左手に伸びる道を登っていきます。
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この日は午前中といえども気温が高く、少し歩いているだけで汗ばむ陽気。
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マスクなんてしていられません(笑)

 

山道の脇に祠を見つけました。
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息子はこういった、人が見過ごしがちなところを見つけるのが得意です。

そして、勉強は不得意です。

親としては『反対であればよいのに』と願わずにはおれませんが、

 

『みんな違って、みんないい』(by 金子みすゞ

 

みんなと同じでいる必要はないのでしょう。

 

あなたはあなたでいい
『私と小鳥と鈴と』

 

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 

 一緒であることは絶対ではないですね。

 

またしても山道脇で祠を見つけて手を合わせる息子。
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私が手を合わせなさいと言わずとも、自分で気になる祠に行き手を合わせている姿を見ると、親は子供に口で教えるよりも、まずは行動が必要なのだと気付かされます。

ついつい、ガミガミ言ってしまいますがね(^^;

 

さて、先を進む冷静沈着チームを見やると、目の前に急斜面の石階段。
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急な石階段を登り切っただけあって随分と高い場所まで上がってきましたが、まだ山頂ではなく、徐々に言葉少なになっていく一同(笑)
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まさかハイキングになろうとは思っても見なかったので、この時点で全員の飲料水が無くなってしまい、ちょっとパニック。
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そんなタイミングで奇跡のような案内板を発見!
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真っすぐ進めば参道。

右手に逸れれば真名井の水。

 

ネットで調べたところ、山頂へは遠くなってしまうものの飲める水があるとのことで、すでに全員疲労困憊ですがお水を求めて参道から逸れることに決定。
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水分が無い上に、この日差し。
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家族全員気合いで歩くの図。

 

参道ルートとは打って変わって、真名井の水へのコースは道が狭くただひたすら歩くのみ。
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なんだかそれっぽいところに着いたような。。。
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恵みの水!
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ありがたい気持ちで、一人ずつ手にしたボトルにお水を頂きます。

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こんなにもお水がありがたいと思ったことは思い返してもここ最近では思い当たらず、水道の蛇口をひねればいつでもきれいなお水が出ることが当たり前ではなということに気付かされます。

 

その思いは家族全員一緒であったようで、口々に『ありがたいね~。』『美味しいね~。』とお水だけでとても幸せな気分。


お水の出ている周りには石碑が置かれていました。
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そばには比較的新しい祠。
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見たところ、お世話をされている方がいるような感じです。

この山道を上ってお世話をされに来ているというだけで、ただただ尊敬です。

 

お水が湧き出ている場所もあってか、先程までの暑さとは無縁の真名井の水周辺。

お水も美味しく、いつも頂いている水無瀬神宮のお水とは違ってサラッとしているとは娘。

いつの間にか、水の違いまで分かるようになっていたことにビックリ。

 

日々、当たり前のように美味しいお水が頂ける生活をしていますが、やはりありがたいことだと改めて思いました。

 

さて、お水を飲んで見るからに元気になった家族一同。

ここからは山頂を目指してまた歩きます。

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鳥居をくぐる時は一礼も当たり前のように出来るようになりました。
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山道の標識が見えてきました。
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お水を飲んでエネルギーチャージ、参道の標識を見つけて気分も前向きに、こうやって少し周りの木々を見る余裕も出てきました(笑)
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こちらの木は、倒れた木から直立にまた新たな生命(木)の誕生です。
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この木に至ってはどういうことなのか分からないのですが、標識を包み込むかのように木の幹が空洞になっていました。
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やっと九合目の標識!
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鳥居が見えてきました。
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取り換えられたばかりであろう前掛けの狛犬さん。
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最後の最後まで石階段(笑)
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手水舎の石に『明治三拾五年』と彫られています。
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もう100年も前の手水舎ですね。

 

大麻比古神社の奥宮【峯神社】
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【御祭神】津咋見神(つくいみのかみ)

古語拾遺』に、天照大御神が天岩屋に隠れた時、天日鷲神とともに穀(かじ)の木を植えて白和幣(木綿)を作った神。

 

【出典元:津咋見神:玄松子の祭神記

 

天日鷲神忌部氏の祖先で、大麻比古神社の御祭神である大麻比古大神(阿波忌部氏の祖)のお父上。

 

津咋見神は木綿を作った神様。

大麻比古大神からは読んで字のごとく大麻が連想され、日本の神道、戦前の日本の生活には無くてはならない大麻

大麻比古神社の名前をGoogleマップで発見した時に、大麻と言う名前を冠していることから日本神道にとても深い繋がりがある一帯なのではないのかと。

 

以前、大麻のお飾りを作るWSで聞いた話の中で、確か大嘗祭で神座にお祀りされる「麁服(あらたえ)」は確か大麻ではなかったであろうかと今ふと思い出し、

tonjil.hatenablog.com

kidoki-123-kimono.hatenablog.com

 

調べてみたところ繋がりました!

www.topics.or.jp

 

徳島と言えば阿波踊りと阿波しじら。

阿波しじらといえば木綿。

 

木綿を作った神様は、峯神社の御祭神である津咋見神と忌部氏の祖先の天日鷲神

そして、皇室に献上してい麁服(あらたえ)は日本神道と深い繋がりがある大麻

その大麻を連想させる大麻山の山頂に峯神社。

 

・・・う~ん。

色々と点が出てきた感じはしますが、点と点が直線になって繋がりそうになくこの辺で断念。

 

さて、拝殿の裏手に回ってみます。
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そばに立派な木が一本。
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立派な木が横たわったそばには祠がひっそりと。

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祠の側に木が切り倒された形跡があることから、この木の祠だったのかもしれません。

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奥に進むとまたしても木の側に祠がありました。
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拝殿周りの木々はとても気持ちの良い一帯。
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のんびりしていたい気持ちもありますが、予想外のハイキングでのんびりしている時間もなく。

 

大麻山の山頂は538m

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ここから下山です。

 

つづきます。

【徳島】大麻比古神社 御神木

4月上旬。

キャンピングカーに揺られ着いた先は、本州ではなく瀬戸内海に浮かぶ島。

四国。 

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旅の予定は立てておらず、とりあえずサイクリングが出来れば良いかと、ふと目にした神社が気になりました。
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神社の後方にそびえるお山。

その手前には、神社の無料駐車場1000台分の広大な敷地。

 

正面ではなく、またしても裏参道から。
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境内に入るや否や目にした光景で、すでにこちらの神社の木に出会えたことが嬉しくなる木々達。
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先程のコンクリートで敷き詰められた駐車場と同じく足場はコンクリート

そのコンクリートを突き破らんばかりの樹勢のある木々。

 

【境内図】
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こちらが表参道。
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狛犬さんは、前掛けもマスクも炭治郎
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こちらの狛犬さんは、じっと座っているタイプではないようです。
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【手水舎】
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後方の木の佇まいに惚れ惚れしてしまいます。

 

手水舎の反対側には神馬舎。

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そして正面を見ると、この存在感のある御神木。
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早くご神木に近付きたいのに、なんだか面白いものを発見してついつい撮ってしまいました(笑)
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ここからは御神木と戯れるの図。
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一心不乱に御神木を撮っている側で『これが可愛いから絶対撮って!』と譲らない息子。
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ふくろうさん(笑)

 

御神木ですでにお腹いっぱいな気分ですが、拝殿へと向かいます。
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【御祭神】大麻比古大神、猿田彦大神

 

大麻比古大神とは?

 

大麻比古大神とは、大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。
神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。
その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。この神社が今徳島市忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。
忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。

 

【出典元:Q&A - 大麻比古神社

 

忌部氏のお名前が出てきました。

忌部氏といえば、古代朝廷で祭祀を執り行っていた氏族。

同じく祭祀を担当していた氏族で忘れてならないのが天児屋根命を祖神とする藤原氏

ただ、私が知っているのはこの程度の知識^^;

 

拝殿手前のこの狛犬さん。

見た瞬間、家族全員がとりこになりました。
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この何とも言えない前脚と『ウシシッ』と少し悪巧みな表情(笑)
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対の狛犬さん。
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拝殿右手に奥に回れそうな道を見つけて進んでみることに。
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拝殿の右奥に【豊受社】
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その左手に【山神社】
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本殿の真後ろはお参りが出来るようになっていました。
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本殿の裏手を通り過ぎると【中宮社】
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めがね橋の案内に従って先を進みます。
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小さな石橋が見えてきました。
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ドイツ兵の俘虜が造った石橋とあり、なぜ神社の境内に?

 

境内にはもう一つ、ドイツ兵の俘虜が作ったドイツ橋があり、どちらもドイツ兵が帰国の際、記念にと造られた代物だそうです。

 

下記、ドイツ橋に関するWikipediaの記載内容です。

以前は木橋であったが、この地に第一次世界大戦の捕虜として収監されたドイツ人たちによって造られた。

ドイツ帝国租借地であった青島において捕虜となったドイツ兵の一部は、大麻比古神社の約2km南にあった板東俘虜収容所に収監されていた。当時、大麻比古神社境内はドイツ人捕虜たちの散策に利用されていたが、板東俘虜収容所における捕虜への対応が人道的かつ寛大で友好的であるうえ、地域住民との交流も積極的に行われたことから、彼らが帰国する際に記念として築造を提案した

1919年(大正8年)4月初旬に着工し、同年6月末に完成した。橋の材料は和泉砂岩で、アーチの形式はローマ式の半円形で馬蹄形の石築アーチ橋となっている。内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンになる。

2004年(平成16年)1月30日に徳島県文化財史跡に指定された。現在は保存のため、橋の上の通行はできなくなっている。

神社の境内にはこれとは別に、ドイツ人捕虜が造成した池があり、この池にも捕虜の建造した小さな石造りの2連アーチ橋がかかっている。こちらには「めがね橋」という愛称が付けられており、現在も通行は可能である。

 

【出典元:ドイツ橋 - Wikipedia

 

神社の境内には、めがね橋とドイツ橋に関する案内板があり、読んでいるだけで胸がジーンと熱くなりました。

 

地元の方はドイツ兵の俘虜に対して『ドイツさん』と親しみを込めて呼ばれていたそうです。

そして、そんな交流が可能となったのは、ドイツ兵俘虜が収容されていた坂東捕虜収容所の松江所長のドイツ兵俘虜に対する人道的な対応。

 

地元民とドイツ兵俘虜を交流させた以外にも、夏の暑い日には俘虜たちに川遊びをさせたそうで、それを上層部から咎められた際、『川に落ちてしまった。』と何ともユニークな返答をされたらしく、捕虜収容所の暗いイメージからは程遠い松江所長のお人柄。

 

色々想像するだけで、その優しさを感じることが出来、今でも思い出すだけでジーンとしてしまいます。

 

参拝の翌日、大麻比古神社の近くのドイツ館へ立ち寄ったところ、お土産屋さんと同じフロアに当時のことが詳しくパネルで紹介されていました。

まるで大人の社会科見学のよう(^^)

 

さてさて境内に戻りまして、こちらはめがね橋の池に流れ込む水源。
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水量、水質、そして境内の木々達。

こんな立派な境内であるからには、お山もそれはそれは素晴らしいに違いありません。

 

ふと目に着いた二股の木。
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 根元が素晴らしく

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ちょっと楽しくなってきてしまって、息子と二人木を巡る探検。
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この反りっぷりに目が釘付けでした。

 

こんな道を見つけたら歩かないわけにはいかず、
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息子と私でテンションが上がってしまい、
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ずんずんと奥に進んでしまったところ、反対側の遠くに見えるは私と息子とは打って変わって冷静な主人と娘の二人組。
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境内の森が生き生きとしています。
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楽しくなってどんどん参拝ルートから外れてしまい、ひとまず元のルートに戻って来ました(^^;
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この楽しかった道は『四国のみち』と言うのだそう。
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何でも知らないことや分からないことが気になる性分で、調べてみました。

四国のみち(四国自然歩道)は全長1545.6kmの長距離自然歩道です。

起点は徳島県鳴門市、終点は徳島県板野郡板野町四国霊場や、各地に点在する身近な自然や歴史に親しみながら、歩いて四国を一周することができます愛媛県内の四国のみち(四国自然歩道)は、大小の島々が浮かぶ瀬戸内海、複雑な海岸線を有する宇和海四国カルストの美しい自然や、へんろ道、旧街道、神社仏閣の歴史・文化に触れながら歩く、全部で33コース、総延長362.5kmです。

【出典元:四国のみち ガイド

 

四国のみちは全長1545.6kmという途方もない距離!

その一部、数十メートルを踏破しました(笑)

 

先を進むとまたもや面白い一画が。
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藤棚と岩が鬼滅の刃を連想させるワンショット。

そして藤の花から連想されるのは、下り藤紋の藤原氏

忌部氏の祖神がお祀りされている神社の境内で、宿敵の藤原氏を彷彿とさせる藤棚。

過去の因縁は既に解かれ、和解されているのでしょうか。

 

藤は藤色、紫色とばかり思っていましたがこちらの藤は口紅藤とあり、淡い紅色のようです。


先に進むと、ドイツ橋の案内板が見えてきました。
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ドイツ兵俘虜の日本への友好の証としての石橋。
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ドイツ橋を後に、目の前に朱色の鳥居が見えてきました。
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階段を上がった先には、左手に【丸山稲荷社】

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右手に【丸山神社】
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丸山稲荷社から後方を見るとご覧の通り。
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直線状に丸山神社。
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参道の頭上には桜
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丸山エリアから降りてきたところで面白い木を発見。
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先を見ると気になる道があり、息子と私は行く気満々。

それに対して、冷静沈着チームは『案内板もないし、行っても何もないやろ』とつれない返答。
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何もなくても行きたいだけなのですが、ここは息子と二人我慢することにしました。

 

その近くに、八大龍王神社があり龍繋がりで息子はお参り。
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来た道を戻り、拝殿近くの奥宮遥拝所まで戻ってきました。
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奥宮遥拝所があるということは、後方のお山が奥宮。

行ってみたい!


案内板によると、山頂までは2kmということで、『2kmくらいなら。』の安易な気持ちで登拝を決めましたが、これがあとでエライコッチャな事になろうとは・・・。

つづきます。

 

【京都】武信稲荷神社、三本鳥居に御神木

四条通りから北上して、三条通りの手前にある神社へとやって来ました。

 

【武信稲荷神社】

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真っ先に気になったのが、右手にある大きな木。
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気になりつつも、まずは境内へ。
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連なった鳥居をくぐるにつれ少し緊張。
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鳥居ごとに左右に狛狐さんいる中を通る緊張感。

 

最後の狛狐さんが、一番緊張しました。
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とても立派なのですが、地震の影響でしょうか所々破損しており、台座もご覧の通り傾いてしまっています。

 

さらには、右手の狛狐さんに関しては姿が見えません。
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ちょっと見え辛いかもしれませんが、右手にアマビエ様のカラフルな絵が飾られていました。

『疫病退散』

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その右手には、『防菌加工済』の立札がある手水舎。

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アマビエ様に、防菌加工済のひしゃくに、一年前には想像も出来なかった姿。

 

さて、私をほってスタコラサッサと先を急ぐ息子。

逸る気持ちは私も一緒。良く分かります。(笑)
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拝殿よりも何よりも左手の木に家族一堂目が釘付けでした。

そして、案の定というかお参りより先に木に吸い寄せられていく私、息子、そして主人。

 

木の周りの石の柵はいずれ不要になるのかもしれません。

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凄いとしか言いようがない根の力。

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そして、この木には坂本龍馬の『龍』と言う文字が彫られていたそうで、当時命を狙われていた坂本龍馬がのちに奥さんとなるおりょうさんに、自身が存命である印にと自分の名前の一文字の『龍』を彫ったと言い伝えられているそうです。

 

御神木の手前に、チェーンソー作家の城所ケイジさんがエノキから彫り出した龍が安置されていました。
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城所ケイジさんといえば、京都府山科区の牛尾山中の法厳寺でも木から彫り出された龍を拝見しました。

shironpton.hatenablog.com

 

あれからたった三ヵ月しか経っていないといった方が正しいのか、それとももう三ヵ月も経ったというべきなのか、時間の流れが曖昧な感じがします(^^;

 

さて、ここからはひたすら御神木との時間。
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反対側に回ると、御神木を拝むための祠がありました。
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神社にお参りに行くたびに、そして木に出会うたびに、自分のちっぽけさが身に沁み、そして自分が出来ることなんてたかが知れていると思い知らされ、でもだからこそ出来る範囲のことをキチンとしようと身が引き締まります。
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存在しているだけで神々しい。

 

こちらはにその御神木そばにあった伏見稲荷遥拝所。
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拝殿の裏手には摂社がズラリと。
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こちらは以前使用されていた瓦なのでしょうか。

一画に安置されていました。

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拝殿の右手から鳥居を見た景色。

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息子が境内を歩きながらしきりに、『自分の家の庭に神社があるみたいな感じ♪』と居心地が良いのか妙に楽しそうでした。

ちなみに我が家の庭はこんなに広大ではありません(笑)

 

それにしても息子が感じるのも頷ける、おばあちゃんの家に来たような何とも懐かしい感じのする境内。
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さて、拝殿周りを木に導かれるかのようにぐるりと時計回りに、やっと拝殿でお参りです。

 

狛犬さん。

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拝殿

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社務所前には【白蛇大辨財天】
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白蛇大辨財天の右横にある立札に一寸法師とあります。
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武士になるために、お椀の船で京へやってきた一寸法師が住み込みで奉公させてもらうことになるのが歌にある「京は三条の大臣殿」の屋敷であり、三条の大臣殿とは西三条大臣といわれる、武信稲荷神社を創祀した藤原良相公その人である
武信稲荷神社は藤原大臣の屋敷、藤原氏の学問所のあったところで、一寸法師が暮らした物語の舞台になった場所である。

小人から立派な大男になった一寸法師のように子供が大きく立派に育つように、また打ち出の小槌で金銀財宝を打ち出して末永く繁栄したことにあやかって、金運・開運・出世が叶うといわれ、願う人が後を絶たない。

 

【出典元:一寸法師がくらした武信神社

 

お参りしている際は、一寸法師が住まわれていた場所が武信稲荷神社だなんてことは全く知らず、まさか坂本龍馬繋がりで一寸法師のおとぎ話にまで繋がろうとは。

 

さて、その一寸法師の立札の後ろ手に、境内に入る前に気になっていた木がありました。
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【起上大明神】
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地元では『大黒さん』と呼ばれているようで、大黒様がお祀りされているそうです。
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これは先程見た御神木と対になるのでは?

 

根拠も何もありませんが、ふとそう感じました。

お昼ご飯を食べた西寺址にあった二本の木と同じ感じがします。

shironpton.hatenablog.com

 

帰り際、神社の全景を撮ろうと少し離れた位置でパチリ。f:id:roy-7303-pkbs:20210327184622j:image

今更ですが三つ鳥居?

鳥居が三つ横に並んでいます。

 

三つ鳥居は中心の鳥居の足にあたる部分を左右の鳥居の足として共有するので、三つの鳥居が個別に並んでいるのでは三つ鳥居ではないのかもしれませんが。

 

三つ鳥居で思い浮かぶのは、以前お参りした坐摩神社、そして大神神社

shironpton.hatenablog.com

 

shironpton.hatenablog.com

 

どちらの神社も去年の春先でのお参り。

あれから一年。

世の中は大きく変わり、本当に必要なものは何なのか、以前に増してより深く考えるようになりました。

 

必要だと思い込んでいるモノ。

変わりたくないから、必要だとしているコト。

 

思わぬところで、自分の思考の癖や変わりたくないと必死に抗っている自分と対面することになりました。

 

まだまだ、どんどん変わっていけそうな気がします。

以前は変わることが怖かったのですが、今は楽しみですらあります(^^)

 

「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」

 

祓い清め、余分なもの(エゴ)を削ぎ落した先に何があるのか。

お参りを続けることが、日々の生活での気付きになっているような気がします。

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【京都】梛神社(元祇園)で自転車お守り

さて、鎌達稲荷神社をあとに竜と坂本龍馬に関係する神社に行く予定が、何だか見覚えのある通りに差し掛かり、目にした神社は以前気になりつつもタイムアウトでお参り出来なかった神社。

 

【元祇園梛神社

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こちらの神社は、以前西院野々宮神社の御朱印を頂きに今宮神社から走っていた際に通り過ぎた神社です。

shironpton.hatenablog.com

 

そりゃ、目の前を通ったら通り過ぎるわけにも行かず、これも何かのご縁。

お参りに立ち寄らせて頂きました。
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【御祭神】素戔嗚尊神を主祭神とし、宇賀御魂御命、伊弉冉命を配祀

 

御供石の立札がありますが、一体どこにあるのかと奥を覗いてみると

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ありました!

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根元の木の根といい、ちょっとすごいエリア。

大々的に宣伝というのか、表示されていないので見過ごしてしまいそうですが、側にある木の根といい、一見の価値ありです。

 

その御供石、自動センサーの手水舎からも確認できますが、側に立札が無い為、手水舎だけの利用であれば気付かない方がほとんどかもしれません。

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(手水舎後方に注連縄がかかった御供石)

 

境内には年季を感じさせる狛犬さん。

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一瞬目の錯覚かと思う拝殿。

横に広く、左右対称のような形ですが、良く見ると屋根の部分が異なります。
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こちらの拝殿、左右で分かれており、左手は素戔嗚尊がお祀りされている元祇園梛神社
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そもそも、なぜ元祇園神社と呼ばれているのか気になり、調べてみました。

 

社伝では、貞観11年(869年)3月朔日に京での疫病流行により播磨国広峰(広峰神社)から牛頭天王素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのが創祀という。

その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという。

 【出典元:梛神社 - Wikipedia

 

八坂神社に元祇園社があったとは、初めて知りました。

元伊勢、元出雲、元春日、そして先程お参りした鎌達稲荷神社は元稲荷。

そして、ここ梛神社は元祇園

 

神社へ行くことが観光ではなく、お参りを主目的とするようになってから同じ神社への参拝でも気付くことが沢山あり、こうやって神社のルーツを辿っていくこともとても面白く、勉強になります。

見渡せば学ぶべきことは沢山あり、自分が学びたい事は学校の勉強とは違った面白さがあり、一生を通して学び続けたいと改めて思います。

 

右手は隼神社。
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【御祭神】武甕槌神(隼大神)を主神として、経津主神塩土神、手力男神が配神
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こちらのお社は力強い神様の面々。

 

拝殿以外に、境内には摂社が二社ありました。

 

【川上稲荷社】
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地主神の【田中神社】
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北側の鳥居から参拝しましたが、東側にも鳥居がありこちらにも狛犬さん。

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東側の鳥居から入ると、ちょうど正面に拝殿となります。

日の出が射す位置に拝殿ですね。

その拝殿左手にあたる社務所の一帯はとても清々しい空間でした。
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そんな清々しい社務所の前には、こんなに可愛い手水舎があるのです。
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ガーコのお風呂みたい(笑)

 

そして、ビックリしたことに御朱印の数がビックリするくらいに多く、見ているだけで楽しいエリアです。
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他にもまだまだありましたが、さんざん見はするものの結局いつも最初にお願いする御朱印はシンプルな昔からある御朱印です。

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そして、先程の鎌達稲荷神社と同様、こんなところにこんなお守り!

自転車バカ好きな息子に最適な自転車お守り。
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緑は残り一つで、緑好きな息子。

これは買わなきゃいかんでしょと息子と即決。

ふらりと立ち寄った梛神社でしたが、とても良いご縁でした。

 

そして、今調べていて初めて知りましたが、こちらの梛神社の御神木の梛の木は、葉の葉脈が引っ張っても切れにくく丈夫なことから

 

『縁が切れない』

『ご縁を結ぶ』

 

とご縁繋がりのご神徳があるようです。

 

梛神社の目の前は交通量の多い四条通り。
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そんな交通量の多さも忘れてしまう境内は、木が境内を護っているのが一目瞭然なご神域。
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さて、お次こそは竜と坂本龍馬に関係のある神社へ。

つづきます。

 

【京都】鎌達稲荷神社(元稲荷)でサムハラ神社のお守り

この日は空がとても素晴らしく、『今日はきっと何か良いことがあるはず❤』と息子と話しながらの週末サイクリング。

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桂川沿いを京都に向けて走ります。
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途中、いつも休憩する場所で一服。

 

ちょうど一年前、伏見稲荷大社へのお参りにこの場所でお昼ご飯を食べていたことをブログを見返して気付きました。

shironpton.hatenablog.com

 

当時は家族4人でしたが、今回は3人。

あれから状況は変わり娘は毎週1人滋賀県へ。

一年前が遠い日のことのような、ついこの間の日のことのような、何とも不思議な感覚です。

 

さて、毎度のことながら川沿いサイクリングはただひたすら走りたい息子へのお付き合い。

そのサイクリングの道中に、私がふと気になった神社に誘導(笑)

さてどこに向かおうかとGoogleマップと相談。

気になった神社を見つけました。

 

【鎌達(けんたつ)稲荷神社】
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鳥居の正面に社務所
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手水舎周りの苔が綺麗でした。
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その左手に拝殿。
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更にその左手に稲荷神社。
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こちらは拝殿右手。
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石碑手前に切り株があり、たいそう立派な木があったのではなかろうかと思います。
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社務所は開いておらず、お守りやお札は無人販売

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『ん??』

 

やたらと目立つ黄色い箇所。

よくみると、サムハラとあります!

 

稲荷神社でサムハラ。

大阪のサムハラ神社ではなく、京都のそれも稲荷神社でサムハラ。

 

大阪のサムハラ神社には一度付近まで行きましたが、恐ろしい長蛇の列。

少し並んでみたものの、遅々として進まない行列に迫る子供達の下校時刻。

結局断念して、以降ご縁がないのか一度もお参りに行くことはなく、そんな中こんなところでお守りに出会ってしまいました。
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サムハラ神社のお守りの欄をよく読んでみると、奇跡を招く呪符(呪いのお守り)とあります。

ちょうど前日、娘が今の娘にとっては無謀な挑戦をしようと新たなスタートを切ったばかり。

これも何かのご縁。

それこそ、奇跡が起きなければ今の娘にとってはとても難しい挑戦です。

私ばかりがジャラジャラとお守りばかりを持っていても仕方ありません。

せっかくなので娘へと頂いていくことに。

 

サムハラ神社のお守りと、御朱印を頂いて帰りました。


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良く見れば引き出しの上段に由緒書きもありますね。

一緒に頂いてくれば良かったです。


ちなみに、お代はお賽銭箱に入れるシステムで、こんなことが当たり前のように出来るのは『お天道様が見ているで。』と小さい頃から言い聞かされてきた日本ならではなかろうかと。

 

さて、思わぬところで思わぬ出会いがあり、行きの車で息子と『今日は何か良い事があるかも❤』が早速叶ったスタート。

 

お腹も空いてきたので、神社の横にある公園でお昼にすることにしました。
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鎌達稲荷神社へお参りする前に、自転車で通りとっても気になっていた公園。

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石碑には【史跡西寺址】とあります。
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西寺とくれば東寺?

 

調べてみたところ、平安京遷都の際、羅生門を挟んで対になる形で西寺と東寺が建立されたそう。

 

かたや、未だ現役の東寺。

それにに引き換え西寺は建造物はおろか、お寺と分かるものは皆無。

 

ただし、遠目から見て目わかる2本の木の存在感が何かを感じさせる場所。
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ここからは、またしても『木と戯れる』の図です(笑)
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木の根元に座って、おにぎりを食べながらの景色。
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早々におにぎりを食べ終えた息子。

サイクリングのお供にと持ってきていたお菓子を鳩にあげ、気付けば鳩に囲まれていました(笑)

推定50匹はいるであろう鳩に囲まれた後、一匹だけ様子の違う子を主人が見つけました。
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この子だけは、食べ終わった後すぐさま木に飛び乗り休憩。

片足を悪くしていて、エサの争奪戦も一苦労のようでした。
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さてさてお腹も満たされ、まだ時間はあります。

 

お次は、竜と坂本龍馬が好きな息子にピッタリの神社を見つけ、ここから4キロ程北へとサイクリング。
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つづきます。

【京都】久我神社(伏見区)の御神木 楠

前回ふらりと訪れた京都市北区の久我(くが)神社。

shironpton.hatenablog.com

 

同じ漢字。

でも読みが違う久我(こが)神社の存在を神足神社の参拝で知りお参りです。

shironpton.hatenablog.com

 

 【久我(こが)神社】伏見区

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鳥居前に着いた時から、なんだかソワソワ。

良い出会いのような予感がします。
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参道を真っすぐ歩いていくと先には割拝殿。

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【御祭神】

・建角身命(下鴨神社の御祭神。別雷命の祖父)
玉依比売命下鴨神社の御祭神)
・別雷命(上賀茂神社の御祭神。玉依比売命の息子)

 

御祭神は北区にある久我(くが)神社と全く同じ三柱。

 

割拝殿を抜けた先には狛犬さん


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拝殿左手に摂社

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石碑
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拝殿左手の奥にお社がみえます。
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拝殿をぐるりと回って右手にも摂社。
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頭上には空を覆いつくさんばかりの木。
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拝殿を一周回って割拝殿から見た参道。
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そして、その割拝殿の右手前に境内に入ってから、ずっと気になっていたご神木。
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ビックリするほどエネルギッシュで、拝殿でのお参りもそこそこに、毎度のことながらここからは御神木の撮影会(笑)
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足元の椿が彩りを添えて、それはそれは素敵な一画。
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未だに木の判別が曖昧で、こちらの御神木は楠になるのだそう。
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御神木の側にあった由緒書き。

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こちらの一画はちょっと気になったエリア。
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そして、こちらがご神木の全景図。
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境内に入ってからずっと気になっていたのは、風。

鳥居をくぐってから、それはもう風がビュービュー、木々はワサワサととても賑やか。鈍感な私ですら、そしていわゆるスピリチュアルや神様などの見えない世界に全く興味がない主人ですらも、『ん?なんかいらっしゃいって言われてる?』と感じる歓待ぶり。

自惚れとかではなく『よう来た、よう来たー。』をヒシヒシと感じました。

 

といっても、特に話せるだとか聞こえるだとか見えるだとかの能力は皆無なので、あくまでも私の体感レベルなのですが(^^;
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参道を帰る方向に歩きながら、ふと森大明神と言われていた頃は参道の左右は鎮守の森で、それはそれはとても深い緑に包まれた空間だったのではなかろうかと想像を巡らせ、でも現実は鎮守の森は削られ民家が立ち並ぶ様は仕方がなかったのでしょうが、鎮守の森にお社を造るのも人間であれば、鎮守の森を伐採するのも人間かと思うとやるせなくなりました。

 

人間の都合で、いかようにも変化させられる環境。

それでも木々や地球は怒ることもなく、ただその状況を受け入れていくのみという図式が、なんとももどかしく。

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御神木以外にもこんなに立派な木が参道脇に。
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この辺りは地震か台風の影響でしょうか。

立派な木が伐採されていました。
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そんな中、目を惹いたこちらの三位一体の木。
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鎮守の森の番人のようです。

 

こちらは鳥居手前にお祀りされていた歯神社(はがみやしろ)。
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歯神社にお祀りされているのは、神足神社にお祀りされているのと同じく天神立命(あめのかむだちのみこと)。

賀茂氏の前にこの地を支配していた久我氏の氏神様。

饒速日命とともに天孫降臨した神様だそう。

 

現在、久我神社の御祭神は賀茂氏の神様の三柱ですが、賀茂氏が来るまではこちらの歯神社にお祀りされている天神立命がお祀りされていたのかもしれません。

それにしても、鳥居の手前にお祀りとは。

力関係を見せつけられているような感じがしました(^^;

 

そんな鳥居手前の歯神社ですが、お参りしている際はそれこそ詳細も何も知らずひたすらその場を感じているだけ。

そばにそれはそれはパワフルな木が一本。
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これでもかといわんばかりに頭上に伸びている様はとても力強く感じました。
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こじんまりとした久我神社。

神社の規模からはみ出んばかりの御神木のエネルギーは凄まじく、あまりの素晴らしさに気付けば涙が出ていました。

 

いやはや、久我神社の名前繋がりでふらりとお参りに行きましたが、とてもよき神社でした。

 

帰りは近くにあったパン屋さんでお昼ご飯を調達。
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パンはハードが好きなのですが、間に入ったバターは苦手なものの、購入してみましたがやはり苦手でした(笑)
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足元を見るとテントウムシ
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こんな姿を見つけるだけで何とも幸せ❤

 

会社員時代は、『もっと!』『更に!!』が合言葉のような今思えば上昇志向の塊でしたが、だからこそ働けていたのも事実で、どちらが良い悪いではなく、自分がどう感じるのかどうか。

見る視点を少し変えるだけで、世界は如何様にも変化する事を思い知らされます。

 

今はテントウムシを見つけて喜べる自分でも良いかと思っていますが、人は変わるものです。

やはり、バリバリ働きたい意欲がいつ顔を出すやもしれません(笑)

 

神社にお参りと言うか、ひたすら自分を客観視することの連続ですが、私には必要な事のようです。

 

今回もとてもよきお参りとなりました。

【大阪/枚方市】加茂健豆美命神社の御手洗社で瀬織津姫

先日の奈良のお参りで、買ったばかりのケータイをよりにもよって石畳に落としてしまい、液晶画面破損・・・。

週明け、早々直しに向った先は枚方市にあるカメラのキタムラiPhone修理センター。

交通手段はもちろん自転車。

直りたてホヤホヤのケータイ片手に着いた先は、Googleマップで気になった神社。

 

【加茂神社】

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鳥居手前、右手に立派な木。
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青い空に広がる枝がとても気持ち良く、
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手水舎の水は出るもののコロナ対策でしょうか。

柄杓はありませんでした。
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【由緒書き】
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所々文字が消えかかっており判読できず、ネットで調べたところ由緒書きが記載されているサイトを見つけ、下記転記です。

 

【御祭神】加茂健豆美(かも・たけつみ)

 

 「当社は、人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清磨呂公、この地を河内の一の宮として、『賀茂の大神』を斎き祭れるがその始めなりという。古き史を繙けば、祭神『賀茂の大神』は、神武天皇、国を建つるにあたり、畿内の豪族として大功をたて、山城の国を賜るや、民生の安定に貢献、ために『賀茂御祖の大神』として奉祭さる。今の京都『下鴨神社』これなり。御分霊を当地に迎えるにあたり、賀茂の社家の人々多く移り住み、堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。丘の下を走井といい、今の走谷これなり。

近くに清冽な御手洗川あり。社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を捧げしという。しかるに約六百七十余年を経て応仁の乱起こり、惜しくも兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れるものなしと言う。されども今日、走谷に宮の上・宮の下・大門前・堂前等の地名が残れるは、往時の隆盛を窺うに足るというべきか。わが『加茂神社』は、これより百六十余年を経て、寛永六年に『産土神』として再建され、氏子の年長者が『一老』と言いて神主となり、氏人が祭員となりて春秋の祭典を執行せり。明治五年『蹉だ神社』に合祀、同十二年、現在地に復社し今日に至る。明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和三十九年、社務所を新築、昭和四十九年、本殿を改築せり。境内に『御手洗・琴平』の小祀あり。神と人相和し、神霊に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて、『賀茂の大神』を奉祭す。特に『加茂の大神』は家内安全。夫婦和合。縁結びに霊験あらたかなれば、春秋の祭りを始め、初宮参り等などの祭りを怠りなく務め、神霊の加護にあずからんことを。」

 

【出典元:加茂健豆美命神社

 

御祭神の加茂健豆美(かも・たけつみ)で真っ先に思い浮かんだのは、下鴨神社の御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。

そして、先日お参りに行った賀茂別雷神社 境外神社の久我神社の御祭神、賀茂建角身命も同神。

賀茂建角身命八咫烏

 

shironpton.hatenablog.com

 

漢字は異なりますが、由緒書きに記載されている『下鴨神社から御分霊を迎えた』を考えると、同じ神様なのであろうと思われます。

 

そして、由緒書き早々に記されている和気清麻呂の名前。

和気清麻呂は、先日四天王寺へ行った際に休憩した茶臼山古墳で目にしたお名前。

shironpton.hatenablog.com

 

枚方の地に、下鴨神社の御分霊をお祀りされたのが和気清麻呂

 

更に、『近くに清冽な御手洗川があった』と由緒書には記載されており、御手洗川から連想されるのは瀬織津姫

今回、そもそも枚方市にやってきたのは、奈良の神社でiPhoneを落とし、その修理でやってきただけのこと。

shironpton.hatenablog.com

 

その奈良の神社は登彌神社。

そこにお祀りされていた神様の一柱が瀬織津姫

 

む~。

ここ最近のお参りにシンクロするかのような流れに、こうしてブログを起しながら後になって気付くのです。

 

さて、境内に戻りまして、こちらは拝殿。
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他の神社の例に漏れず、コロナ対策だと思われます、鈴緒が取り外されていました。

 

拝殿前でまず気になったのが右手の木。
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気になりつつも、毎度のことながら拝殿の左手からぐるりと回ります。

 

まず真っ先に目に入ったのが

【御手洗社】
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御手洗といえば、

 

 ・兵庫県西宮市を流れる御手洗川の側には御祭神が瀬織津姫廣田神社

 ・下鴨神社の御手洗社の御祭神は瀬織津姫

 

shironpton.hatenablog.com

 

そして、やはりというか御手洗社=瀬織津姫の図式で、加茂健豆美命神社を紹介されているサイトを見つけました。

katanogahara.wp.xdomain.jp

 

どんどん繋がっていく感じが何とも言えず、やはり頭で考えて出来ることなんてたかだか知れているんだと気付かされます。

私は思考型人間なので、(ドラえもんの猫型ロボットのような言い草ですが(笑))頭で考えてもどうしようもないことを目の当たりにすると、何とも言えない気持ちになります。

随分と頭で考える癖は抜けつつありますが、やはり頭でこねくり回して考えることが多く、神社でお参りをするたびに、その癖を取り払って頂いているような感覚になります。

 

さて、境内にはもう一社の摂社。

 

琴平神社
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枚方市にある琴平神社で頭に浮かんだのは、意賀美神社にある摂社。

shironpton.hatenablog.com

 

こちらの琴平神社狛犬さんがめちゃくちゃ私のタイプだったことで覚えていました(笑)

 

さて、拝殿の真裏へ。
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ぐるりと回った先に伊勢神宮遥拝所。

 

伊勢神宮遥拝所】
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鳥居右手の木がたいそう立派でした。
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ここからは、またしても一人誰もいない境内で木の写真を撮りまくる。

それも一心不乱に(笑)
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一応自分では自覚しているつもりなのですが、傍目に見て、平日のそれも誰もいない神社の境内で、木ばかりを撮っているおばさんは、まぁきっと変な人なのかもしれません(^^;

分かってはいるのですが、抑えられないこの衝動(笑)

 

お昼ご飯は淀川沿いで、いちおうブログ件名にもなっているパンを。

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ちょうど一人で座るのに良い形の岩の上にレジャーシートを敷いて。
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お参りがメインとなっていますが、今回の本来の目的はiPhone修理(^^;

修理の間、たまたま入ったパン屋さんで購入した、ちょっと何のパンかは忘れてしまった、でも見た目が印象的なパン。
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お店の方に聞きましたが、先っぽはあえて曲げているそうです。

 

子供達へのお土産。

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ボーっと空を眺めながら、一人川沿いでパンをモグモグ食べて幸せな時間。

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夢の中で、『源九郎稲荷神社!』の声で起こされ、そこから日を空けて辿り着いたのがここ枚方市にある加茂健豆美命神社。

 

ここ最近、気付けばお参りの流れにある稲荷神社、賀茂神社八咫烏

そして2019年に佐久奈度神社へお参りに行ってからというものの、いつもどこかで感じる瀬織津姫

 

色々な事が頭を巡りますが、まぁ考えても仕方ないですし、せっかくのこの流れ。

抗わずに。

 

素晴らしい空の下、思いもかけぬお参りとなりました。